内田さんの詩には、詩を自分の一部にしてしまいたいような、いつも沁み込ませて生きていたいような、じりじりした欲求を起こさせる魔力がある。かなり隙間の空いた脳みそにしまいこむだけしまって置きたい気持ちにさせる。忘れるのが怖くなる詩だ。先日も鵜の岬にいって、「あら、ヨット」といっていた。ご存知「きんじょのきんぎょ」の中の「岬」の強烈な一言。「――ぼくたちは いきているだけで/きっと えらいのだとおもう――」うれしいな。ひでじぃの人生まで存在肯定してくれている。だから、いつも蕎麦に置きたい詩集なのだ。「戦争」の詩は怖かった。言葉など何も書かれていないのに……。みよちゃんの「せいかく」はやっぱりわからなかったところにも共感した。「――てんしのやくがきた」らくてんかが生きる支えになり騒だ。
リュートさま
いいなあ。うらやましい、うらめしい。この間二回も乗車券失くして大損。タクシーでなく、手前までの深夜バスで帰った次第。日曜日、楽しみにしてまっせ。
saffiさま
二冊ありがとうございます。重いですから、送らせてもらいます。17日、楽しみにしています。
今日の予定
「敵は天王寺にあり」気がかりを一掃するために、今週はボケ頭をたたいてみよう。289ページ10万字はうわみずが出てくるまで寝かせよう。白菜漬けといっしょ。唐辛子も入れようか。考えることを頭の隅に置いて、民生委員の新年会。街角にあさのあつこさんのいるポスターが貼られ、学校に配られた。そっちにはひでじぃの顔写真が無い。よかったあ、酔っ払っていられる。小林豊さんの原画を図書館に持ち込んだ。みんなの喜びの陰に図書館の心配ありという状況。でも、額に入った絵を観たら、やはりびびらずにはいられなかった。

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