「『人生はチャレンジだ!チャンスは必ずつかめ!』
生前ジャイアント馬場さんからそのような言葉をいただき。。。。」
ジャンボ鶴田さんが1999年3月の武道館での引退式の時の台詞だ。鶴田さんの師匠の馬場さんは引退式の二ヶ月前1999年1月31日に他界された。
人生はチャレンジだ!
この台詞が刻まれた石碑がジャンボ鶴田さんの実家に近いお寺の墓地の最前列にそびえたって周囲の集落を明るく照らしている。
高校時代はバスケットに夢中になり、バスケットを極め、中央大学法学部に入学し、アマレスを始めた。オリンピックに出たいという目的だけのために大学に入って初めてアマレスを体験したのだが、天才と言われるゆえんはここにもあり、あっという間にミュンヘンオリンピック代表選手に選抜されたのだ。その後はプロレス界に数々の金字塔を打ち立て、名選手になった。
以前テリー・ファンクにインタビューした際に、テキサスのアマリロ道場で育てたレスラーで後にも先にもジャンボ鶴田ほど少し教えただけですべての技をすぐ習得するような天才はほかにいなかったと言っていた。
プロレス界から引退してアメリカに再度渡りポートランド州立大学の客観教授になったのもつかの間、長く戦ってた肝炎を完治させんと、肝臓の移植手術をフィリピンで行い出血多量で他界した。2000年5月13日のことだ。台詞の引退式からたった一年と二ヶ月後のことである。挑戦を続けたジャンボ鶴田さんは新たな人生への挑戦のために人生を終えることになった。享年49際の若さであった。
ジャンボ鶴田さんは太陽のような人だと形容する人が多い。明るくて、人に苦しい顔を見せない、しかし挑戦を続ける人だ。人に優しく自分に厳しい人だったのであろう。
そんな勇気をくれたジャンボ鶴田さんに改めてありがとうと言いたい。


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