*菜の庭学舎*は、 天王寺ナーサリーとして、乳幼児の発達と親の学びの親子クラスと新生児の訪問ケアを、天王寺学舎として小学生クラス、大人向けのアントロポゾフィーの講座を開設しています。 場所は大阪市内、天王寺周辺。 すべての講座に関してのお問い合わせ、お申し込みは、kodomonojikan_osaka★yahoo.co.jpもしくはフェイスブックのメッセ−ジでご連絡下さい。(★を@に変えて下さい。) フェイスブックではクラスの様子をお伝えしています。 https://m.facebook.com/kodomonojikan.osaka/

2017/1/4

2017 謹賀新年  天王寺ナーサリー便り

あけましておめでとうございます。

幼い子どもは、徹頭徹尾模倣する存在です。
社会が変われば子どもの育ちも変わる。
幼い子どもの社会とはまずは親。

私たちが生きている2016年、どんな社会だったでしょう?
私たち一人一人はどのくらい人間的に暮らしているでしょう?

人間であるとはどういうことでしょう?

年が明けて2017年。
子ども達を観ていると、
益々色んな事が2極化していくと思われます。
人間的であることと非人間的であること。

子どもの発達は、まずは親次第。
だからこそ、他者の支えが必要なのではないでしょうか?
他者の支えとは、相互理解の事。

助けてもらう為には何が助けてもらう人自身が何が必要かということを相手に伝える必要があります。
助けるためには、相手が何が必要かを認識したうえで自分が出来る事を知っている必要があります。

そう、それぞれが「自己」であることの自覚が無いと相互理解には至ることが出来ません。

自己であることの意識。

明らかに子ども達の発達が遅滞していますが、現役の親御さん方は15年前の子ども達を知りませんから、その時代との差はご存じないかも知れません。もっと遡って今70代の世代の方々の子ども時代と今の子ども達の発達はもっと差があります。良い方にでは無く悪い方に。
明らかに身体性の発達はこれ以上無いくらいに、停滞しています。

2017年、今年は厳しい年になると思います。

天王寺ナーサリーの子育て支援は、子どもの発達を促すために行っています。
親御さんの気に入るような子どもに仕立て上げる事でもなく、
親御さんに同情する事でもなく、
子どもの発達を促す事ができるのは、親御さん次第であり、それが可能であると言うことを伝えるために行っています。

親御さんがまずは「自己」であること。

大人になったらもう外からの教育は無効です。
自己教育でしか進めない。

代りにやってもらう事を望んでいたり、出来ないと簡単に放り投げてしまったり、出来ないという評価で自己嫌悪に陥ってたり、お金でサービスを買うように子どもの育ちを丸投げしたりする、精神的な幼稚さや、教育によって習慣づけられた思考パターンなど罠がそこここにしかけられています。

さらなる発達の遅滞に対して、歯止めがかけられるとすれば、親がまずは我が子に本当の関心を向けること。

親御さん方が我が子への真の関心を覚醒させること。
私たちスタッフが代わりに覚醒することは出来ません。

私たち天王寺ナーサリーのスタッフは、祈るような気持ちで新年を迎えました。



天王寺ナーサリー
伊藤 由香








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2016/7/18

発達障がい  天王寺ナーサリー便り

私たちは、発達障がいについて、器質性だと考えています。
しかし、生まれつきかどうかは、分からない、という観点に立っています。

一定の成長を遂げた20代前後の大学生が自分たちの研究のために脳の画像を震災前と震災後に調べたら器質的な変化が脳の海馬に起こっていたというような事実が明らかになっていることからも生まれつきというには疑問が残ります。

人間は環境によって影響を受けます。

特に親からは小さくない影響を受けます。
基本的に衣食住を与えられていても、親の言動によって大きなトラウマを抱え成人して以降もそれを自分らしく生きられない障害だと感じている人は少なくない事からもその影響の大きさがわかります。

