2015/3/21

今朝の椿  Digital Photos
 
先週に続いて、庭の椿を活けてみた。

椿の不思議は同じ木の枝から、白色・紅・白紅斑が咲くことである。

花は交配して咲くのであろうが、紅白斑の花はどのようにして受粉
するのであろうか、人間の場合のように異人種の組み合わせにより
第3種が生まれるのだろうか。

ダーウインの「種の起源」によれば、<性質の違いに応じて次世代に
子を残す平均的能力に差が生じるので、有利な個体が持つ性質が維持・
拡散する>と説明しているので、来年も同じ花が咲く確証はないの
かもしれない。

やはり、自然は神の手に委ねざるを得ないのか。

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2015/3/20

春の到来  Digital Photos
 
本日は2015年3月20日
天気は快晴で漸く春の気温になってきました。
しばらくぶりで、家で撮影したデジカメ写真を投稿してみます。

新しいTeachUpのやり方がよく分からないのでおかしな投稿に
なるかもしれません。順次習熟していくつもりです。

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2008/11/11

忍野八海風景   Digital Photos



作品番号:NO.74  
作 品 名:忍野八海風景      
撮影場所:山梨県忍野村      
撮影年月:Nov.’08

11月初旬、茅ヶ崎市写真連盟所属の9写真クラブの会員約45名と共に、山梨県富士山麓の忍野村・山中湖・河口湖・西湖などの撮影旅行に行ってきた。

写真連盟の撮影旅行は、毎年1回秋の実施を恒例としており、各サークルが持ち回りの幹事を引き受け、日帰り乃至1泊旅行をしている。最近はご他聞に漏れず、会員の高齢化が進んでいるので、泊りがけの旅行は参加者が少なくなっており、今回も日帰りバス旅行である。

全体の行程は以下のとおりである。

茅ヶ崎中央公園――湘南バイパス――138号線――東名高速――御殿場IC――東富士五湖道路――山中湖IIC――忍野八海――河口湖――西湖いやしの里根場――山中湖旭丘緑地公園――山中湖交流プラザ「きらら」――山中湖IC――東富士五湖道路――御殿場IC――東名高速――秦野中井IC――湘南バイパス――茅ヶ崎中央公園

担当幹事による今回の目玉は、山中湖畔北岸から午後3時半頃に、僥倖があれば有名な「ダイアモンド富士」が撮影出来るとの触れ込みであったが、残念ながら11月初旬の今の時期は、たとえ晴天であっても山頂付近は雲に覆われていて、ダイアモンドは望むべくもなかった。

やはりダイアモンドの名のとおり、その機会の恵まれるのは極めて稀なこと、恰もオーロラの如くなのであろう。但し、次善の目玉である「忍野八海」「西湖いやしの里」「山中湖畔紅葉まつり」は、時期的にも素晴らしい被写体を見出すことが出来た。

「忍野八海」は、富士山からの伏流水に水源を発するといわれる八つの湧水池(湧池、出口池、お釜池、濁池、鏡池、菖蒲池、底抜池、銚子池)から構成されている。

現在の八海は、それぞれ湧水量は異なって、ほとんど沼地化したところもあって八つの池が全部昔の面影をとどめていない。また、八海から湧出した水は、桂川の最上流の水源地として遠くは相模湖まで通じ、京浜地方の大切な給水源として大きな役割を果たしている。

なお、忍野八海の湧水は、富士山の高地に降った雪や雨が、古いものは20年以上の時間をかけ、地下水として濾過されてきたものであり、池の水はいつも澄んでいる。

他の富士五湖の湖底からも湧水が確認されているが、忍野八海の池はまさに湖底の噴出口が表面に出てきたものである。水質・水量・保全状況・景観の良さから、昭和60年に、全国名水百選に選定されている。また、新富岳百景選定地でもあり、国の天然記念物にも指定されている。

クリックすると元のサイズで表示します古桂川は流れを変え、現在の山中湖付近と忍野八海を起点とする川になった。忍野八海は宇津湖(忍野湖)が干上がってできた場所である。現在ある八海は当時の湖底跡で、今でも富士山の湧水がこんこんと湧き出している。

