2013/5/5
2013年 子どもの日に思うこと 社会三層構造について
周りを基準にして生きることが、あまりにも当たり前になってるこの社会で、周りの基準が操作されたモノでも、極端に偏ってるモノでも、その異常さに気がつかない事があることは、驚くに値しないでしょう。
放射性物質の基準値もそれですが、公教育の質、地域コミュニティーの質、ネット社会の質も同じです。
人がその異常さに気づくか気づかないかは、1.自分が痛い目にあう 2.家族が痛い目にあう 3.社会に対する関心(物事の本質を知りたいと思いながら生きている)というきっかけが考えられます。
こどもの日に総務省が発表した子どもの人口の調査結果をみると、大阪府は、原発事故があった福島県と同数の前年度から1万1000人の減少で全国でもワーストです。
さて、天王寺ナーサリーのクラスにいる子ども達にできうる限りの良い環境を整えたいということから、つたなく小さな実践ではありますが、スタッフの育成をはじめました。
おやごさんからの参加費も自己申告制としていますが、同じくスタッフの方の報酬も自己申告制としています。前者の方からは「天王寺ナーサリーの活動に対して各ご家庭からご協力いただける額」を後者の方からは「この仕事に携わるに当たって生きていくのに必要な額」を申告していただいています。
パートナーに一定の収入があれば無償で引き受ける、学びや仕事に就くためにかかる経費を申告する、一人親なら子どもを養える額を申告することが必要になります。労働時間、能力によって決めるのではなく、それぞれの価値観で生きていくのに必要な額を申告するということです。
ですのでスタッフは初心者でも可能ですが、実践しながら学んでいく姿勢のある方にお願いします。本来なら何らかの修行の時期ですので一般的には無報酬となるか逆にノウハウを学ぶために受講する立場なのかもしれませんが、それをこちらから設定することはありません。
但し、子ども達をスタッフのスキル向上のための実験台にするわけではないので、スタッフの方へは妥協することなくお伝えしていきたいと思っています。
現在、参加者には基準額を設定しています。スタッフには基準額を設定していませんが現実に対応できる報酬額は「参加者から戴いた総額」によって決まります。
このやり方が理想の最終のかたちではありません。
この実践を通して、子どもを導く大人として「お金」にまつわる意識を覚醒して行ければと願っています。なぜなら、社会が拝金主義である限り、人間らしく成熟することはとても中途半端な上に、崩壊を避けられないからです。
「経済過程を変化させて、その中で人間の労働力が正当な在り方をするようにしようとしても無駄である。この労働力を経済過程から引き離して、商品の性格を取り去ることができるような社会的な力を見出そうとしなければならない。」―【現代と未来を生きるのに必要な社会問題の核心】R.シュタイナーより抜粋
月給であれ時給であれ能力給であれ実績によるモノであれ、人間の労働力(能力)によって対価を決めるのは人間を商品と見立てている奴隷制度と変わらないのです。だからといって、一律に決めるというのは、個人の意志が活かされません。だから経済の領域には人間がもつ一つの能力としての「友愛」が必要になるのです。愛はその可能性を誰もが持っているとしても、育てなければ存在を隠してしまいます。
「経済の流れに意志的に向かう友愛」
「法の下での平等」
「精神における自由」
「愛」「平等」「自由」はそれぞれが相応しい領域があるということです。この3つがどこで力を発揮して良いか混迷しているのが現代の課題だと思います。
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放射性物質の基準値もそれですが、公教育の質、地域コミュニティーの質、ネット社会の質も同じです。
人がその異常さに気づくか気づかないかは、1.自分が痛い目にあう 2.家族が痛い目にあう 3.社会に対する関心(物事の本質を知りたいと思いながら生きている)というきっかけが考えられます。
こどもの日に総務省が発表した子どもの人口の調査結果をみると、大阪府は、原発事故があった福島県と同数の前年度から1万1000人の減少で全国でもワーストです。
さて、天王寺ナーサリーのクラスにいる子ども達にできうる限りの良い環境を整えたいということから、つたなく小さな実践ではありますが、スタッフの育成をはじめました。
おやごさんからの参加費も自己申告制としていますが、同じくスタッフの方の報酬も自己申告制としています。前者の方からは「天王寺ナーサリーの活動に対して各ご家庭からご協力いただける額」を後者の方からは「この仕事に携わるに当たって生きていくのに必要な額」を申告していただいています。
パートナーに一定の収入があれば無償で引き受ける、学びや仕事に就くためにかかる経費を申告する、一人親なら子どもを養える額を申告することが必要になります。労働時間、能力によって決めるのではなく、それぞれの価値観で生きていくのに必要な額を申告するということです。
ですのでスタッフは初心者でも可能ですが、実践しながら学んでいく姿勢のある方にお願いします。本来なら何らかの修行の時期ですので一般的には無報酬となるか逆にノウハウを学ぶために受講する立場なのかもしれませんが、それをこちらから設定することはありません。
但し、子ども達をスタッフのスキル向上のための実験台にするわけではないので、スタッフの方へは妥協することなくお伝えしていきたいと思っています。
現在、参加者には基準額を設定しています。スタッフには基準額を設定していませんが現実に対応できる報酬額は「参加者から戴いた総額」によって決まります。
このやり方が理想の最終のかたちではありません。
この実践を通して、子どもを導く大人として「お金」にまつわる意識を覚醒して行ければと願っています。なぜなら、社会が拝金主義である限り、人間らしく成熟することはとても中途半端な上に、崩壊を避けられないからです。
「経済過程を変化させて、その中で人間の労働力が正当な在り方をするようにしようとしても無駄である。この労働力を経済過程から引き離して、商品の性格を取り去ることができるような社会的な力を見出そうとしなければならない。」―【現代と未来を生きるのに必要な社会問題の核心】R.シュタイナーより抜粋
月給であれ時給であれ能力給であれ実績によるモノであれ、人間の労働力(能力)によって対価を決めるのは人間を商品と見立てている奴隷制度と変わらないのです。だからといって、一律に決めるというのは、個人の意志が活かされません。だから経済の領域には人間がもつ一つの能力としての「友愛」が必要になるのです。愛はその可能性を誰もが持っているとしても、育てなければ存在を隠してしまいます。
「経済の流れに意志的に向かう友愛」
「法の下での平等」
「精神における自由」
「愛」「平等」「自由」はそれぞれが相応しい領域があるということです。この3つがどこで力を発揮して良いか混迷しているのが現代の課題だと思います。
