しかし、夏だね
今日はちと夏期講習の回顧録を綴ってみようと思う
1 year a go……
あれは、去年の夏休みだった
我ら塾生一同は、bono神不在の状況に一抹の不安(安心)を抱きながら、「鬼の夏期講習」をひたすら攻略する日々を送っていた
受験まであと半年。3年間の総復習の毎日に、皆心身共に衰弱しきっていた
講習の中でも特に鬼だったのがボスの英語だった。毎日の宿題に、早実、慶應志木など偏差値70レベルの高校の入試問題が出された
その長文(しかも2部)を全部日本語訳して、問題を解いてくるという破天荒な宿題が毎日出されていたのである
俺はその宿題をこなすため、必死になって勉強した。いや、せざるを得なかった
問題はここからである
宿題にかじりつく日々を続けているうちに
夜の12時以降に宿題を始める→朝6時近くまでやる→2〜3時間寝る→塾へ→頑張る→帰宅して昼寝→また深夜から勉強開始
という「あってはならない」生活リズムが俺の体の中に生まれてしまったのだ
もちろん深夜〜明け方にかけての勉強なので、集中力は散漫になり、効率もかなり悪い
それをわかっていながらも、深夜以外の時間帯に勉強する気なぞ起きない
俺はいつの間にか、「深夜型」の人間へと逆戻りしていた
この日もまた、俺は例によって英語の宿題と格闘していた。どこの高校の入試問題だったかは覚えていない
いや、しかしあの長文は確か悪魔の話だった。「煮えたぎった鉛の入った壷」って英語で書かれても困る
俺はジミー・ペイジじゃないから黒魔術には興味がないのだ
即ち、虫の空気が充満した蒸し暑い勉強部屋の、机の上にポンと置かれたこの問題用紙に、俺は普段にも増して興味を抱けなかった
虫の空気の中で果てしなく難しい問題と睨み合うのは、今日で何日目だろう
だるい。やってられん。しかしやらねば
途方もない考えを進めながら、結局弱い人間の脳が行き着く先は娯楽、ただその二文字なのである
ただこの日は、その娯楽の方向性がかなり異質だった
当然時間帯が時間帯だから、テンションがおかしくなる。それは今までも一緒だった。その結果もし娯楽に走るにしても、普段ならせいぜいB'zの「FRIENDSU」でも聴いて終わるのである。いや、むしろ「IN THE LIFE」を聴いてフレッシュな気分でまた自分に喝を入れ直す、なんていう希望に満ち溢れた日もあったほどである
しかしその日は、積もり積もった衝動が既に爆発しかけていたのかもしれない
無性に「時計じかけのオレンジ」が観たくなったり、Pink Froydの「THE WALL」が聴きたくなったりしたのである
というわけで俺は、勉強部屋のMDコンポから「THE WALL」を流しつつ、8インチの液晶テレビで「時計じかけのオレンジ」のDVDを観てみることにした
…………………
当然ながら
まことに当然ながら、思春期の精神は歪んできた。むしろ俺はこの「歪みの快楽」を求めてこの行動に至ったわけだが、予想以上に精神が歪んでしまった。言ってみれば「ザック・ワイルドよろしく2音半下げの精神状況」である
歪みはいつしか「歪み」という定義を外れて至福や快感に繋がり、俺はふわふわした
デイブ・ギルモアのぽわぽわしたギターリフと、シンセサイザーで演奏された早回しベートーベンが聴覚からいっぺんに伝わり、更に視覚には「アルトラ(超暴力)大暴走」がノンストップで流れこんでくるのだ
俺は当惑する暇もなく、ただひとつ、魂の開放という目的地へ向かって「天国への階段」を一歩一歩上り出した
俺はこの芸術的な2つの作品に普段から敬意を払っているが、この日ばかりは、ロジャー・ウォーターとスタンリー・キューブリックという2人の天才の意思の意味するところなどは完全に無視してしまった
