2012/2/10

カルメン巻き  
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甲野善紀という男がいる。

古武術研究の第一人者だ。



古文書などを紐解き、実際の術として理論化するのを生業としている。

幼少の頃より洋服に身を包むことを嫌い、着物への憧憬を無意識下で抱いていたほど身も心も侍な人だ。



物質文明に疑問を抱き、その不快感は衝動へと昇華され、古武術探求へと人生をシフトしていく。

文明開化で失われた本質、日本人の心身に本来備わっていたはずの術を掘り起こすことにのみ情熱を注いでいる。



高きところから水が流れ落ちるように失われた在りしものを具現化する。

行住坐臥、意識的な自分を強いられる現代において稀有な存在といえよう。



そんな彼に師事し、著書を読み漁るにおいて新しい発見が止まない。

言葉にできない感覚を語れる相手、学ぶべき相手がこの世に存在しない以上当然であろう。



三次元的に物事を捉えるべきと問う氏のメッセージ。

ゆるい夏休みみたいな日々が「あの日」以来偽りであったという我々のフォーカスからも何よりリアルに感じる。

常に思考をとどまらせず、在るべき本質にのみ目を向け、内的要因の向上を図ること。

それこそが生きることだと説き伏せる。



古武術の先人たちをリスペクトし、その体内に宿った発火を具現化する氏。

なぜ術が生まれたか。

なぜ術が在るのか。

著書にはそのエピソードが散乱する。



変化を恐れず、アイデンティティに歩みをとめないことこそ進化と問う氏。

ありがたすぎるその著書を読み進めていくにあたって、首じゃないものまで傾けずにいられない一文とぶちあたるのであった。



水が在るべきところに流れるように進化とは変化である、という氏の在り方。

術や思考も常にそれに付随するよう回り続けている。

瞬きするするたびに違う自分がそこにいるかの如く。

その美意識故、昨日掴んだコツ、熱は風化していくというのだ。

これは難行である。

人はアイデンティティに自分というものを確認し、安堵する。

変化し続けるというのは自分がどこに在るのかを確認しずらい。



時に氏は自分の所在に疑問符を持つようだ。

どう在りたいのか。

どう在るべき人間なのか。

自分とはどんな人間なのか。

外的要因と比肩した際の自分を持たない人生故の贅沢な悩みである。



そんな彼が非常に影響を受けた、ああいう存在感を持つ人間に憧れると言い放ったのがこの人。

歌手カルメン・マキさんだ。



圧倒的な表現力、人間力に魅了され、生きる道は違えど、あの力量を受け止めて返せるだけの器になりたいと考えたという。

変化し続けることでどこか疲弊してしまうこと自分に、氏はカルメン・マキさんという存在を常に思い描くことで情熱を失わずにいられるというのだ。

幼少のみぎりより洋服を纏うことすら毛嫌いしたほどに細胞レベルで和を発症する氏において、人生の軸の対岸に置く対象がカルメン・マキさんて!



なぜ宮本武蔵じゃないのだ。

なぜ塩田剛三じゃないのだ。

なぜ坂本龍馬じゃないのだ。

なぜだ!



椎名林檎が行住坐臥野球に身を置くイチローの生き様に憧れるのはわかる。

オレもイチローの一挙手一投足が好きだから。

でも、オレは和の真髄を追う達人でもなんでもない。

物事をガンダムで喩えるダメなオッサンである。



全身「和」とさえいえるほどの氏のスーパースターがカルメン・マキさんて!

電車でありがたいほどの氏の著書を読み耽っている中、スマン。

自分の在りかたに迷う時、カルメン・マキさんを想うことで見失わずにいられる的一文に噴いた。

今年度最高の「なんでやねん!」大賞決定である。




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