イーストウッド満身の新作。太平洋戦争の激戦地の一つ“硫黄島”を舞台に、米軍の若き兵士たちの生き様・死に様を通して、“誰と戦い、何の為に戦うのか”を徹底的に追究し、戦争そのものが持っているエグさと醜さを浮き彫りにした悲痛な戦争ドラマで、単なる“反戦映画”と呼ぶにはあまりにもおこがましい、荘厳な人間ドラマになっている点が、イーストウッド監督の鋭い視線を感じさせますな。
戦闘シーンの流麗なカメラワークと、登場人物を常に俯瞰で捉えた構図がリアリスティックな躍動感に満ちていて、この戦争ドラマをより一層ドラマチックにしている一方、一つの真実が次々と“嘘”を生み出していく運命に翻弄される、皮肉にも生き残ってしまった若者たちの苦悩が、観る者に重く圧し掛かるような描写とが実に対照的で、そのトーンの違いが、国を上げて勝利を連呼する体制側と、生き残った事によって辛い現実を受け止めなけばならない個人との対比を如実に表現していて、“戦争で勝っても心の傷は癒されない”という、ごく当たり前だけど、ついつい忘れがちな言葉が、我々の胸にまざまざと刻み込まれる、何とも言えない心の痛みが伝わってくる映画になってますな。
映画の冒頭で呟かれる「戦争の真実は、誰も語ろうとしない」という言葉が示す通り、確かにその通りなんだろうと思います。戦勝国であれ敗戦国であれ、実際に戦争を、そして過酷な戦場を体験した者でなければ分からない多くの傷跡は、人に話しても癒される事はなく、むしろ、自分の心が痛むだけである事だろうし、また、真実を知ってもらったからといって、誰も喜ばないという現実がある訳で、この映画は、そういった人たちの心の中のしこりを深く抉り取る事によって、その痛みを観る者全員が無理にでも共感出来るように仕向けられているという点で、大胆かつ、残酷な映画でもありますな。(イーストウッドの目は、常にクールでシニカル)
それにしても、今回もイーストウッドの演出が完璧なのには、今更ながらに驚かされます。今回は監督に専念しているという事もあるんでしょうけど、一秒たりとも息を衝かせぬ、また、一秒足りとも無駄なシーンが無い映画になっていて、これは特筆に価しますな(従って、この映画をテレビ等でカットして放映するのは冒涜に値する訳ですな)。過去と現在とが巧みに交錯し合うのをフラッシュバックを用いて描く演出法は、既に『バード』や『マディソン郡の橋』で実証済みですが、さりげない“声”や“爆音”、或いは“色”や“オブジェ”によって、過去から現在、また現在から過去へと時空を旅する構成は、主人公たちが、一時も心が休まらない事を表現していて、その痛みが悲しい程伝わってくるのが凄いですな。
また、生き残った勝者である彼らが、“英雄”として祭り上げられ、人々から喝采される一方で、真実に口をつぐむ事によって、心の傷が増大していく辺りの描写は、“カウボーイも道化師も、束の間のヒーローで、ちょっと時間が立てば忘れられる単なる笑い者”というフレーズが唄われる『ブロンコ・ビリー』の主題歌を思わせて、“片時だけの英雄”がどんなに儚いものかを想起させて、過去のイーストウッド映画のテーマとダブらせている辺りも憎いですな。
正直、観る前は、戦闘シーンはごく僅かで、小難しい人間ドラマがダラダラと続くだけの退屈な映画だったらどうしよう…という不安があった訳ですが、観終わった今、そんな事は一切無かった事に、自分が少しでもそんな不安を抱えていた事を反省すると同時に、何十年もイーストウッドを追い続けて来た事に、やはり間違いが無かったと、確信が持てた事に、誇りを感じている最中であります。
因みに、後半1時間を切った辺りから、ずっと泣いておりました。前作『ミリオンダラー・ベイビー』にも泣きましたが、今回はそれを上回る程の涙の量。最近は、観る度に泣けるシーンが多くなるイーストウッド映画ですが、次回作『硫黄島からの手紙』では、果たしてどれだけ凄い事になってしまうのやら…。
まさに近来稀にみる傑作。これを傑作と呼ばないで、何を傑作と言うのか! (★★★★★)
Flags of Our Fathers
テクニカラー/2.35(パナヴィジョン=アナモ使用)/ドルビー/dts/SDDS/130'40"
●ナビオTOHOプレックス・シアター3/前売券(\1300)/ガラガラ(10:15からの1回目)

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