2学期初の更新、六本木でございます
ってw
なんでこんなに更新してねぇんだろ(汗
確かに夏休み明けからテスト続きで暇がないのも確かなんですが……
明らかに違うのは、以前みたいにブログ更新を生き甲斐としてないってゆーか、そこまで欲がなくなったってゆーか……
ブログ開設から1年半、そろそろ潮時なのやもしれませぬ
いやいや
そう簡単にやめてたまるか、きっとまた身体が(ぁ)ブログを欲するときがやってくるさ
さてさて、何かと心が揺らぐことの多い今日この頃ですが
みなさんは元気でお過ごしですかあ
時の流れっつーのは恐ろしいモノで、どんな汚れたものでも洗い流してくれるんですよねぇ
時には綺麗で失いたくないものさえも壊してしまうのだけれど
大切なのは、両刃の剣である時の流れなぞに動揺せず、むしろ、自分に有利な様に利用してやることなのです
諸行無常っつー言葉があります
これは元来仏教の基盤となる概念を表した言葉だそうですが
全てのモノには実体が無く、常に移り変わるのだから、変化を恐れるな、って意味らしいです
そう考えれば全ての現象や変化に一喜一憂してる自分が馬鹿みたいでしょう
だから自分に都合の良いものだけチョイスして信じちゃいなYO、ってゆー風にも考えられますよね
諸行無常ってゆー言葉の意味を阿呆なりに辿ってみると、なんだか壮大な仏教ロマンに触れたみたいで、途方もない自己満足に浸ることができます
俺みたいなアホがオ○ニーするにはちょうど良い題材ですね
さて、下品な話はここまでにしてですね
「諸行無常」
確かに最もなことなんだけど、万物を諸行無常とゆー一言で片付けてしまうのはあまりにも寂しい、っつか恐ろしすぎる
さあ誇大妄想に浸って現実逃避してるニート(俺含む)ども、頭冷やして考えてみろ
俗世に真実なんか何もない、全部嘘だ、なんて、そんなことあるわけないだろ
絶対的に変わらないものがあるからこそ、人は生きていけるんとちゃうかな
ゆるぎないもの(ひとつ)が誰にでもあるっしょ
大切なあの人
忘れてはいけないあの言葉
誰にも譲れないモノ
絶対に移り変わってはいけないものが、必ずあるはずでしょ
「ゆるぎないもの」の存在は、当然仏教の成立の遥か遥〜か昔からあったものでしょう
人間が、いや、生命がこの世に生まれた瞬間から、マントルの上に「ゆるぎないもの」が、分厚い鉄柱みたいにズンと凛々しく建っていたはず
自分の身の回りを見渡しても、あるでしょ、ゆるぎないもの
いや、ゆるぎないであろうと信じたいもの、でも構わない
諸行無常とゆー言葉は、この(思考上だけであっても)「ゆるぎないもの」の存在が解った上で作られた言葉だろう
とすれば、やはり万物が移り変わるものである、とゆー考えは間違っていると思う
くだらないものはいくらでも移り変わるんだ。その中から適当に自分の好きなものを選び、見つめ、傷付き、信じるのも人の自由
変わってしまうとわかっていながら信じて傷ついたその経験は、きっと「ゆるぎないもの」の根をさらに太くするだろうから
全てが諸行無常じゃないと知った人は、結局、何が信じられて何が信じられないかとゆー、至って平凡な選択肢にゆきつく
そーやって迷い、苦しみ、もがくうちに人の人生が終わって
100億年が過ぎたとしよう
それでも「ゆるぎないもの」は、ガンマ光線みたいに真っすぐに全てを貫いて、宇宙のまた先まで延びていると思う
本当にゆるぎないものなんかあるのだろうか
宗教の概念にも宇宙的な絶対理論にも負けないものを、人は造れるはずだと思ってやまない。俺はね