「読書メモ:『ビジネスに「戦略」なんていらない』」
読書
『ビジネスに「戦略」なんていらない』(平川克美著、洋泉社)
実体経済を凌駕し、欲望を欲望が支える金融資本主義の一つのありようが崩壊し、ミネルヴァの梟(ふくろう)が飛び立った今、こういう本に出会ったことも人生の一興である。
ビジネス――この言葉がいかにお金、利益、そして何よりも戦略なる戦争用語に呪縛されていたことか! この本は、ビジネスは戦争じゃない、平和であってこそ可能なコミュニケーションであると強く主張する。考えてみれば、大阪の商売人は「おかげさまで」「まあまあですわ」「損して得取れ」などの、戦争とは程遠い言葉を使用してきた。この本の主張は、温故知新ということになると小生は思う。著者は否定するだろうが。
新自由主義経済が以下にビジネスの位相を矮小化してきたか、人間の本源的欲望(うわぁ、初期マルクス的だ)に反するかを説き起こすことから本書は始まる。
ビジネス書はつまらないと著者は言う。戦争という最悪のコミュニケーションに比され、人間的要素、本来割り切れないものをお金などなどの要素に還元し、顔が見えなくなるからだ。しかし、人間は贈与・交換を通じてコミュニケートするところに喜びを見いだす生き物なのだ。文化人類学の成果がそれを示す。会社はそのための道具であり、維持するには戦略や金儲けが必要であるが、それ以上に会社があることによってどういう貢献をなすのか、意味が大事だという。そして、それを可能ならしめるのは、社員一人ひとりの生きがい、面白がる精神であり、継続させるものは信頼などの目に見えない資産なのだ。そして、結果よりも過程を大事にすること。顧客とは売買を通じたコミュニケーションを行い、相互理解を進め、信用・信頼を「交換」せよ。これっきりの関係ではなく、語られない(明示されない)本音のコミュニケーションを楽しめ。(1回半ひねりのコミュニケーション)。そこに喜びがある。
労働する側も、マルクス主義的な「賃労働と資本」的なイメージにのみ囚われてはならない。(残念ながら、今のワープア状況はそれに囚われなくてはならないが、それはまた別の話。)与える以上のものを、貰うことは出来ない。それは会社と労働者の関係のみならず、基本的に社会はそうやって出来ているからだ。
そして、評価というものが商品において、特に労働力という商品において、本質的に不可能であること、ダブスタにならざるを得ないと書く。神ならざるものがどうして? その辺を括弧にくくり、宙吊りにする(評価者は評価者を演じる)ことで経済やビジネスは成り立つ。
明示性、数値化、そういうことの不可能な広い世界の中でビジネスは行われるのだ。それは、コミュニケーションであり、面白
がらなくてはならない物なのだ。本質的に面白くないからだ。面白きこともなき世を面白く。見えないものや本音があるから、ビジネスは面白がれるのだ。
さて、本書ではマルクスの労働観も一つのキーワードとなっている。著者に敬意を示しつつ、マルクスが既に交換における一回半ひねりのコミュニケーションについて触れている文章をコピーしておこう。マルクスの場合は、この「半」を余計物、疎外の根源と見ていたとは思うが。
人間としての人間を、そして人間的なものとしての世界にたいする彼の関係を前提とせよ。そうすれば、君は、愛は愛とだけ、信頼は信頼とだけ交換することができる。もしも、君が芸術を享受したいと思うなら、君は芸術的教養をもった人間でなければならない。もしも、君が他人に感化をおよぼしたいと思うなら、君は実際に他人を刺激しふるいたたせる人間でなければならない。君の人間にたいする――および自然にたいする――すべての関係は、君の現実の個人的生命が、君の意志の対象に応じて、特定の仕方で発見したものでなければならない。もしも君が相手の愛を呼びおこすことなしに愛するならば、すなわち、もしも君の愛が愛として相手の愛をうみださないならば、もしも君が愛しつつある人間として生命発現によって君を愛された人間とするのでないならば、君の愛は無力であり不幸である。
マルクス『経済学・哲学手続』(一八四四年)
〔選集補巻4三八五―九三ページ〕
ただ、このマルクスの美しい精神が示す世界が、水平展開された、全てが明らかになった社会が普通の人間にとって住みやすいかと言えば、甚だ疑問である。次の文章を引用しておこう。
(300万円のロレックスの話について)
ぼくが言いたかったのは、二百九十九万円の象徴価値のかなりの部分は「どうしてこんなに高いのかわからない」という、商品の考量不可能性に由来するような気がするということです。つまり、ロレックス社のみなさんが何を考えてこのような価格設定をされているのか、その積算根拠が仔細に明かされて、「なるほど、この材料に、この性能に、このアフターケアであれば、二百九十九万円は少しも高くない」と消費者が思ったら、もうロレックスなんか誰も買わないだろうということです。(p231)
あと、面白かった文章なんか。苦労されたという後半、特にその後ろのほうが面白い文章が多かった。
投資家とは未来の株価から出発して、現在の投資を決めるわけです。それに対して起業家は、絶えず現在を更新しながら未来を切り開く以外の方法を持ってはいません。シンクタンクの描いた教育プログラムの中や、大学のMBAコースやMOTコースの中から生まれてくるのは起業家ではなく、むしろ無数の投資家候補者であったという事実がこれを証明しています。(p62)
コア技術などの経営の核は、起業家になりたいと言って学校で得られるわけではない。
経済的勝者が繁栄を永続化、固定化するために現在の戦略を構築したのです。(p96)
西欧はルールを作り、押し付けることによって勝利を確保しようとする。スポーツの世界も同じだ。それに敢えてのるのもアリだが、もっと異議申し立てできるようにならなくてはならない。
知覚心理学のJ・ギブソンが提唱した「アフォーダンス」とは、モノあるいは環境には人間の行動を誘発する情報が含まれているという考え方です。(p113)
この言葉は知らなかった。「それを押したら私は死にます」とちよちゃんがともちゃんに言った後、ともちゃんがボタンを押してしまう、みたいな?