乳児期に寝返りやお座りができるようになるまで、親が親切心で手助けし続けると、幼児期に親にべったりになります。
手助けしていなくても、バウンサーや抱っこ紐、チャイルドカーシートなどで頻繁に過ごした乳児は、幼児期に自分の身体をコントロールできるようになるのに非常に困難が出てきます。

身体性が発達しなければ感覚知覚も発達を妨げられるのです。
感覚知覚が育たなければ、何か手応えを感じたい衝動は、鈍感がゆえに極端な行動になるでしょう。

乳児期から言語に重点を置いて接すれば言語には多少は長けますが、幼児期になって周りの物に異常な警戒を持つようになります。言葉が実体験を凌いでしまうからです。

乳幼児期から言語で理屈を教え込まれると、小学校に上がる頃には、自分がそれを知ってるか知らないかに異様にこだわりを持ち、知ってる事を延々話し続け、結果、新しい事を学ぶのが困難になっていきます。

これらは毎日子どもと接してる大人なら誰でも観察できる事です。

発達障がいや学習障害は、周りの影響が器質を変質させるほど子どもの発達原則に負荷をかけた、と考えるのはそれほど現実離れした観点ではないと考えます。

天王寺ナーサリーでは、この観点から、子どもの成長力のどこが滞っているか?いつの時期からその滞りが始まったのかを探り、そこから発達の調和をはかっていくという実践を行っています。

化学物質や環境汚染が生命力を削ぐ事実を本気で改善し、私たちの子どもたちー人間の本質への強い関心を手放さない事が、子どもたちひとりひとりの成長を支える事になると思うのです。
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2015/8/10

2015夏の遠足 3  天王寺ナーサリー便り

今回の遠足は1の目的をもって、2のような事を子ども達の様子から認識したうえで、
どうすれば子ども達が調和のとれた成長発達の軌道に戻っていくか?というところまで
見ていただきたいというのが今回の大きな目的でした。

当日中に全てのご家族にそれぞれ私が観ているお子さん達の様子を現地でお伝えしています。

幼児ならお弁当を食べて後、あの場でお昼寝できることで身体の発達は調和がとれていることがわかります。この日はあずまやで年長さん2人が大人の力を少しだけ借りてお昼寝しました。

小学生ならお弁当を食べて後、再度海に行って何かにチャレンジしおやつの時間頃には自らであっさり切り上げてくる事で身体の発達に滞りが無いということがわかります。


遠足後、皆さんからレポートを書いていただきました。
特に、今年度の小学生クラスはクラス後のお子さんの様子を書いていただくようにお願いしてきました。

お子さんの様子とその状態を変化を観て感じた事を書かれる方、
お子さんの行動だけを書かれる方、
私が伝えたことをそのままメモのように書かれる方、
主におやごさんご自身の感情について書かれる方、
書かない方、
様々な反応がありました。

なぜレポートをお願いしてきたかというと、私が観ているお子さんの様子とおやごさんが見ているお子さんの様子の違いについて共に考えていくためでした。

けれど、もう提出をお願いするのは止めます。

共有してその先を一緒に考えたい方は引き続きお子さんの様子をお伝え下さい。

そうでない方はそれぞれの見方で、別々の関わりでお子さんを育てましょう。
この場合は、もはやお子さんが天王寺ナーサリーに定期的に在籍する意味はないでしょう。


天王寺ナーサリーは学校でも幼稚園でも保育園でもありません。

「子ども」って何?
「成長」って何?
「成熟」って何?という問いを共に学び、
目の前の子ども達から学んだ事実から成長に必要な環境を積極的につくって行き、
関わっていくための学びの場です。

そんなことを原点に立ち戻って考えた遠足でした。
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2015/6/1

教育のゆくえ  天王寺ナーサリー便り

 本日、1件の奇妙なメールが届きました。
「入間カイ様からのメッセージ」というアドレスネームで件名が「ドロシー・マーレン氏講座のお誘い」というものです。本文を見ると「関西シュタイナー乳幼児教育教員養成コース事務局 
レインボーサークル」が送り主。

 これは、問題ないのでしょうか?

