オギャ〜と生まれた瞬間から、その人間の体内(主に頭)に記憶チップが埋め込まれて、その人間が見た映像・音声が全てチップに記録されるというシステムが開発された近未来が舞台。1日24時間だから、もし80年生きるとして、約70万時間の映像・音声が記録される訳(睡眠や食事の時間を除くと約3分の2になりますな)で、その人の死後、チップが取り出されて、カッター(編集者=主人公)と呼ばれるその機関のプロフェッショナルに預けられ、カッターはそれを約1時間ぐらいの映像・音声に編集して、葬儀の席(追悼上映会と呼ばれる)で列席者の前で上映する…という、何とも“ブレインストーム”なストーリーで、思わず身を乗り出して見入ってしまった。
なかなか面白いアイデアですな。こういうのは好きです。で、『ブレインストーム』同様、そのチップを悪事(政治的利用等)に使用しようとするヤツらが現れて主人公が危機に…という展開までも同じな訳ですが、観終わった後の印象がかなり違うのは、人の死後に、故人の良い事だけで取り繕って、“作られた人生”を披露するな=故人を美化し過ぎるのはよくない…という見識(反対運動)=問題提起も描かれているからでしょうか。
確かに、人の一生の内では、とても他人には見せたくない情景・光景なんかも見てしまっているからで、そういうダーティな部分を除いて(カットして)、誰に見せても恥ずかしくないような映像だけで編集されている“上映商品”なるものは、ある意味、“ウソで固められた人生”と呼べなくもない。ましてや故人が、犯罪を犯している可能性があったとしても、カッターは、遺族の望まない映像はカットして編集しまう訳で、それを上映して故人を偲ぶというのは、如何なものか…という意見が出てくるのも当然だろう。実際この映画には、ある仕掛けがあって、編集者たるべき主人公が、過去のトラウマによって、上記の問題に直面するという危機に陥る展開になり、それがクライマックスに重大な影響を及ぼすという訳なんですな。
で、観ていて思いました。もしこれがワタシのチップだったら、どうなんだろうと…と。ワタシの目で観た映像が記録される訳だから、その大半は、劇場やビデオで映画を観ている映像になるんじゃないかと。それだと、普通にDVDに入ってる映像と同じになっちゃいますな。或いは、他人に言えないヤバイ映像も観ちゃってるから、こりゃとてもそのチップを自分以外の何者にも、預ける訳にはいきませんな、マジで(笑)。
現実的に考えた場合、最終的にはプライバシー云々の問題にまで発展しかねない訳で、それに第一、故人が見た映像だから、肝心の故人がほとんど映っていないというのも、かなり問題ではありますな(追悼上映ったって、全然偲べないじゃん・笑)。故人が映る唯一のシーンが、鏡を見てるシーンというのも、ある意味皮肉ですが(そのシーンを年代順に編集している映像は面白いです)、そう考えると、自分が自分の顔を見る瞬間ってのは、一般人の場合、極端に少ないってのが分かりますな。
映画はラスト、辛口のエンディングで終わる訳ですが、あのラストが少し弱いのが難。ラストで息切れしたって感じで、あのラストをもう少し上手く処理すれば、これは隠れたSF映画の傑作になったと思うのですが…。 (★★★)
The Final Cut
テクニカラー/スコープ・サイズ(パナビジョン・レンズ&カメラ=S35)/ドルビー/dts/93'59”
●ユウラク座/金券屋券(\700)/ガランガラン/8時35分からの5回目

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