*菜の庭学舎*は、 天王寺ナーサリーとして、乳幼児の発達と親の学びの親子クラスと新生児の訪問ケアを、天王寺学舎として小学生クラス、大人向けのアントロポゾフィーの講座を開設しています。 場所は大阪市内、天王寺周辺。 すべての講座に関してのお問い合わせ、お申し込みは、kodomonojikan_osaka★yahoo.co.jpもしくはフェイスブックのメッセ−ジでご連絡下さい。(★を@に変えて下さい。) フェイスブックではクラスの様子をお伝えしています。 https://m.facebook.com/kodomonojikan.osaka/

2016/7/10

小学生・親クラス'16 ー2  大人の学びクラス

コメントを書いてくださった方、ありがとうございます。

ツイッターでは個々のお子さんの様子に関してリプライしています。
こちらでは子どもの発達の共通点について書いていこうと思います。

「今日他者にしてもらった事」これをカウントする事は不可能です。
何故か?星の数ほどありますから。

コメントで上げていただいたのはご自身と直接関わった方が大半でしたが、

では、今日着ている服は誰が縫製しましたか?誰が染色しましたか?靴は?
美味しいご飯を乗せた食器は?その食材は?料理に使った水は?
洗い物で使った水を流した配管は?その処理は?
過ごした空間は?エアコンは?電車は誰が作りメンテナンスし動かしてますか?
家にある雑貨の数を振り返ればモノのだけでもすごい数!ですね。

「他者」と書きましたので人間だけで考えてみてもカウント不可能。

地球が現在の状態に安定して存在してるのは?

キリがありませんね。

生きてるって事は、本当に無限大の人のお世話になってるという事。
その多くの人の関わりが社会。

直接面識がなくても出会ってなくても社会の中で生かされてるという実感を持って日々を送っていれば、地球上の国々の人々の暮らしに関心を持たないという事はありえないでしょう。

けれど、恩恵を受けたと実感できる範囲が浅ければ、関心を持つ社会の範囲も小さくならざるをえませんね。

社会的に、視野狭窄状態。

見えてるはずなのに意識に上がっていない状態。
触っていても、見ていても、聞いていても、匂っていても、それを感受していない状態。
意識に上っていないなら、考える事も無いままでしょう。

考えが及んでいる事及んでいない事は生活スタイルに表れます。
その人の見えてる範囲で決断し行動します。
そういうモノの扱いをします。
そういう対人関係を持ちます。
そういう言葉使いをします。


生まれてきた幼い子どもたちは乳幼児期の模倣の衝動という普遍的な能力により、

周りの大人(親)を模倣します。



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