 そしてこのメールに記載されていた講座の内容もとても奇妙に聞こえる内容でした。
アントロポゾフィーに基づいた人間観ではないメソッドをシュタイナー教育に取り入れて実践することを紹介する講座だそうです。

 関西シュタイナー幼児教育協会はどこへ向かっているのでしょうか?
 
 ゲーテアヌムの本部はどこへ向かってるのでしょうか?

 世界中で様々な人々が思考し試みている幼児の健全な発達へのアプローチが結果「同じである」ということはありえるでしょうし、本質は思想や立場によって玉虫色に変わるものではないので、それは当然ありえるでしょう。

 しかし「取り入れる」と言うなら全くベクトルが違うのではないでしょうか?

 そんな接ぎ木みたいな対応を模倣の衝動を強く持つ時期の子どもに行うということの危険性をどう認識しているのでしょうか?



 今年度になって、京田辺のシュタイナー学校に長年在籍していた子ども達に直接会ったり、おやごさんから話を伺ったりする機会が複数ありましたが、その都度感じる違和感とこの奇妙なメールが、私にこの文章を書かずにはいられない衝動をもたらしました。


 なぜなら、シュタイナー幼稚園やシュタイナー学校と名乗る園や学校に通っていた子ども達の身体の健全性が著しく悪化しているというケースに少なからず遭遇するからです。
 どのケースも状態がとても悪いということに、心が痛みます。

 発達することを支える(教育)とはそもそも健康を促す事でしょう?

 発達を支えていて身体症状が改善しないとか悪くなるのは認識が間違ってるからだということを、大人の自己認識の問題だということを、きちんと踏まえていないのではないか?
と思わざるを得ません。


 少なくとも、天王寺ナーサリーの実践では、おやごさんが継続して学ばれているケースで、アレルギー体質や発達遅滞状態からの改善が見られなかった子どもは一人もいません。それらは同時に良くなっていくのです。私の能力がどうのではなく、乳幼児期の発達に置いても12感覚の理解、身体の生理学的な理解を通してのヴァルドルフ教育的配慮が身体の健全性にも当然フックしていくからに他なりません。


 私たちは、毎日のように乳幼児達から伝え送られてくる「現代生活環境故の育ちにくさ」に一つ一つ向き合い、一つ一つ耳を澄ませ、私たちの日常の中で関連している場所や方向性を具体的につかみ取り、日常の「親だからこそできること」の中から具体的な対応をアプローチを見つけて歩んでいます。
 
 それら全てはアントロポゾフィーが源泉です。

 私は独学でアントロポゾフィーを20年学んできただけの「素人」です。
 確かに医者と牧会者、教育者は共同するためにそれぞれのテリトリーをしっかりと踏まえているという前提が必要でしょう。

 けれども「親である」ということは全ての職業者でもなり得る立場であり、子どもにとっては決定的に質の違う大人です。そして全ての職業者よりも子どもに対しての責任が、それも長期間の責任を背負うのです。

 その「親としての視点」でクラスを行う事が異端だと言われ、そういう扱いをされるのは私にはどうでも良いこと。

 けれど、現状、自分たちを教育のプロの集団として広報するなら、目の前の子どもに対応できないからと本質を離れて「取り入れる」という事をするならシュタイナーの名前を出して、アントロポゾフィーを脇に置くならとても問題だと、強く強く、思うのです。


 邦域協会の分裂、学校の分裂はもうごりごりだと心底思っています。
昨日四国の邦域協会の講座に参加し、様々な年齢層の人々と出会って、新しい繋がりについて考えていたところでした。

私のこの活動は小さい存在ですが、今感じている事をまずは言語化して発信しようと思いました。


天王寺ナーサリー
伊藤 由香
 
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2014/11/18

ナーサリー・レポート 2014.11  天王寺ナーサリー便り

これまで天王寺ナーサリーでは、

@新生児のおくるみの必要性(反射運動から自己運動感覚の覚醒へ)