忍野は、その昔、富士五湖と関連のある湖だったといわれ、八海は、忍野が忍野湖(宇津湖とも)と言われていたが、その後、漸次西方富士裾野と御坂山系との狭間を水蝕し、掘削排水され遂に忍野湖は乾れたが、富士山の伏流水の湧水口としていくつかの池が残った。

但し、遊水地を撮影しても、どうも絵にならないので、湧水池周辺に足を向けて、鄙びた景観の中から撮影対象を選んだ。







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2008/11/11

西湖・山中湖風景   Digital Photos



作品番号:NO.75  
作 品 名:西湖・山中湖風景      
撮影場所:山梨県南都留郡      
撮影年月:Nov.’08

「西湖いやしの里根場(ねんば)」は、かつては美しい富士を背に兜造りの茅葺き屋根民家が並んでいた、西湖畔の県民の誉れ高い地区であった。

昭和41年の土砂災害により、死者600人余という甚大な被害を受け、その殆んどが瓦礫の下に消失し、今はほとんどその姿を見ることができなくなってしまった。

富士河口湖町では、そんな日本の原風景である茅葺き屋根の集落を甦らせようと、「西湖いやしの里根場」に約23棟の茅葺き屋根の家屋を復元している。


第1期オープンは、2006年7月15日。40数年の歳月を経て、昔懐かしい茅葺き屋根群と、さまざまな施設が立ち並び、地域の歴史や文化、自然環境を舞台とした「いやしの里」が誕生した。

現在は「陶芸と香の館」「紙の館」「土の館」「大石紬と布の館」「つるしびなの館」「特産品加工場」など18棟の施設が、中央を流れる川を挟んで建ち並んでいる。

左岸は信玄公由来の伝統工芸を中心に、職人芸を見学できるゾーン、右岸は歴史・文化の紹介や地元の人々とのふれあいが楽しめるゾーンとなっていて、懐かしい日本へタイムスリップできる。

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「山中湖旭日丘緑地公園」は、山中湖観光協会が山中湖南湖畔を紅葉回廊として整備して、夕暮れにはライトアップも施しながら、「紅葉まつり」を催している。

今回の作品は、いやしの里の茅葺き館の中から面白い対象を撮影したものと、紅葉まつりの紅葉を取り上げてみた。

富士五湖周辺は、想像以上に観光地化されており、安直に景観が愉しめて手軽ではあるが、峻厳な富士山の姿を狙おうとなると、先ずは時期・タイミング・天候が難しいことや、居住区近辺は電線・電柱の存在が絵作りを阻んで、当然のことながらなかなかイメージ通りの絵にならない。

また、最近はどの観光地でも、日本人の元気なシニアと中国・韓国の観光客が非常に目立つようになってきた。贅沢を言わずに自分の努力と意欲で、困難を乗り越えなければならないと痛感した。





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2008/9/30

ピラタス蓼科ロープウエイ  Digital Photos



作品番号:NO.72  
作 品 名:ピラタス蓼科      
撮影場所:北八ヶ岳蓼科     
撮影年月:SEPT.’08

9月第5週、大学時代のゼミナール仲間8名で、長野県蓼科方面に同期旅行をしてきた。
丁度1年前、紅葉を求めて写真仲間と八ヶ岳・清里方面に、一泊二日のバス旅行に行ってきたが、今回は学校時代の同期生・退職シニアということで、企業の保養施設を利用した気のおけない愉しい旅行であった。

全体の行程は以下のとおりである。

(1日目)茅ヶ崎―――新宿―――あずさ13号――茅野―――蓼科湖―――ビーナスライン―――ピラタス蓼科ロープウエイ―――山頂駅(2237m)―――坪庭―――山麓駅(1771m)―――蓼科山荘(宿泊)
(2日目)蓼科山荘―――マイクロバス―――上田市武石地区―――同期H君の墓参―――上田市内散策―――上田駅――長野新幹線――東京駅―――東海道線―――茅ヶ崎

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宿泊先は、長野県茅野市北山蓼科、T社蓼科山荘。蓼科湖北側に広がる蓼科温泉を基盤としたリゾート地に、10年前に建て替えて拡張・新装した、立派なリゾート・ホテル風の保養施設で、ゆったりとした源泉の湯をも愉しむことができた。

