時期を逸した感もありますが(苦笑)、
書こうと思ってたことなので書いてみようと思います。
先日(5月21日)から
裁判員制度がスタートしましたね。
最高裁の裁判員制度HPによると、こう書かれています。
「裁判員制度とは、国民のみなさんに裁判員として刑事裁判に参加してもらい、被告人が有罪かどうか、有罪の場合どのような刑にするかを裁判官と一緒に決めてもらう制度です。」
「国民のみなさんが刑事裁判に参加することにより、裁判が身近で分かりやすいものとなり、司法に対する国民のみなさんの信頼の向上につながることが期待されています。」
また、裁判員の役割のなかには、
「評議を尽くしても、意見の全員一致が得られなかったとき、評決は、多数決により行われます。」
「有罪か無罪か、有罪の場合の刑に関する裁判員の意見は、裁判官と同じ重みを持ちます。」
とも書かれています。
実際の裁判は、3人の裁判官と6人の裁判員の9名で扱われ、多数決の場合、多いほうに
最低1名以上の裁判官の支持が含まれる必要があるようです。
いや、
私の感覚からすれば、
本職の裁判官3名のうち1名の支持さえあれば、あとは多数決で決まってしまいます。
極端に言えば、有罪か無罪かで多数決となった場合、裁判官2名と裁判員2名が無罪と判断し、裁判官1名と裁判員4名が有罪と判断した場合は、「
有罪」と判断されることになります。
法律のプロ3名のうち2名が「無罪」と判断したにも関わらず、法律に素人の裁判員6名のうち4名が「有罪」と判断すれば「有罪」になるのです。
(もちろん逆もですけど・・・)
有罪、無罪の判断ももちろん重いのですが、
これが量刑判断であればどうでしょう?
裁判員制度で取り扱う案件は
「刑事事件」ばかりですし、もちろん重大な事件も含まれます。
当然、マスコミなどにより報道される事件もほとんどすべて、裁判員制度で扱われることになります。
このとき、素人である裁判員には、多少なりとも感情(被害者への同情など)が芽生えるはずですよね。
もちろん裁判官は、一定のスキルを積み、もちろん法的知識も感情のコントロールも十分な経験がありますから「法の下での公平性」の確保については、冷静な判断ができるはずです。
これが、結果として、例えば
、「死刑」か「無期懲役」かの2案での多数決となり、先ほどのような結果となった場合はどうでしょう?
日本の場合、終身刑(例えば、アメリカ等でよく聞く?「懲役150年」のような刑)がないので「死刑」と「無期懲役」の違いは雲泥の差のように私は思います。
それなのに「
有罪か無罪か、有罪の場合の刑に関する裁判員の意見は、裁判官と同じ重み」なのです。
有罪を認めた(犯罪を犯してしまった)人を裁く行為(手続き)であっても、私には
、(誰かと一緒に)その人を裁き、その人の量刑を決め、ある意味、人生を左右するような大きな判断をする自信はありませんし、その責任も持てません。
皆さんはどうですか?
この制度が、裁判員候補者となった時に、「なる」か「ならない」かを
自由意思で決められる制度なら、その自信や責任が持てる人にとっても、また国民にとっても
、「裁判が身近で分かりやすいものとなり、司法に対する国民のみなさんの信頼の向上につながること」にも繋がる制度だとは思うのですが、ご承知のとおり、
よほどのことがない限りは「辞退できない」制度になっています。
私的には、
「
国民としての義務が増えた」位に思います。
辞退できずに(いやいやながら)裁判員になり、
呼び出しに応じなかった場合は、10万円以下の過料に処せられる場合もあるようです。
先日、どこかで「過料を払ってでも出席しない」と会見された方もいらっしゃいましたね。
※ちなみに「過料」とは行政罰(自動車免許でいえば免停処分)で、「科料」は刑事罰(いわゆる罰金ですね)らしいです。
更には、
死ぬまでの間、法廷での出来事以外の部分についての守秘義務まで背負うことになります。
つまりは、評議(話し合い)の内容、裁判官や裁判員の意見、評決(判決を決定する)過程等、傍聴人等に公開される「法廷」以外の大半の部分について守秘義務を持ちます。これに違反すると
、「6か月以下の懲役または50万円以下の罰金」という刑事罰に処せられます。
「話さなきゃいいじゃん!」って軽く考える方もいると思います。
でも考えてみてください。
もし、多数決などで
あなたの考えや思いと違う判決が言い渡されたあと、
「あれは、俺の(私の)意見や本意じゃない!俺は○○と主張したんだ」
と、
自己を弁護する発言を、また、自分の発言も含めて話し合いの過程を口外しない自信がありますか?
法律上では、たとえ相手が家族であっても「守秘義務」はありますし、
重大な事件ほど、いくら自らが裁判員だと名乗らなくても、マスコミはどこからともなく、そうした情報をつかみ取材する可能性だってあるわけです。
キツイ言い方かもしれませんが、つまりは、
たまたま選ばれて裁判員にさせられ、赤の他人を裁き、その話し合いの内容を、ずっと胸にしまいこんだまま墓場まで持っていかなければならない のです。
こうしたことを考えると
「国民の皆さんの負担が過重なものにならないとの配慮」をした(らしい)現行の「辞退できるケース」では、
精神的な重圧や負担には配慮があまりなされていないような気もします。
いずれにしても、既にスタートした制度で、5月21日以降に立件された刑事案件が対象となります。公判前審理等を経て手続きの簡略化等も行われるようですから、
第1号は7月中〜下旬頃ではないか・・・と、何かの報道で見た記憶があります。
その時は、相当な報道がまたなされるのでしょうねぇ・・・。そして、
まるで犯人探しのような裁判員探しが・・・
私の中では、脳死移植の第1号の報道が甦ります。あれって高知だったんですよ。
臓器を提供された方(つまり脳死された方)のプライベートな部分まで、結構早くから報道されて「コイツらには配慮という部分は無いのか」って感じたものでした。
ちなみに、時期をほぼ同じくして、2つの話題になった事件が判決が確定しましたね。
ひとつは和歌山のヒ素入りカレー事件、ひとつは秋田の連続児童殺害事件(詳しくは書きません)一方は「死刑」で、一方は「無期懲役」。
判決に至るまでの過程を詳しく見ているわけではないですが、もしこれが裁判員制度のもとで扱われたとしたら、
この違いを裁判員が、明確に理解し、判決の妥当性を十分に説明できるのか(もちろん、法廷での判決理由=公開される内容の範囲)ってのも気がかりではあります。
ま、裁判員が説明する必要はないんですけどね・・・(苦笑)
※今日は「赤文字」が多いなぁ・・・。
※ちなみに、今のところ裁判員候補にさえ なっていないようです。

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