A1日の体温の推移のあるリズム(昼11時頃を高温のピークとする体温の変化)

についておやごさん方に説明してきました。


この2点をきちんと実行する事で、顔色の血の気のなさ、顔色の青さ(眉間眉横の青筋)、

アトピー、食物アレルギー、喘息、繰り返す中耳炎、寝汗、

おねしょといった状態が改善され、数ヶ月間も不登校(小学生)だった子どもが

数日で自ら登校するようになったりと、身体状態は大きく改善されてきました。

しかし、子ども達の身体「発達」の停滞・遅滞はなかなか改善されず、

子ども達の模倣の衝動という生まれ持った能力が「言語」だけに向けられ、

人間の身体の「動き」が模倣により身につくはずの年齢で身についていない現状の

根本原因は何か?とずっと問いを持っていました。


模倣の衝動を持っている子ども達は動きを見ればそのように動けるようになるのです。

なのに身体的が器用になっていかないという事は、

そもそも「大人や周りの人の動きそのものを観れていない」事にあり、

では「何故、観れていないのか?」というのが私にとって最大の謎でした。



家事はほぼ指先だけでできる時代ですから、

模倣する動きそのものが少ないことは当然ですが、

それ以上に、3歳を過ぎてもキチンとお箸を持つ事ができなかったり、

衣服、靴等の脱ぎ履きができなかったり、階段の上り下りが不自然だったり、

機械的な四肢の動き、おもちゃで遊ばず投げる、部屋をうろうろするだけ、

ずっとしゃべっているが内容が無い又は要求を次々投げかけるだけ、という、

4歳、5歳、6歳と年齢が上がっても、

このような「反射運動的に身体が留まり、能動的な動きが薄い」状態が続く子どもが

圧倒的に多いことが気になっていました。

そのような身体状態のまま、小学校の時期を迎えてしまえば勉強どころではありませんね。



そして上記に@とAをしても改善しにくかった、昼間の頻尿、

または頻尿とセットのおねしょ、あらゆるチック、活動時間帯の指しゃぶり、

一度完全に治ってもまた再発するアトピー、

そして幼少期から繋がる学童期になってからの新しい事に対する慢性的な消極性を

持続させてしまってる原因を


やっと

掴みました。


11月のナーサリーでは全てのクラスで この事をお伝えしています。


私にとっての「子どもの様子を観る」という事と、現代の20代、30代、

そして40代の一部のママ達の「子どもの様子を見る」その視線の先が全く違っていた事に

やっと気付いたのです。

この現代的な視線の向け方こそ、

子ども達の身体発達に大きくブレーキをかける原因だと確信しました。


あまりにもこのささやかな日常的な対応が原因だったことに気付いた時は、

衝撃で言葉も出ないほどでした。


今月半ばからこの視線ことについて、お母さん方に実践してもらっています。

本当にそれで子ども達の発達に変化があるかどうか?

しっかりと子ども達の様子を追っていきたいと思います。










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2014/8/23


あー、もう今日は、はっきり書こうと思います。

多くのママが、天王寺ナーサリーが子どもにアプローチして様々な症状が無くなっても、こっちから「その後どう?」って聞くまで治ったことを伝えてくれない事にはなんだかなあ・・・と、ずっと思ってきました。