需要と供給なら「神の見えざる手」によってバランスするが、ウオンツは充足することがないので、利益の最大化などという地獄の経済学がはびこるようになったというのです。(p136)
日下公人氏の言葉らしい。そう言えば、ナッシュ均衡もアリエナイ、という話になってるらしい。
かつて、マルクスは労働力を一商品として見るとすれば、それは最も不幸な特性を持った商品であると言いましたが、労働資本の流動化が叫ばれる昨今の状況はまさに労働力が一商品として流通する不幸な市場であると言えるかも知れません。(中略)
労働者にとっては、職場の選択の自由を追求することが同時に、労働を自由度のない商品として切り売りせざるをえないといった皮肉な毛かを生むことになります。(p185)
う〜ん、否定できない面もあるけど、労働者の側からも、経営者の側からも会社主義からの脱却が望まれる現在にあっては、どのように読まれるかに関心がある。
わたしは、資本家と労働者の収奪戦争であるとか、ビジネスそのものは侵略戦争であるとかいった攻略的な視点を転じて、「今ここで行われているコミュニケーションはうまくいっているのか」と問うべきだろうと思います。(p188)
この本で最も言いたかったことと思うので、赤字で。
攻略しないという方法が、ソロバン勘定の中から出てきているということが重要なのです。攻略しないという方法は、先手必勝論や相手をその最低の鞍部で超えるという政治戦略論と比べても十分にソロバンの合う方法であると、わたしは考えています。(p211)
商売はおかげさまなのだ。
「金融市場とモノやサービスの市場には根本的な違いがある。後者が既知のものを扱うのに対し、前者は未知であるばかりか不可知でもあるものを扱うのである」(ジョージ・ソロス『グローバル・オープン・ソサエティ』)(p229)
だから、金融市場は膨大に膨れ上がる可能性があり、大変危険なのだ。なお、金融市場を超え、信用市場という言葉があるらしい。一兵さんに感謝。いや、今や不信用市場か?
http://www.office-ebara.org/modules/weblog/details.php?blog_id=184
ぼくは原則、市場原理主義でいいと思っているのですが、同時にそれをアイロニーとして感じる感性がないとダメだと思っているのです。いつも言っていることですが、自己否定の胚珠を持つということです。これがないと、ただのバカになってしまうんですよ。(p236)
真実の宗教家に通じる態度。参照項は親鸞かな。で、「信者」が最も否定する態度(苦笑)。
「原初の遅れ」というのは、人間が世界に到来したときに、すでに「自分抜きでゲームが始まっていた」という感覚のことです。(p238)
サッカーのルールも知らないのに、いきなりサッカー場に放り込まれた喩え話が秀逸。レヴィナスの言葉。だから、人間は原初、起源に拘るのだと思う。
マルクスは「剰余価値」(まさに「オーバーアチーブ」)の発見からその経済理論を構築しました。「剰余価値がどうやって搾取されるか」という実定的な構造の解明をマルクスはしてくれましたけれど、そもそもどうして人間は「剰余価値」を生み出してしまうのかというところについては、うまく説明できていないんじゃないかと思います。(p240)
多分、その前にマルクスは死んだ。で、おそらく、バタイユあたりを手がかりに考えるべきことかな。
本書はビジネスのさまざまな局面に現れる片づかなさ、会社とは何か、人はなぜ働くのか、(中略)といった問題について、それらには答えがないということ、それらは宙吊りにされた問いであり、わたしたちに対して「回答」を求めているのではなく、「考えること」を要請しているのだという理路を示したいと思っていました。(p249)
現代思想のキーワードがいくつかはいっている著者の思いだが、この思いは読者に十分伝わっていると思う。
信頼の物語をもう一度語り始めることが必要であると言いたいのです。(p251)
相互譲与の再構築。