2009/7/15

カラヤン晩年の新世界  指揮者


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Polydor japan 28MG 0884 LP


最近、思い出したようにヘルベルト・フォン・カラヤン氏のレコードを聴くのだが、生前はアンチだ何だのとファンの間でも論争にもなった巨匠だけに懐かしい。然も定番名曲で聴く巨匠は特に良いのだ。それに晩年の巨匠は独特の静けさが辺りを祓う雰囲気があり、本物の音楽が聴こえてくる。だが精力的に活動をしていた時代は、何かと批判もあるものだ。実際、派手な事もしていたし、「これはちょっと?」なんて事も多々あった。全盛期は、音楽を商業主義にしただの、楽壇に於ける覇権主義だのと言われていたので尚更だろうか?なので西側の黄色レーベルもそれに揶揄されたものだ。これから紹介するレコードが正にそうなのだが、確かにCDショップではなく「レコード屋」が街にあった時代は、商品棚を見ると即座に目についたのは、独.グラモフォン盤のレコード・ジャケットだった。それにアナログ・レコード全盛期は、同じ楽曲でも「カラヤン=ベルリン・フィル」と「ベーム=ウィーン・フィル」のどちらにしようかと迷ったのも良い思い出だ。もちろん楽曲は、ベートーヴェンであり、ブラームスだった。つまり独境系の作曲家である。本当に贅沢な時代だった。さてカラヤン以降のドイツ楽壇だが、いまひとつ弾まない。それは当時に期待されていた中堅が以外にも育たなかったからで、蛙は蛙のままだった。オオサンショウウオには化けてはくれなかった。そこが残念でならないのだ。さてこれは、ウィーン・フィルを指揮した1985年収録のレコードだ。然もCDと同時販売をされている。序奏から辺りを払う静けさを感じるが、それは全曲通して一貫している。既に悟りを開いた印象だが、序奏部が極めて遅く、これまでのスポーティーな感覚は無く、ややぶっきら棒な棒を振っているは珍しいと思う。その点では巨匠の同曲録音に於いては最も特色のある演奏だろう。更に巨匠得意のレガートもベルリン・フィルとは勝手が違っているのか、ウィーン・フィル特有のウィーン奏法が堪能出来る。その為、音を大切に扱っており、量感や実在感に於いても今迄の盤を凌駕しており、演奏の説得力も巨匠の数多い録音の中でも優っている。第1楽章のテンポ設定は全体に遅めだ。続く第2楽章は正に家路と言える。これ程に深々と聴ける演奏は巨匠では稀だ。実に静寂を伴った深い、奥行きのある表現だ。これを聴いていて思い出すのが、巨匠が戦後にようやくウィーンやイギリスでレコードを録音を始めた頃の素朴さなのだが、後年は此処までと呆れる程に変貌したので、再び基本に戻ったような演奏を聴くと「巨匠の音楽の原典は、やはり?」と感心をする。ウィンナ・ホルンも美しく、流石、ウィーン・フィルの存在感も充分である。とてもデリカシーのある演奏だ。第3楽章のリズムは、巨匠の御歳のせいか、もたつき気味だが壺は押さえられているので要所は決まる。だが元々が駆け抜けて行く楽章なので、それ以上の感想はない。そして終楽章は、ややもすると俗世に走りやすい演奏になるのだが、常に美観を湛え、品性が高い表現なので聴いていても品格の違いを感じる。テンポは普通だが、求心性も高く緊張度も高いので迫力も充分だ。此処では実演のように燃える巨匠の姿が垣間見れる。何度も録音した楽曲だが、他の盤を聴かなければ、これでも最高だと思える説得力がある。私はこのレコードでも充分だ。しっかりと堪能出来た。カップリングのモルダウも美しい。これこそ晩年の傑作だ。

