5月22日、母親を病院に連れて行ったときのこと、診察が終わり帰ろうとしたら、受付でまた診察ですといわれた。どうしたのかと聞くと、違う患者の名前で母親が診察を受けたとのこと。名前も調べないで診察しているのかと追及したが誤るばかりだった。二度目の診察を受けたあとも、看護士達に怒りをぶちまけてきた。患者を取り違えることの重大さを医者も看護士達も認識していないようだった。まず、カルテで患者を確かめないのか、それが不思議である。八十過ぎのばあさんと40代の婦人と一緒にできるものだろうか。カルテには何を書いたのだろう。前回の分はよまなかったのだろうか。不信感は募るばかりだ。患者を取り違えたら、投薬の処方箋も違ってくるはず、処置、生活指導とかいろいろなことが違ってくるはずだ。最悪、命にも関わってくる。そんなこと、看護士が謝ってすむことなのだろうか。
もともと、医者の問題である。聞くところによると、パソコンの画面は見ているけど、患者は見ないそうである。患者を取り違えるのはやっぱりとしかいいようがない。また、ぼそぼそ小声で話すので、若い人でも聞き取りにくいらしい。そして、字だ、数字が読めない。1だか2だか3だか分からない数字、二ヵ月後だから5月と推し量るしかない。問題なのは日にちだ。全く読めない。患者が曜日の字と数字を組み合わせて考えるしかないのだ。病院内でも有名な字で、看護士たちは薬の名前を書くのに苦労しているらしい。これだって、間違ったら命にかかわることだ。
人間、相手が選べない立場だと、驕り、エラぶり、最悪の人格になってしまうのだろう。こんな医者が高い地位についている病院なんて、不信感ばかりで、恐ろしくて、命を預けられなくなる。名前まで調べてきた。景山というそうだ。

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