ピラタス蓼科ロープウエイは、比較的穏やかな山容と言われる北八ヶ岳エリアの中にあり、北横岳(標高2472m)と縞枯山(標高2403m)の鞍部にかかるロープウエイである。出発する山麓駅の標高は1771m、向かう山頂駅の標高は2237m、標高差466m・総延長2215mを結んでいる。

100人乗りロープウエイは通年運行しており、夏期は観光・登山・ハイキング、冬季はスキー・スノーボードで賑わっており、四季を通じて多くの人々に親しまれているそうだ。1967年(昭和42年)7月より運行を開始し、当時は県営企業として発足したが、その後民間への引き継ぎ(第三セクタとして)現在に至る。

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ピラタス蓼科ロープウエイの『ピラタス』は、ローマ字で『PILATUS』と書く。

この言葉(ピラタス)は、実在する山の名前で、スイスの中央に位置するルツェルンにあり、一大観光地として知られており、アルプスの眺めや四季を通じたレジャーが盛んな地域である。

このロープウエイもそのルツェルンにあるピラタスのようにアルプスの眺めが素晴らしく、また、一大観光地として栄えるように名付けられた名前である由。この名前の由来は、紀元26年から36年にユダヤのローマ総督であった「ポンティウス・ピラトゥス」からつけられたという。

山頂「坪庭」は、流石に2000mを超えた高さのため、平地の植物体系とは違っていて、また濃いガスが発生していたため、高山植物や奇岩が幻想的な佇まいを見せていた。

本来快晴なら、天狗岳から西岳に至る八が岳連邦は勿論のこと、南・中央・北アルプスの諸峰が見える一大山岳パノラマが堪能できたはずだが、今日はあいにくの曇天であり、濃霧に囲まれてパノラマ・ビューは無理であった。



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2008/9/30

蓼科山荘と庭園  Digital Photos

作品番号:NO.73  
作 品 名:蓼科山荘と庭園      
撮影場所:北八ヶ岳蓼科      
撮影年月:SEPT.’08

ピラタス蓼科ロープウエイ山頂から、再びロープウエイに乗って下山してきたが、頂上坪庭では濃霧に囲まれて視界が限られ、周囲が良く見えなかったが、標高差が466mあるので、2000mを過ぎると曇ってはいるが、八ヶ岳連邦が視界に入ってきた。

紅葉にはまだ早いが、幾分イエロウオーカー・バーントシェンナ-がかった色彩の樹林の上に、連邦の山頂を確認することが出来た。

山荘に戻って入浴後、夕食をとりながら、盃とグラスを傾けて談論を重ねて愉しいときを過ごした。

議題は、やはりサブプライム問題の行方・シニアの健康管理問題・リトアニア海外体験の報告・現下の政治情勢分析など多岐に亘り、既に実業界から引退した身でありながら、娑婆の世界の行く末には、未だ関心が放れそうもない。

3枚の写真は、宿泊したT社蓼科山荘の良く手入れされた庭園の佇まいである。西洋庭園とも日本庭園とも違う、緑の絨毯に苔むす樹木の森が続き、縦横の木道から眺める樹木の姿は、幻想的な趣を伝えていた。

今年は、大学卒業後45周年になり、来月は母校でHome Coming Day を実施するのだと言う。

しかし夕食を共にしながら談論すると、声の調子や声音、身振りや話し方は、あの当時とあまり変わっていないことに驚かざるを得ない。唯一変わったのは、体形と頭髪の少なさかもしれない。真性認知症についても大いに議論されたが、元気なやりとりを聞く限りは、今のところ問題なさそうであった。

クリックすると元のサイズで表示します翌日は、蓼科山荘からマイクロバスを仕立てて、152号線を北上し、上田市武石地区に赴いた。

目的は、7年前に他界した同期・同ゼミテンのH君の墓参である。60を過ぎたところで3児と奥様を残して帰らぬ人となり、更に奥様もその後逝去されたので、皆で埋葬されている墓を詣でてきたわけである。

