三沢光晴が亡くなったのを知ったのは日曜夕方、職場でバートさんから聞かされたのでした。
前日(土曜日)の日テレ「スーパーうるぐす」で速報的に報じられたようですが、私はDVDを見ていて、番組は見てなかったので。
ちなみに見ていたDVDは、仁義の墓場・輸入版でしたが、何度見ても救いようのない話には呆れる傑作です。
で、三沢ですが、私は彼の試合を目当てに会場に行ったことは一度もありませんが、天龍が脱退した後、観客が減った東京体育館でタイガーマスクを取ったタッグマッチと東京ドームで天龍と組み、新日本のリングに上がり、長州・ジョージ高野と戦ったタッグマッチは記憶に残っています。
武道館でジャンボ鶴田が初フォールを奪った試合も見ましたが、この試合を最後に全日本の会場には行ってません。
はっきり言って、世代交代した感が強く、三沢の試合に共感することは出来なかったからであります。
同じ事は同世代の新日本の武藤・蝶野・橋本にも言え、彼らの試合はテレビでは面白く見ましたが、そこに私の居場所はありませんでした。
数年前、東京ドームでベースボール・マガジン社主催興行「夢の架け橋」というイベントがあり、当時の全団体の試合が全て見れる、とのことで行きましたが、入場時の三沢コールの凄さには圧倒されたのを覚えてます。
その後、東京ドームでの新日本の何周年かの記念大会で蝶野との30分フルタイム戦とか見せられ、ガッカリしたものですが、この時はチケットを知人から貰って行ったにも拘らず、二度とプロレスには行かない、と決意させたほどキツイ興行で、テレビ放送からも遠ざかるきっかけとなる思い出深い物となったわけで。
近年はプロレスをテレビでのみ見ることを再開し、若い選手達の試合を楽しく見ていたのですが、この春の番組改編で日テレからプロレス中継が消え、地上波放送では新日本の中継のみになり、ノアは経営が厳しくなるだろう事を見越して、新日本との対抗戦をやっているようですが、これは禁断の果実である事は長くプロレスを見ている人なら常識でしょう。
テレビ放映権料が無くなった団体の末路は決まっています。それも最初からテレビが無ければ、それはそれで良かったのです。元から無いのですから、当てにはしないわけで。
ノアは旗揚げ時から全日本に代わりテレビ放送があっただけに、無くなった後のショックは社長の三沢には応えたのでは。
昨日の「スーパーうるぐす」では、冒頭から10分以上にわたり、三沢の特集を流してましたが、せめて日テレが放送を継続していれば、今回の事故は無かったのではないかと思うので、せめて本当に追討の気持ちがあるなら、深夜でも構わないので三沢の追討特番を放送してあげるのが、日テレの使命だと思います。
最後に、武藤・橋本・蝶野、そして小川と試合が出来て良かったね。
猪木チルドレンのオッサンより
合掌

0