中越沖大地震の折に夏季攻勢状態になったのは
先日もちょろっと話をしたが
その辺りは
8月5日等の更新分にある通り。
梅雨が明けたばかりの夏休みのさなかに
9057レという列番の迂回列車が昼間に走ったのもあったけれど
定期列車も負けじと盛り上げるように
俗にネタガマと呼ばれた連中が94レの前機についた。
即ち、8月2日には129+136の重連
同・3日には
1028+102の重連

さらに一日間を置いて同・5日には
1039+1022の重連

というのが本線上で撮影できた。
何せ「9057レが何と何の重連で上がってきた!」と情報が入った傍から
「明日の94レは何番…」というのが入ってくるから忙しい。
加えて俺の計画年休期間に見事にブチ当たったのもあったが
8月最初の5日間でウチでゆっくりできたのは4日の午前中だけで
そのほかはヤレまつのじだ、ヤレ狩場沢だと
東北カンセン利用で必ずどっかに出かけていた。
ことに5日に至っては、94レをどこで撮るか
新八温泉の湯船につかりながら云々悩んで
結局当日の朝になって八戸から「はやて」で降りてきて
件の重連等を撮影していた訳で
今にして思えばお江戸と伊達藩・南部藩の間を
何回も高速で移動する気力がよくあったなぁ、と思う。
後日お盆前に「1039+1028の94レ、撮ったぞ!」との情報もあったが
この夏季攻勢が終わった頃から
気持ちが冴えない日があるなど
じわりじわりと体調がおかしくなっていた。
後の3年近い「休職」に繋がる「うつ」の症状は
すでにこの時点から始まっていたのかもしれない。