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2014.07.10 補足

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2009/7/10

フルトヴェングラー晩年のウィーンフィルの第九  指揮者


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Columbia Japan - THE BRUNO WALTER SOCIETY CO.7131・2 BS 1977 2LP


年末ネタの御存知「第九」だが、此方は以前から気になっていたレコードで、最近ようやく入手したものである。ところが演奏は既に聴いていた。オリジナルは当盤の2枚組のものだ。だが1枚にカッティングした物も在った。小生は当時、後者の1枚物を購入していた。こちらは日本コロムビア盤である。ところが正規音源ではなく俗に言う海賊盤だった事から音質が悪く買ってから「失敗した。」何て思ったのも思い出話だ。(実際、AM放送をカセットテープで録音した様な音で混信したかの如く雑音もあった。)それでも是しか無いと思えば不思議なもので聴いてる内に慣れてきて、愛蔵盤になっていた時期もあった。それに演奏は晩年と言う事もあり、余り緊張感は無く穏和である。録音は1953年5月31日でウィーン芸術週間開幕初日とある。尚、こちらの演奏はウィーンフィル150周年時に記念盤として独.グラモフォンから正規盤が発売されているので聴いてる方も居られるだろう。因みに独唱者は、イルムガルト・ゼーフリート(S)、アントン・デルモーター(T)、ロゼッテ・アンダイ(A)、パウル・シェフラー(Bt)の面々である。それにウィーン・ジングアカデミー合唱団とウィーン・フィルハーモニー管弦楽団と言う取り合わせだ。其処で何故今更、「音質の悪い海賊盤を?と」思われるであろう?しかし後から「2枚組は以外に音質が良い?」と言うトンでもない情報を得た。情報元は1981年発売のFMファンと言う情報誌だった。それは当誌の「リスリングルーム訪問」の記事に其の2枚組を所持している方がおり、英国製.グッドマンのスピーカーを菅球アンプで鳴らしていると言う内容だった。其の方曰く「フルトベングラーの第九を奥行きのある音で深々と慣らしたい。」と言っていた。それで1枚にカッティングした盤を所持してる小生は、「こんな音の悪い物、耳でも悪いのかな?」と正直思った。なので当然、その引っ掛かりがずっと頭に在った事から中古盤を見掛ける度に購入するか迷っていたと言う次第だ。更にその後、ヤフオクで見ても音質は「年代の割には良好」と紹介されていた。そんな事を繰り返していると、今まで半信半疑だったのが「実は音が良いのではないか?」と思い初めるようになった。そうなると完全に注目する様になり、結局ヤフオクで購入したのだが、それでようやく針を恐る恐る下ろす破目になった訳だ。しかしながら結論から言うと思ったよりは良好で弦楽器群ものびのびと高音域も冴え渡り量感もオーケストラを聴くには申し分無しと言う状態で「あれが以前に聴いた音源か?」と耳を疑った。とは言え勿論、正規盤とは雲泥の差である。だが難しい事を言わずに気楽に聴くと言う環境ならば音質良好と言わざるを得なかった。これは余談だが、近年のオーディオ専門誌の記事で、コロムビアの技術者はマスターテープに忠実にカッティングせず、マスターの状態に合わせて調整をするとの記事を読んだ。此方のレコードは日本コロムビア社のカッティングである。久々に懐かしく聴いたので、また愛聴盤にしようかな?と思うこの頃である。尚、最近になって、前日の演奏とされる実況盤も発売された。それも聴いてみたが、何故か疑問点の方が先に立つ。後に比較試聴をしてみよう。余談だが、このレコードは決してHi・Fiではない。しかし聴いていると、とても和むのは自身の特性に合った演奏なのだろう。しかしながら最初に聴いた1枚物の同演奏とは、本当に同じマスターなのだろうか?それは余りにも音質が違い過ぎるからである。時折聞こえる混信音も長い電信ケーブルに有り勝ちなラジオ現象のようにも思えてならないのだ。フルトヴェングラーのレコードには常に疑問が付き纏う。

