元キングスロード宮本和志選手が気持ちの切り替えもあってサンアントニオの私を訪ねてきてしばらく泊まっていった。泊まっている間私がコミッショナーを務めるRCWで何試合か組んだ。アメリカで試合をするとまた気分転換にもなったであろう。
宮本選手とは2000年7月から顔見知りの間柄である。私もちょうど同じ時期の選手大量離脱した直後の全日本プロレスの扉をノックして映像制作責任者(プロデューサー&ディレクター)として仕事をさせていただいていた。当時は川田利明選手、渕正信選手、そして外国人ではあるが太陽ケア(当時はマウナケア・モスマン)選手だけが所属選手であった。そんな状況下で頭を角刈りにした宮本選手が練習生として選手の世話などをしていて、地方では試合前に先輩選手達にいろいろ教わっているそんな下積みの姿をよく垣間見たものである。私が「デビューする時は必ず収録するからね。」と声をかけると「よろしくお願いします!」といつも元気に返事が返ってきた。彼に対する第一印象は体育会系の好青年である。
それから早6年の歳月が経ち取り巻く状況は一変した。
彼も強靱な精神力と、鍛えあげた肉体と器用さでどんどん成長していったが、混乱のプロレス界だけに明日のこともわからない状態。負けん気の強さでたまに損することもあるがそのあたりもプロレスラーらしいといえばそういう気がする。そしていつも夢と希望を持って前向きにがんばってきたが諸事情があってキングスロードは活動中止に追い込まれた。心の整理でアメリカに再度渡ってきて広い大地を踏みしめて少しはさっぱりしたことだろう。人生うまくいかないことの方が多いのが普通である。。。と人に言うまでもなく最近私もそう思うようになった。それでも前に歩いていかなければならないのだ。時にはゆっくり、時には早足で。
宮本選手が我が家に泊まりに来ると異常な早さで消費するものがある。
卵である。ボイルした卵の白身を必ず朝一杯補給するのが彼の日課なのだ。


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