「なんだかなあ・・・」というのは、経過から何かを学ぼうとしない事への残念な想いと苛立ちでもあります。

天王寺ナーサリーが行ってることは、日常的な事のみ。

整体やホメオパシーや自然療法的なものや食事などを重点に対応するのではなく、

本当にささやかな、遊びであったり大人の関わり方であったりです。


だから、実際に状態に変化があっても「偶然、たまたまのタイミングかもしれない」

と思われてるのかも知れませんが、

病気になるのも原因があるように、治癒にもきっかけがあります。


「何らかの具体的な手段」を使わずとも、人間同士(私と子ども)の関わりで、

子どもの状態に変化が起ったということは、

お母さんご自身のそれまでのお子さんへの日常そのものの対応が

ズレていたという事を認めざるを得ない事でもあるので、

普段から一生懸命やってると自負してるお母さんにとっては痛い事かも知れません。

さらに医療、保育、看護の専門職に就いていた方、

学歴が高く知識が豊富な方ならなおさら認め難いのだろうと察します。



私は子どもを観てそして関わったその手応えで、

その後子どもの状態がどうなったか大体予測がつきます。


お母さん方にとっては、まず「治った」という事実から学ぶ事ができるでしょう?

目の前で起ってる事実から始めることで、

子どもにとって必要な環境が具体的に明かになりませんか?

子どもの状態が解るきっかけになりませんか?

だから変化をキチンと認識して欲しいのです。


子どもの状態が変化したことを素直に捉える。
    ↓
私がどう対応していたか、クラスの講座の時間に何を話していたか思い出す。
    ↓
自分自身の拘りがそこに影を落していたことや、焦点を当てる必要のある場所がズレていたことに自身で気づく。
    ↓
子どもへは、親の拘りから開放された眼差しが向くようになる。
    ↓
拘りが取れた目に見える子どもの身体の発達は本当に力強くそして叡智に充ちています。
その事に気づくと、
    ↓
子どもを「観る」ことに純粋に関心が向く。





正直に告白すれば、クラスを止められた方の治り逃げの問題は心が重くなります。

子どもの状態がクラスに数回通うことで改善されます。

私がアプローチして何一つ変化のなかったお子さんはいません。

それくらい子ども達に変化があります。

が、親子の「関係性」がそのままだとまた再発もしくは別の症状となって現れることが、

こちらとしてはわかってるので、まずその治癒を偶然だと捉えようとしたり、

単に「凄いですね!」で終わってしまいそうになるおやごさんには、

そのままだと同じ状態を繰り返すので、

ちゃんと向き合って欲しくてさらにはっきりと現状を伝えようと努めます。

そうすると、「きつい」とか「はっきり物言い過ぎ」と批判されるのはまだ良いですが、

親がご自身の傾向と向き合うのを避けるようにクラスをやめられる事。

残念で心が痛むのは、そのような思考停止状態なら、

揺り戻しはもっと大きな問題に繋がることが予測されること。

自分には手が届かない状態で、

けれど、危険な状態が予測されるのを見守っているのは心が重くなります。

天王寺ナーサリーも7年が経ち、関わる親子の数が増えてきました。



アントロポゾフィーとは、人間理解の事。

人間を真に、人間である「個」が「個」を通して理解しようとする態度であり、行動であり、

その叡智の集積を次世代に伝えるものであり、

未来の次世代が自身の力で汲み出せるための案内標識としての現れ(言葉)でもあります。


私自身も今在籍してる親子、過去に通り過ぎた親子の事、常に理解へ向けて模索中です。

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2014/4/26

親子のやりとり。  天王寺ナーサリー便り

ある子どもが朝、「○○に行くの嫌だ」と言いました。

お母さんは「何で。行こう。今日は行くって言ってたやろ」

子ども「嫌や。ママと一緒やったら行く」

ママ「子どもの場所やから、子どもだけが行くねんで」

子ども「ほんなら行かへん」

ママ「行くよ」

子ども「嫌や〜」(声が大きくなる)

ママ「何で行きたくないの?

子ども「○○やから」

ママ「○○は今日は大丈夫やで」

子ども「○○も嫌やし、○○やから嫌や!」

ママ「そうなん・・・・」

子ども「絶対嫌や〜」(叫ぶか泣く)

ママは子どもの力に引っ張られて妥協します。

その途端子どもは上機嫌で遊び始めます。



この会話で子どもとママの関係性のズレがわかります。

何が本質的な問題でしょうか?





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