*菜の庭学舎*は、 天王寺ナーサリーとして、乳幼児の発達と親の学びの親子クラスと新生児の訪問ケアを、天王寺学舎として小学生クラス、大人向けのアントロポゾフィーの講座を開設しています。 場所は大阪市内、天王寺周辺。 すべての講座に関してのお問い合わせ、お申し込みは、kodomonojikan_osaka★yahoo.co.jpもしくはフェイスブックのメッセ−ジでご連絡下さい。(★を@に変えて下さい。) フェイスブックではクラスの様子をお伝えしています。 https://m.facebook.com/kodomonojikan.osaka/

2014/12/28

アドヴェント・ガーデン2014を終えて【2】  イベント

今年もアドヴェント・ガーデンを行いました。
私がこの行事を始めてからもう十数年が経ちます。

天王寺ナーサリーを始めるずっと以前から同じ場所で行ってきました。
当時の幼児さん達は既に成人したりまもなく成人するほど大きく育ちました。

何百人という子ども達一人一人のその時の様子と成人を迎える今の様子を観るにつけ、
幼児期の身体発達の重要性、親との関係の大きさをさらに強く思います。

りんごろうそくを持って歩く姿には、本当にその子の今の状態がはっきりと映し出されます。
これ以上でも以下でもない子どもの今の姿が、たった数秒のうちに濃縮して表現されます。

この行事はヴァルドルフ教育の治癒教育(保護を必要とする子ども達の教育)の現場から生まれたと伝え聞いていますが、これを行う時期、フォルム等、素晴らしい意義をもった行事だと実感しています。

前の人が行った通りに動ける第1七年期の子ども達は、リハーサルや説明は不要です。
実際、Aグループのラストの2歳半の女の子も、火を灯した後の帰りに少しのジェスチャーでの誘導だけで最後までやり遂げました。

第2七年期の子ども達は言葉で説明したことを覚えておいて忘れかけても思い出すことができます。A、Bグループとも小学生の子どもに先頭をお願いしました。言葉で伝えられたことを身体行動に移し実行する、これは緊張と慎重さを伴う場面では大人でも保持することは難しいですね。言葉と身体の一致がより必要なお子さんにこの先頭という役割をお願いしました。

Bグループの小学生達の詩の朗唱。子ども達の身体に言葉が少しずつ染みこんでいく様子が感じられたと思います。言葉には力があります。ふだんはふざけてばかりの子ども達がとても堂々としっかり地に足をつけて朗唱していたことが印象的でした。

3歳なら途中で迷うこともあるでしょう。
4歳ならお手本を見て、ああやるんだなと身体が反応した足取りで歩くでしょう。
5歳なら足取りに確かさが生まれるでしょう。
それ以上ならその確かさの上に、その子らしさが現れてきます。

本来なら。


身体の発達の状態によって、これらは当然違う事になり得ます。

まっすぐ歩けない、身体が斜めになる、スパイラルを描く木の葉の上をまたいでいく、逆行する、星に気がつかない、待ってるときにおしゃべりが止まらない、待っているときにバタバタ動く、一人で座れない、一人で行くのを泣いて嫌がる、歩けるのに歩くのを拒否する(抱っこならやる)、力んでドタドタと音をたてて歩く、遂行することに気持ちが向きすぎて足で木の枝をけちらしている(本人は気付いていない、もしくは気付いても違和感を感じていない)等。

中心まで歩いて行き、火を灯した後、子ども達の動きに変化はあったでしょうか?
中心まで歩いて行くプロセスも、火を灯すプロセスも、リンゴを置くプロセスも、その都度その子の身体性内面に響いていれば当然変化が起ります。

行きと帰りが全く同じペース、足取り、表情だったお子さんは、遂行しただけで体験してない事に等しい状態です。年齢不相応のこの義務遂行という意識の覚醒、これは日常的に神経系に負担がかかってる状態を表わします。日本ではこういうお子さんを「おりこうさん」と評価する事が多いようですが・・・指しゃぶり、チック(言葉の繰り返し含む)、おねしょ、暴力性、若年性の弱視、できそうに無い(と思い込んでる)事への極端な投げやりな態度。
そして、自己肯定感が低い事から自己認識のゆがみに繋がり、それが自覚されないまま自分に表と裏がある事になっていき、他者を信頼できない、自己肯定感が低いから権威と思われる人に頼らざるを得ない感覚に陥るという負のスパイラルへと繋がっていく可能性が大きくなります。


日常生活が、義務感からの、もしくは他者の評価からの遂行で毎日を送っている、

体感を伴う体験からの、もしくは関係性の中から身体を通してわかる!という感覚を感じながら毎日を送っている、

もしくはそのどっちもを持ったまま綱渡りしている、

このスパイラルを一人で歩く子どもの姿から、様々な事が見えてきます。



そして、大人がどれだけ色々考えたり感じたりして立ち止まろうとも、

このスパイラルを歩くこと数十秒の間にすら成長している子ども達。

そしてこのスパイラルを体験した子どもが、

部屋を出た瞬間から動きがかわるほど留まることのない成長の時期を過ごしていることを、

私たち大人はしっかりと受け止める必要があるでしょう。


期日までにお寄せいただいたレポートに返信をしました。
レポートを読んでいて感じた事は、自分の目で見て自分の感情で感じたことを自分の言葉で語っている文章は、感動的です。
が、そうでない文章は読んでいても息苦しくなる。

おそらく、レポートを書いたのと同じくお子さんに対しても、何を根拠にコミュニケーションしているか?というのは同じだろうな、と。

子どもの様子を描写するときに使う言葉からその人の思考パターンの偏りが見え、その偏った言葉を無意識に使い続ける事によって、思考が規定されてしまう。

だからこそ、ツイッターで言葉を可視化しながらその偏りに気付いて前に進めるように促していきたかったのですが、やはり偏ってる方はそれすらしようとはしない。病気(偏り)で一番やっかいなのは本人に病識(違和感)がない事です。本人に病識(違和感)がありなおかつ直したいという時にしか治療(学びを共に行う事)はやりようがない。

レポートを読みながら、学びから子どもを観ることが深まったな、もしくは、あー全然伝わってないか・・・等と1年間を振り返り、親の認識次第で子どもの発達がこれほどまで大きく影響するいう現実に絶望と希望が綯い交ぜな気分です。

今は年齢が小さいため差異は小さい物のように思われるかも知れませんが、その日々の積み重ねが成長なので、今、親の子どもを認識する方向性が子どもの本質から1oズレていてそれに気付かなければ先に行ったときのズレは大きくなるしかありません。

そしてそれが自然に修正されることはまず、無いでしょう。

少々の偏りは修正されるとても良いチャンスになる子どもの異年齢でのふれあい遊びや、物質的な自然自体ががその大きな懐で子ども達を引き受けてくれる機会も日常には無くなってしまった事、祖父母の存在までが過干渉でありうる現代の子育て状況では、悪化することはあっても、自動的に健全になることは奇跡に近いこと。

年明けからのクラスの方向性を改めて探り直しています。




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