優秀で温和な人柄の友人であったが、我々も認知症に留意して、近付いてきた「古希」を健やかに迎えられるよう、健康に気をつけようと誓い合ったことだった。










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2008/8/7

伊吹山高山植物  Digital Photos


作品番号:NO.70  
作 品 名:伊吹山高山植物      
撮影場所:滋賀県・岐阜県境伊吹山      
撮影年月:AUG.’08

8月5日、北京五輪の開幕が間近に迫り、高校野球の甲子園では熱戦の火蓋が切られ、熱い・暑い日が続いているが、シニアの写真仲間で日帰りの「伊吹山撮影旅行」へ行ってきた。

早朝6時に茅ヶ崎を発って、小田原から久方ぶりの新幹線に乗車し、名古屋からは近鉄の直通バスで伊吹山頂まで所要約100分、11時には山頂の駐車場に到着した。

7年ぶりで新幹線に乗ってみると、小田原・名古屋の駅も改装されて空港を歩くような趣であり、列車も天井や椅子の高さが低くなり、これも旅客機のように感じられた。抵抗の少ないパンタグラフが全車両で2本しか付いていない事にも驚き、時代の変化の速さを先ずは実感した。

岐阜県と滋賀県の県境にある伊吹山地の主峰:伊吹山(いぶきやま、いぶきさん)は標高1,377.3m。滋賀県最高峰の山で日本百名山のひとつでもある。琵琶湖国定公園の一部、三角点が置かれている頂上は滋賀県米原市に位置する。

古くから霊峰とされ、日本武尊が山の神との戦いに敗れ傷を負った地とされる。中京圏および京阪神から近いために現在は観光地として親しまれており、春から秋にかけてはハイキングや登山、冬場は伊吹山スキー場でスキーやスノーボードを楽しむことができる。

山麓から山頂にかけて様々な野草が自生するお花畑がある。景観は高山の高茎草原そのものの様相を見せる。主なものとしてルリトラノオ、ニッコウキスゲ、メタカラコウ、ハクサンフウロ、クガイソウ、オオバギボウシ、シシウド、シモツケソウなどがある。

伊吹山ネイチャー・ネットワークという「山の語り部事業」のガイドがおられ、説明用のパンフを購入して見ると、更にイブキレイジンソウ、イブキアザミ、コイブキアザミ、イブキジャコウソウ、イブキトリカブトといった「イブキ」の名を冠する植物も自生するという。

クリックすると元のサイズで表示しますまた、昭和2年2月14日に観測された11.82mの積雪は、世界山岳気象観測史上1位とされる積雪の世界記録である。伊吹山は良質の石灰岩を産出する場所として知られており、近代のコンクリート・セメント需要の急増により、伊吹山の石灰岩も大量に採掘されて、現在では山姿が変貌するまでに採掘が進んでいることも知らされた。

昭和40年に岐阜県関ヶ原町から山頂近くまでの「伊吹山ドライブウェイ」が開通。伊吹山は地理的・地質的・気象的に、昔から草本植物や薬草の宝庫として知られ、伊吹山だけの特産種(固有種)も数多く存在するなど、植物研究史上貴重な山となっている。

伊吹山全体では高等植物が約1,250種分布、その内山頂一帯のお花畑では約350種が見られるという。伊吹山ドライブウェイの山頂駐車場から伊吹山山頂へは、3つの登山コース(西・中央・東遊歩道)があり、一帯の美しい景色やお花畑を楽しむことができる。




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2008/8/7

伊吹山高山植物  Digital Photos
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作品番号:NO.71  
作 品 名:伊吹山高山植物   
撮影場所:滋賀県・岐阜県境伊吹山    
撮影年月:AUG.’08
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さて、到着した駐車場の右手から山頂まで約40分の「西遊歩道コース」からゆっくりと登り始める。

この遊歩道は道幅が広く傾斜も緩いので、歩きやすい北西向斜面を登ることになる。

このコースのお花畑は山頂付近に一番たくさんの花が美しく咲き乱れ、低木をまじえたお花畑で、今の時期は、オオバギボウシ―メタカラコウ群落、クガイソウ、イブキトラノオ、キオン、キンバイソウ、シモツケソウ、キバナノカワラマツバ、キヌタソウ、シュロソウなどが色とりどりに咲いている。

