*菜の庭学舎*は、 天王寺ナーサリーとして、乳幼児の発達と親の学びの親子クラスと新生児の訪問ケアを、天王寺学舎として小学生クラス、大人向けのアントロポゾフィーの講座を開設しています。 場所は大阪市内、天王寺周辺。 すべての講座に関してのお問い合わせ、お申し込みは、kodomonojikan_osaka★yahoo.co.jpもしくはフェイスブックのメッセ−ジでご連絡下さい。(★を@に変えて下さい。) フェイスブックではクラスの様子をお伝えしています。 https://m.facebook.com/kodomonojikan.osaka/

2010/2/19

体験談ー3  天王寺ナーサリー便り

続きです。

例えば、オムツが取れない、もしくはおしっこを言わないで、親が誘っても我慢してトイレに行かず、時々失敗するというご相談があります。

おそらくお母さん方の集まりでは皆さんそれぞれの体験を話して盛り上がるでしょう。うちはこうだった。こうしたらできるようになった。などなど。

そういう体験談を聞くと、どの方法ならわが子にうまく適応するか(この時点で子どもを他所の子と比較するというループに入ることが多いようですが)、思いをめぐらすでしょう。選んだ方法がぴったりはまった!というラッキーな親子もいるかもしれません。うまくいかないことも当然ながらあります。そうするとさらに悩みが深くなりはしませんか?「何でうちの子はできないんだろう」と。問題はこの問いには、「他所の子はできたのに...」という続きが引っ付いていることが多いことです。

成長する過程で次々と出てくる問題に対してそのように「体験を集め続けること」は可能でしょうか?そもそも私たちが意識を向ける必要があるのは、「できる方法」だけでしょうか?

その延長線上がおそらく、合格者数○○名という塾や学校の実績(成功例が多いほど説得力があるように感じ)に親たちの心が惹かれる理由でしょう。多くがそこに集まります。そして皆が選んだことと同じようにしなければ「できない」という思い込みを自ら助長しているように私には見えるのです。

それが、効率よく(わが子にも)当てはまる(はずの)方法だと!

それが結果、勝ち組負け組みという単一的な価値観を自ら引き込んでいることになっていると私には思われるのです。

世の中とはそういうものだと思っている方もいらっしゃるでしょう。
私はこの言葉を聞くたびにその声のトーンに引っかかるのです。
「所詮世の中なんてそんなものだよ」と言うときに「生き生きと」それを語る方を見たことが無いからです。

世の中の窮屈な価値観は知らない誰かが作っているのではなく、その時代に生きている人々が多かれ少なかれ、又は意識的に無意識的に持っている私たちの感情が作り出しているのではないでしょうか?


3歳の子どもが上記の排泄に関して自立に向うことが難しくなってる場合、その子ども自身の成長のバランスをもう一度よく観察します。その観察する指針・手助けとなるのが、人間の持っている12個の感覚であったり、自我の発達の見通しだと私は考えています。

私は、出会った子どもその子自身以外から何かを付け足してあげることはできません。
ナーサリーの時間に行っていることは、子どもの発達のバランスをよく観察し、そのバランスが整うような環境を設定することです。室内遊び、外遊びの「遊び」の中に。お母さん方の手仕事の中に。それは子どもの生命の形成再生力を支える、リズム―呼吸・血液の循環を整えることを何よりも前提としているのです。そしてその形成された身体をもってそれをその後の人生の土台にして成長していくのです。(12感覚の発達・7年周期の変容)


「体験談」終わり。




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