正月を迎え、日本人も無宗教と言いながら神社や仏閣がにぎわうところを見ていると日本人は無宗教ではなく、こうした神様と仏様の間で共生しているように感じる。
共通点は「中道」という考え方。責めず責めさせずというのが中道という考え方ですが、欧米はそれとは違い白黒はっきりさせる「対立」の思想が多い。
一つを正しいとする考えではなく、日本人は多面的に良さを取り入れて進化してきたと思う。
私はその中で、いつもお話する話がある。
ご師僧様の元、修行に励んだ時期があった。
その中で、一つ学んだ不動明王様のお話をしようと思います。
私にとって仏像は人間の生きる知恵を形にしてあるといつも想い、それを眺めて知恵を頂き自分の生きる糧にする・・それがお寺で合掌して頂く御利益だと思う。
お不動様は右手に利剣を持っている。
この剣は両刃の剣であり、これが私たちの相手と自分だと思う。
そこで、お不動様を後ろに語らせてもらう時、今日は左手の綱の話は文字が足らなくなるのでやめるが、あの右手の剣について話します。
降魔の剣とも呼ばれるが、あの剣こそ動かせぬ剣だと思う。
相手に向ければ相手が怪我をする。そして自分に向けたら自分が怪我をする。
向けるとは責めるということになる。
これこそが共生の知恵ではないだろうか?
私はお不動様の前でいつも考える。
イヌにも自分にも利剣を向けずこそが不動心であり、共生の知恵だと。
だから、飼い主が悪いとかイヌが悪いとかではないと思う。
それぞれが悪くなく、それぞれに悪いのだと思う。
そう考えずただイヌの飼育放棄する人を責めても、実はそれは相手を刺してしまうことになる。何故そうなったのか?そうならないようにすることで、この利剣を向けなくてもいい。
人は弱いからすぐにその剣を相手にさす。
でも、共生というこれからの課題には、決して動かさない、動くと切れてしまう利剣を誰もが心に持っていることを忘れてはならないと思う。
最近は何かと責めたがる。責めなくていい方法を皆で考え実践していくことが大切だと思う。それこそが左手の綱という絆と利剣という中道という不動こそが、共に生きていくために一番の利益であり、幸福だと思う。
お寺には形のある仏像がある。その仏像が人間としてにどのような生き方を教えようとその形から知ることこそ、お寺で仏様の心と一体になれる時だと思います。
人の心には神性や仏性がある。だから責めなくても教えを持てば誰でもできる。
それをこのあたりだと成田山などが有名だが、お不動様とそんなことを見つめて気付いてほしい。

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