2008/2/2

運命のいたずら  その他

これが私の運命だったとしたら・・・、

考えただけでも、

  ・・・いえ、考えたくもない、

       そんなこと、絶対に考えられない!


先日の「中国姫」の続きを書こうと思ったのだけど・・・、

実は今日、ドイツから突然お客様がいらしたんですよね。
東ドイツから、
今日ケアンズに着いたばかり。

毎年オーストラリアに遊びにいらしてて、
こちらに、永住したいのだけど、
永住権を取るのが容易ではないのは知ってのとおり。

本来なら、彼はずっと以前にオーストラリアに移住できていたのに。

運命のいたずらって、本当に容赦ないと思いました。
そう、彼の話を聞いて。

彼が21歳の時、
彼はオーストラリアに移住しようと決心して計画を立てた。

東ドイツの彼の町から、飛行機で西ドイツのハンブルクへ。
ハンブルクからは船でオーストラリアに。

旅行の手配は万全だった。

その日、8月13日、彼は空港に向かった。

ところが、空港は閉鎖されていたばかりか、
西ドイツへ行ける道の
全てが閉ざされていたんだそう。


そう、その日、西ドイツと東ドイツは
あの鉄のカーテンで、
2つに分断されてしまっていた。

その鉄のカーテン(ベルリンの壁)が取り壊されてからも
かなりたつけど、記憶に鮮明に残っている。
かなりの衝撃だった。

でも、その鉄のカーテンが敷かれた時のことは知らない。

一夜で築かれたっていうのは聞いていた。
あの高くて長い壁が一夜で築かれただなんて・・・。

でも、本当にそうだったそうです。
高さ3メートル以上(多分4メートル?)の、
しかも長さ150キロの壁が、
たった一晩で
突然出来たんだそう。

市民の誰一人、その事実を知らされていなかったらしい。
翌朝、みんな驚いたって。


オーストラリアに新天地を求めて、
溢れんばかりの彼の夢は、
一瞬のうちに消えてしまった。

そして、その日から、東ドイツの人たちは、
自由を失った。

鉄の壁ができたのが、1961年、8月12日の夜〜13日にかけて。

あれから46年余りがたった今でも、彼ははっきり言う。

    あの日のことは今でも鮮明に覚えている。
    絶対に忘れられない!

・・・本当に悔しそうでした。

彼の計画がもう1日早ければ、
彼はこの46年間、
このオーストラリアでいい人生を送っていたに違いない。

少なくても、自由な人生を。

彼は今は退職したけど、
東ドイツで大学の教授をされていたんだそうです。

21歳のあの時、
オーストラリア政府から、
特別の優遇措置で迎えられていたはずの友人。

当時もオーストラリアは、優秀な若い人材を必要としていたから。
オーストラリアまでの旅費も政府から支給されていたはず。

運命って、時に残酷。

こんな運命が、実際私の身の上に起こったとしたら、
背負いきれるかどうか、自信ない。

突然鉄のカーテンを敷かれ、
東ドイツに残された人の中には、
彼のような運命をたどった人たちも多くいるそう。

必死で西ドイツに、
自由な国に行こうと鉄の壁をこえようと試みた人たちが、
容赦なく銃殺されたこと

戦争が終わっても、
それは決して終わりではなく、
長い、長い苦悩の始まりだったに違いない。


彼の話を聞きながら、
自分の人生を振り返り、
いかに自分が恵まれている人生を歩んできたか、
まざまざと考えさせられた。

そして、ありがとうと感謝の気持ちでいっぱいになった。
少なくても、私には自由が許されていたから。
それはとても有難いことである。

インド君からも、
インドにおけるヒンズー教徒とイスラム教徒の対立を聞かされ、
やっぱり日本やオーストラリアは平和な国だと思った。

その国に生まれ、育った自分は恵まれている、と。
それを今日とてもしみじみ感じさせられた。

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・・・・ということで、
今日はちょっと真面目な話になっちゃいました。
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