『超訳『資本論』』(的場昭弘著、祥伝社新書)
著者の意図するところは、現代の勤労大衆に現代という時代を認識し、おそらくは世界を変革するために資本論を読み直してもらうことである。アルチュセールが『マルクスのために』を書いたように、スピノザの弟子たちが師匠のためにしたように、著者は現在においてマルクスを復権しようとする。それは、前半の労働価値説を巡る細かい神学論争を 華麗にスルー はしないまでも、深入りせずに、資本主義の運動というものを、特に起源においてどういうものであるかを暴露し、現在とオーバーラップすることを描き、そして、第一巻第二四章での「収奪者が収奪される」の余りにも有名な文句に至る“必然性”を解く。著者の意図は成功していると小生は思った。資本主義の運動を描き、その極点を描き、革命の「必然性」(後に主体性問題と言われるものがあるので、括弧付きだ)まで描いているのだから、小生は文句をつけない。
ただ、用語についての説明は、ド素人向けにしてはどうなんだろう? 例えば、「労働日」。これ、「1日の中の労働時間」という意味だが、いきなり「労働日」と言われても、分からないと思う。 若干細かい所が不親切かなあ、と思った。
労働価値説に深入りしなかったのは、仕方ない。労働と労働力の差異を発見したところがマルクスの偉大なところだが、それをキチンと説明できている。歴史−論理説の繰り返しの登場、労働の二面性(使用価値と交換価値)、貨幣という商品の特殊性、資本への転化の話、資本家発生の不明点の告発、それぞれ好感が持てる。
詳しい話は「アホほどゆっくり資本論を読む」ですることとしよう。あ、『資本論』を読んだことのない人は、第一巻の第24章だけでもどうぞ。資本主義に関する様々なキレイゴトめいた神話が脳内から駆逐されますから。

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