特産種のルリトラノオは花がクガイソウに似ているが、鮮やかな瑠璃色で葉が2枚向き合ってついて、8月上旬からお花畑の中に多数開花するとのこと。山頂近くの平坦になってきた場所には、キバナノレンリソウ、キンバイソウなどが目立つようになる。

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尤も、これらの花の名は後刻パンフで確認して「ああこれが、あれか」と分かった次第で、散策している間はとにかく花の絨毯がびっしりと続き、ただただ圧倒されるばかりであった。

頂上付近に防雪柵があるが、その横の両脇の稜線(崖縁)に立つと、晴れていれば眼下に琵琶湖を一望でき、湖中に浮かぶ竹生島、沖ノ鳥などや平野部には蛇行する姉川が見え、遠くには北アルプス、立山連峰、若狭湾まで見えると案内に書いてあったが、残念ながら若干ガスが出て全くの快晴ではなかったため、その方向の山々や湖を想像するしかなかった。

頂上にて、流石に吹き上げる涼風を心地よく感じながら昼食と小休止した後、山頂付近を散策。

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山頂には旧測候所があり、この近くは山小屋のえびす屋主人がゴミの山だった場所を10年かけて手入れしたところで、シモツケソウ、シシウド、メタカラコウ、イブキジャコウソウの群落となっていて、伊吹山本来の植物の多様性が生きているのだそうだ。

さて、下りは山頂から約60分の「東遊歩道コース(下り専用)」。

この山頂東側のお花畑はシモツケソウ―メタカラコウ群落で面積も広く、満開に近い美しさは素晴らしい。
草原中にはテバコワラビ、クモキリソウ、コケイラン、キバナノアマナ、イブキソモソモ(南限種)や、石灰岩の露岩上にはミヤマノキシノブ、カラクサシダも着生。下山道沿いに風穴(ドリーネ)、ササ群落中に凹地があり、夏でも涼しい。
このような場所の岩肌に、コタニワタリ、セントウソウ、ヒメフウロ、ヒカゲミツバ、イワボタンなどが生える。低木群落を過ぎると、両側にドリーネがあり、その中にはフジテンニンソウ群落やイブキトリカブトの群生が見られる。

少し進むと、丈の高いチシマザサ群落になり、石灰岩の露出が多くなる。さらに進むと低木やチシマザサが多く、その下にはサンカヨウ、ヤグルマソウ、オオカニコウモリなどが見られる。

これらの名前も勿論のこと全て後知恵である、カメラ片手では花の名前までは気が回らない。下山の終わりに近付いた時、前の人がいつもより早くも咲き出したイブキトリカブトを教えてくれた。お花畑散策時間もたっぷりの3時間半。

西遊歩道から東回りをゆっくり歩くことができた。このようにゆっくり歩くと、まだ咲き始めの蕾や小さな花、またウグイスはその姿まで見つけることは出来なかったが、間延びした鳴き声まで聞くことが出来たのは望外の余禄であった。





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2008/6/14

可睡ゆりの園  Digital Photos
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作品番号:NO.68  
作 品 名:可睡ゆりの園      
撮影場所:静岡県袋井市      
撮影年月:JUN.’08

6月12日は、梅雨の真っ只中。発達した低気圧も南から接近していて、典型的な梅雨の気圧配置であったので、前日が真夏のような快晴であったが、天気予報は雨のち曇りで、撮影旅行には不向きな模様であったにも拘わらず、15名の同好同志は花の頃合良しとして、勇んで出掛けた。今回はシニアの男性10名に、任意参加の女性5名が加わって華やかなバス旅行となった。

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行き先は、静岡県「可睡のゆりの園」と「加茂花菖蒲園」で、茅ヶ崎から東名高速道路の袋井ICを降りて、約10分で先ずはゆりの園に到着。

