しばらく何もする気が起こらず、呆然としていましたが、今年の最後にあたり、気持ちを整理して、入院から最期の時までの経過をアップします。
少し長くなるかもしれませんが、よろしかったらおつきあい下さい。
12月17日(土)
肝機能の数値がかなり悪いせいか、目がみるみるうちに黄色くなってきた。
意識は、比較的ハッキリしており、十分会話は成り立っている。
そんなときポツリと漏らした言葉が「あー家に帰りたいな…」。
本人ももう家には戻れないとわかっていたのだと思う。
面会時間が過ぎた19時頃、「レオ待ってるから早く帰ったって。また明日早く来てね。そのとき巻きずしとパジャマとタオルをお願い」、と言ったので、食べようとする気力があるのを喜んで、ナースに頼んで家路についた。
家に着くと、次の日に持って行く荷物を準備し、元気付けにレオの写メールを送信してから、早めの床についた。
12月18日(日)
日も変わった夜中12時過ぎ、携帯電話が鳴った。yokkoからだ。
病院からではなくyokkoからだったので、眠れないのかなと思い電話に出ると、そこからは、「痛い、苦しい」という声が漏れてきた。
「しんどいんやったらちゃんとナースよんで薬もらい。明日朝一番で行くからしばらくやけど辛抱しいや」とたいした励ましにもなっていないが、その場は電話を切った。
それから1時間毎に電話があったが、とうとう3時半頃の電話では、「悪いけど来て欲しいねん」といってきたので、すぐに病院へ向かった。
車で約15分。病室につくと、想像していたより穏やかで落ち着いており、私の顔を見ると、「ごめんね」と一言言って安心したように寝息を立てだした。
ナースがやってきて、「先ほど薬を追加して落ち着いたようです。これでこんばんは安心です」と告げてきた。
心配だったので、完全に寝入るまでそばについてやることにした。
手にはしっかりと携帯を握りしめていつでも電話ができるような態勢をとっており、その姿を見ていると涙があふれ出した。
空が白みはじめたころ、ほとんどパジャマに近い状態で出てきたので、一旦家に戻った。
家に戻って少し横になろうと布団に入ると、いつの間にか寝入ってしまった。
気がついたのは、9時半を少しまわったころ病院からの電話であった。
ナースから、「旦那さんに会いたがっているのですぐ来て下さい」と言われたので、すぐにとんでいった。
病室は比較的あわただしかった。朝方から少し痰が絡み出して吸引を続けているらしい。
血中酸素も70くらいを前後しており、酸素濃度も10L/1分になっていた。
私の顔を見るとナースがyokkoに、「旦那さんが来ましたよ」と大きな声をかけた。
するとそれまでバタバタしていた状態が嘘のようにおさまってきて、血圧、血中酸素とも正常値近くまで回復していった。
ナースは、「やっぱり旦那さんが一番の薬やね」とつぶやいた。
一旦回復してからは、再び小康状態が続いたが、意識はほとんどなくなってきた。
こちらからの呼びかけには反応はするが自分からは声を発することはなくなった。
それから丸1日同じような状態が続いた。
尿もほとんどでなくなってきており、「今夜がヤマかもしれません」と担当ナースが告げてきた。
その夜は当然病院へ泊まった。
12月19日(月)
夜中、ナースが頻繁に様子を見に来てくれた。
様子に変化は見られないが、一晩中ささやくようにyokkoに語り続けていた。
生命力が強いのか、何とか夜は乗り切った。
それどころかまたもや数字的には回復の傾向を見せてきた。
定期的に痰が絡んで、その度に吸引してもらったが、それ以外はただ眠っている状態が続いていた。
妹と義理の母に看病を少しまかせて、着替えをとりに家に帰った。
電話でその都度様子を聞きながら…。
再度病院に戻ったときもまだ安定していた。
交代に、妹と母に一度戻ってもらうと切り出した直後、急に激しく容態が変化した。
はげしく痰が絡んできたようで、あわててナースに吸引の措置をとってもらった。
痰の色は赤く染まりだし、血中酸素も瞬時に50、40、30と下がりだした。血圧もほぼとれない状態になった。
血中酸素が10を切った直後、担当のM医師とK部長が部屋に入ってきた。
「yokko、先生やで」と声をかけると同時に呼吸が止まった。
あっけなかった…可哀想だった…
16時46分、yokko永眠である。

最期に送った写メール