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2014.10.07 補足

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2009/7/8

カラヤンの第九  指揮者


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Plydor Jpapan MG 8317/8 独.DG 原盤 2707 109


まさかこの私が、カラヤンのレコードを論評する等、「思いもよらず?」と言うのも曾てカラヤン、ベームと楽壇が騒いでいた頃は、カール・ベーム派を自称してましたので無理も在りません。だけど客観的に見て、「ベルリン・フィルにとって、一番影響力の在った指揮者は誰か?」と考えた時にカラヤン抜きでは考えられない。と思ったからです。「前任者のフルトヴェングラーは、?」と思われる方もいらっしゃいましょうが、演奏スタイルは別として、楽団の特質をあれまで変えてしまった指揮者は、カラヤン以外は誰も居ないと思います。それを功績と見るかは、問題も在りましょうが、アンサンブルが緻密になり、完成度も増した点は過大に評価しても良いかも知れません?これは極めて稀な例です。世界の古老楽団で、長い歴史の流れで特質が徐々に変化するのは珍しい事では在りませんが、指揮者一代で、ここ迄変貌を遂げた例は類を見ません。演奏評です。第1楽章冒頭の気合いが凄く、この録音に掛ける意気込みを感じます。テンポは、収録時間で見るより早目に感じます。それだけ推進力が在り、互いの自信が伺えます。しかし圧倒的な印象を与える筈の展開部が意外とアッサリしてるのは、巨匠好みのレガート奏法が原因です。編成も大きいのでアクセントを決めないと流れてしまう演奏例です。アクセントこそ音楽の壺と考える私には、やはり気になる処です。ですが楽団の合奏精度は相当なもので、荒れ狂うフォルテシモも一点の曇り無く鳴るのは、この時代のベルリン・フィルが技術的にも頂点を極めていた事が解ります。続く第2楽章は、ティンパニーのキレの在るリズムが支配してます。この楽章は、滑らずに聴けます。第3楽章は、レガート、レガートのアダージョです。その為か、音は綺麗に聴こえますが内容に乏しい感じがしますね!しかし音だけで勝負してる様に思えます。だけど、只、音が繋がっているだけの演奏にも思えます。「これも好みの問題かな?」しかしテンポは普通です。続く終楽章は、冒頭から音が流れ気味です。これは明らかにレガート奏法の弊害です。だらだら聴こえます。しかしハーモニーは厚く、呑まれる様な巨大な音の層を感じます。バリトン入る迄の序奏部分は余り精神性を感じません。バリトンは、ホセ・ヴァン・ダムなんですが、「おお、友よ、」の入りが早過ぎます。続く合唱は、ウィーン楽友協会合唱団なんですが、合唱を別録りしてる事が発売当時に話題になりました。ここ迄ピタリと合わせるのは至難の技だと思います。だが、それが合っているのですから凄いものです。尚、その他の独唱者は、アグネス・バルツァ(A)、アンナ・トモア=シントウ(S)、ペーター・シュライアー(T)の面々です。シュライアーの張りの在る美声は素晴らしい。因みに合唱は、ウィーン楽友協会ホールで、オケはベルリン・フィルハーモニーホールで収録してます。先程のバリトンの入りでも気になりましたが、声楽部分の間を詰めすぎて唐突な印象を受けます。全曲を聴き終えて感じた事は、楽団の精度には感心しましたが、全て音だけで押し切っているので強引な印象を受けますが、根底に在る第九に対しての主張は感じ取れませんでした。優美なレガートも巨匠ならではですが、だらしない印象も受けました。ヴィブラートを幾らか抑えたマントヴァーニみたいで、これでは、マタチッチの言う高級なムード音楽との意見も解ります。カップリングは、8番の交響曲ですが、こちらもレガート、レガートで人によっては気味悪いと思います。8番については、取り上げる機会があれば、その時にでも感想を述べましょう。

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