アクセスは鉄道の場合はJR東海道線袋井駅より可睡斎行きバスで15分。

「可睡ゆりの園」は、袋井市久野にあり、日本のゆりよりも世界150余品種のゆりが全部見事に開花していて、恰もゆりのシンフォニーの競演のごとくであった。

南入り口を入るとすぐ目の前に南斜面全面黄色、まさに黄色のジュータンを敷いたようで、参観者は全員その壮大さに息を呑んだ。

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更に進んで北西側の五色混色の林も見頃であった。

特に林の木々に、蔦の絡まるテッセンを配したアレンジメントは非凡もセンスである。園の北側の丘は一転して5色の絨毯が配されておりこれも圧巻。

現在は花数が1番多く、園内全体が見ごろとの事だった。20日くらいからはハイブリッドに品種が変わり、香りも楽しめるそうだ。

林と丘の中間には、オレンジと白のゆりが群生しており、手前には滝が配されていた。
最後の正面入り口付近は、赤とオレンジのゆりが帯のように咲きみだれていた。

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パンフレットによると、ゆりの原産は世界に約96種が分布していると。

アジアが59種、北米が25種、欧州が12種、日本にはそのうち15種が自生している。日本だけのものはオトメユリ・ササユリ・ウケユリ・タモトユリ・ヤマユリ・サクユリ・イワトユリ・イワユリの7種。

他の国でも見られるものは、テッポウユリ・ヒメユリ・エゾスカシ・スゲユリ・コオニユリ、オニユリ・クルマユリ・カノコユリがある。最近では原種に改良を加えて、観賞価値を高めた園芸品種が数多く育成されているのだという。

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今回参加の5名の女性を前にして、「今回、なぜゆりを撮りに来たか分かりますか?」と聞いて、「立てば芍薬、歩けば牡丹・・・・・・・」と言ったら、「歩く姿は私たち・・・・・・」とすぐに切り返された。



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2008/6/14

加茂花菖蒲園   Digital Photos

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作品番号:NO.69  
作 品 名:加茂花菖蒲園      
撮影場所:静岡県掛川市      
撮影年月:JUN.’08

袋井の「可睡ゆりの園」を後にして、次の目的地掛川市「加茂の花菖蒲園」に向った。この頃から雨も完全にやんで、薄日がさしてきた。

雨の予報を信じて皆は傘はもとより、完全武装の雨具やカメラ保護のためのビニール覆いなどを準備していたが、どうやら雨の心配はなくなってきたようだ。

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「加茂花菖蒲園」は、静岡県掛川市原里にあり、1,500品種・100万株の花菖蒲が咲きそろっている。

此処も丁度見頃を迎えていて、しかも入り口から奥までが一望に見渡せるため、言葉は陳腐だがやはり圧巻である。

隣接して3,000平方メートルの多目的温室があり、こちらもベコニアなどのHanging Baskets が温室の天井から垂れ下がっていて、豪華この上ない様相を示していた。 

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HPによると、<加茂家は桃山時代からの庄屋であり、天正十七年に当時浜松城主であった徳川家康よりの書状をはじめ、江戸時代を通ずる古文書多数を蔵し、近世史家の間に加茂家文書として知られているとのこと。

慶長九年の検地帳によれば、当地(遠州佐野郡桑地村)の過半を占める、極めて有力な庄屋であった。当地としては等一級の地主となる一方、掛川藩から地方御用達として、公認の金融機関の役割も持つようになる。

庄屋時代の加茂家は、国学、和歌などに熱心であり、文人墨客の往来が盛んであったようだ。明治以降は当地の代表的旧家として知られて来たが、戦後の農地改革で約五十町歩の耕地を失い、時代の流れに消えるかにみえた。

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しかし昭和の三十年代より始めた花菖蒲園経営(加茂花菖蒲園)により再び脚光を浴び、旧家の復元補修も出来るようになった。

今日ではシーズンに約十一万人もの人々が訪れ、日本でも指よりの花菖蒲園として知られている。現在の長屋門、厩、母屋の階下などは江戸時代中期の安永二年に建てられ、約220年を経ている。

花菖蒲は厄除けとして古くから作り伝えられていたが、明治初めに拡張され、門前に花菖蒲園が出来た。戦時中は食糧増産のため縮小されたが、戦後に復活拡張されて今日の姿になった。>

丁度見頃の時期だったようで、花菖蒲・アジサイ・ベコニアなど全ての花が、満開の姿を見せてくれていて頗る幸運であった。




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