「あそばせ学校」
星新一の小学生時代、良家の子女たちの行く学校はそう呼ばれていたらしい。「〜あそばせ」を会話に使っていたからとのこと。栃木の田舎とはえらい違いだ。戦争に行かなくてもいい仕組みも知った。しかし、すごい作家も苦労していたんだ。それなりのうらやましくなるような苦労だけど。後半が楽しみになってきた。
真っ赤なハリマオさま
心配していました。大変だったですね。お大事にしてください。気持ちも強く持ってください。七日に元気なお姿を拝見できますように。
トラママさま
昔、中・高と文芸部で詩を書いていました。新聞にも載ったことがあるんですよ。県の芸術祭にも出したり、栃木放送で朗読したり。もう四十年も前のことです。いつか中也の話でも致しましょう。
今日の予定
釣りの作品に向けて、本格的な本を探しに行く。いよいよ取り掛かるぞ、釣り好き第二弾。

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