去る11月12日に後楽園ホールで行われたの全日本キックボクシングの大会で、タイのムエタイ4冠王者ジャルンチャイ・ケーサージムに挑んだ藤原ジム所属、WKA世界ムエタイライト級王者の小林聡選手だが判定の末敗れ、試合後引退を表明した。
約10年前になるが私が当時アシスタントプロデューサーとして「格闘伝説ムエタイ」という番組の制作担当になって上司のプロデューサーに連れられて行った「藤原ボクシングジム」。会長の藤原敏男先生が番組の解説をして頂いていたので挨拶でお邪魔したのだ。一歩足を踏み入れたとき言葉にできないくらい厳格な雰囲気があった。藤原敏男先生は外国人として初めてムエタイ殿堂のタイトル、ラジャダムナム・ライト級王者になった伝説のキックボクサーであるからなおさらである。ジムには現在全日本フェザー級3位(元王者)の前田尚紀選手が当時練習生としてジムのすべての雑用をこなしていた。そして藤原敏男先生がお見えになりに挨拶をさせていただいたのだが、緊張してまともに会話もできなかった。上司にただついて行っただけという感じの初対面であった。
それから番組を担当し、収録の後に会食をご一緒したり、ジムの忘年会などの行事に参加させてもらったりで少しずつ話をさせていただくようになり、2000年4月にはタイにご一緒させてもらい現地でいろいろ取材させていただいた。藤原敏男先生は私ごときにも丁寧に接してくれ、とても紳士的な方ではあったが、数年おつきあいを密にさせて頂いても、緊張している自分がいた。やはり世界チャンピオンになるだけの特別な風格がいつもあったのだ。
藤原ジムに行くといつも小林聡選手が黙々とサンドバック相手に練習している姿があった。藤原敏男先生は訪問した私たちと打ち合わせをさせていただいている最中でも練習している小林聡選手をみては檄を飛ばしていた。藤原敏男先生は小林聡選手を若き日の自分自身とオーバーラップさせているようにも感じるほどの徹底した指導ぶりでもあった。
残念ながら諸事情により「格闘伝説ムエタイ」の番組が打ち切りになっても、日本にいるときは藤原ジムの選手が出る試合にはほぼ顔を出して応援させていただいた。リングの小林聡選手はニックネーム「野良犬」のごとく怖い者知らずで相手をどんどん倒し、数年後には小林聡選手は数々のタイトルをとり、日本を代表するキックボクサーになった。勝利した後の小林聡選手もさることながら日頃は厳しい藤原敏男先生がうれしそうにするその雰囲気に私は感動を覚えたものだ。
さらに世界に通用するボクサーにするべく藤原敏男先生は本場タイに送り込んでTOPクラスのムエタイ戦士との実戦を経験させたり、ルンピニ王者に挑戦させるチャンスも与えた。
それから年月がたち2006年11月12日愛弟子のビッグマッチに藤原敏男先生自身が珍しくセコンドにたち指示を送ったらしい。1978年に自分自身が後楽園ホールでラジャダムナム王者を破った日がよみがえってたに違いない。
残念ながら今回もライブでは見ることができなかったが、藤原ジム関係の選手の結果だけはいつも気にしてチェックしていた。写真は試合後の引退宣言のコメントの写真だが、顔つきが藤原敏男先生にそっくりになっていた。私にとってはまさかの引退宣言だったが、自分なりに満足したボクシング生活だったのであろう。
詳細は後にで師匠であり、ジムの会長である、藤原敏男先生からコメントなどが正式にある事だと思う。
私はただ「お疲れ様でした。」と言わせてもらいたい気持ちで一杯である。


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