つまり、今俺が「脳内シンクロ」しているこの芸術作品を、彼らが製作した上においての意向である
早い話が、「THE WALL」は「狂人の音楽」、「時計じかけのオレンジ」は「破壊主義の至高を描いた絵画」として捉えた
本能剥き出しのナンセンスな鑑賞の仕方だったかもしれないが、俺はユダヤ人の様な高尚な人種にはなれなかった
いずれにせよ、どんな音源もフィルムも、あの時の俺には「魂の開放」を達成する為の道具にしかならなかった
胸が震える、がくがく、脈が速くなる、どくどく
スロー・テンポなプログレッシブ・ロックに、何故これほどの疾走感を覚えよう
何故不気味な白の背景と広角レンズに支配された映像から、破壊的でありながら実に平穏な感覚を学べよう
フロイドとキューブリックは、まさに最高の黒魔術アイテムであった
魂の開放まではあと少しである
がくがく、がくがく
俺は最後の儀式を始めることにした
虫の空気から一旦離れ、キッチンへと向かった
「私はコーヒーを飲まねばならない」と思った。眠気を覚まそうなどという、愚民の考えそうな平凡で下等な考えではない
いや、もしかしたら「俺はコーヒーを飲んで正気に戻らなければならない」という俺の最後の理性が心の底で働いていたのかもしれない
いや、何を言うか。確かにあのとき俺は理性を保っていた。精神と理性は固く結びつけられていた
キッチンでそんな葛藤があった
しかし俺は、勉強部屋から流れるフロイドとキューブリックのリズムを確かに感じながら、その手でコーヒーを煎れた。忘れてはならない。魂の開放はまだ続いている
そして黒く淀んだそのコーヒーを
飲んだ
うっ
こ、濃い
一瞬にして胸がやけたのがわかった。北斗神拳の如く、身体の内面の細胞がきしきしと音を立てて破壊されていくのがわかった
「魂の開放には、この濃さが必要なのだあ!!」
はっ!あなたは?!
どこからともなく声が聞こえた。紛れもなく天の声である
明らかに鼓膜を伝わり入ってくる音ではかった。骨伝導により、いや、三半器官にダイレクトに伝わる信号の様だった
天の声、確かに聴きとげた!!このコーヒー、飲み干してみせる!!
すると俺はキッチンである作業をした。その作業は5分ほどで終わった
勉強部屋から流れるドラミングのリズムが速くなっていた。魂の開放を心待ちにするかの様に
俺は作業を終えると、用意した物を持って勉強部屋へ戻った。映画はいよいよクライマックスを向かえ、MDコンポからも更に妖しさを増した音楽が流れた
世界中のどんな宗教であれ、必ず祈りを捧げるための場所がある。虫の空気に満ちたこの勉強部屋こそ、魂の開放における紛れもない聖堂(モスク)なのである
机の上に並べられた黒魔術アイテムは4つ
濃いコーヒー、サトウのご飯、くらげの塩辛、麦茶
である
俺は天の声に従い、コーヒーを飲み干すためには、胸をやかないことが必要だと考えた
その為には、すきっ腹状態をいかに克服するかが鍵となる。その為、サトウのご飯、くらげの塩辛、麦茶という名の新たな黒魔術アイテムが必要になったのである
これらは決して飲食物ではない
黒魔術アイテムなのだ
それを忘れてはならない。魂の開放のためには
俺はついに黒魔術アイテムに箸をつけた
サトウのご飯→くらげ→麦茶→コーヒー→くらげ→コーヒー→麦茶→サトウのご飯→くらげ→コーヒー
決してサトウのご飯とコーヒーは直接重ねてはいけないと思った
フロイド、キューブリック、サトウのご飯、クラゲ、濃いコーヒー……
魂の開放の直前、俺は確かに見た。約束の地を。スリランカの奥地に見られる様な花と、アゼルバイジャンの空気を確かに感じた
扇風機を付けていないことも、宿題のことなども、とうに忘れていた
ある暑い夏の夜のこと