2010/9/30

能天気な田園  クラシック


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King London K15C-5043 LP 1980


これは、モノラル期のレコードで、人によっては名盤?なのだろうが、賛否も別れる演奏とも言えるだろう?それは、余計な思い入れが無く、所謂浪漫的な感覚が薄いからだが、それであってこそエーリッヒ・クライバーとも言えると思う!さて、この田園交響曲だが、嘗て、ロンドン・フィルで、1947年にDECCAで録音をしているので再録だが、これは楽団もアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団に変わり最初からLPフォーマットの為に録音した事が予想出来る。収録は、1953年である。第1楽章は、サラサラと特別な思い入れ無く進むのが良い!それでいてリズムは明確でありセンスも光る。第2楽章も同様の表現だが、ベートーヴェンの曲を厚かましくて敬遠している人にこそ聴いて欲しい演奏である。それでも湧き上がるものは在る。巨匠は兎角、ウィーン風の指揮者の代表とも言われているが、古臭いものでは無く、もっと新感覚の美感の持ち主だと思う!流麗だが、気分に流されない強い意志を感じる。寧ろ後半3楽章が面白く聴ける。巨匠の特質としてリズムのハッキリした曲想が合っている印象が在るが、村人の踊りもリズムも弾んでおり楽しく聴ける。時にテンポが速くなる箇所で畳み込む特性が在るが、そこにも特色が伺える。続く嵐の描写も迫力が在るが品も良いのも巨匠ならではと言えるだろう!終楽章もアッサリし過ぎており、掘りも浅いが浪漫的な演奏を押し付けがましく思う人には最適の演奏である。

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2010/9/27

カンタータ・プロファーナ  クラシック


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Weitblick SSS0025-2 CD 2002


バルト―クの傑作で、幻想的な曲なのだが難曲なのが災いして聴けるレコードやCDが極めて少ないのが残念である。その点では、このCDは、的を得た演奏と言える。曲の内容は、猟師の父親が、息子9人に狩りを仕込むが、ある日に魔法にかかった橋を通って森を奥深く行くと皆鹿に変身していたと言う話である。そこで父親が息子達に帰って来るよう哀願するが角が邪魔して扉を通り抜ける事が出来ないので、このまま森で暮らすと返答が在ったと言うものである。音楽評論家のポール・グリフィスは、「文明化とは対極にある自然状態と、威厳と廉直さを持って調和する事で、暗黙のうちに農民を都会人より高く持ち上げる事」を示していると評しているが、指揮者のゲオルク・ショルティは、民族性や政治情勢のために祖国を捨てることを余儀なくされた自分自身を、帰宅することができなくなった息子達に重ね合わせて論じている。これは、ドキュメンタリーで観た事が在る。さて演奏だが、楽団は、ライプツィッヒ放送交響楽団と合唱団、収録は、1972年9月29日の公演とある。冒頭から緊張感が凄いが、神秘的な要素も強く合唱も其れに答えている。合唱指導は、ホルスト・ノイマンだが、コントロールの行き届いた絶妙の合唱である。ヘルベルト・ケーゲルの指揮もそうだが、重厚だがリズムのキレが良く、戦漂さえ感じるオケの音色に妖気をも漂う猟奇的な演奏である。聴いていると金縛りに遭う程のものが在る。エーベルハルト・ブヒナー(T)とギュンター・レイブ(Br)の歌手達も何だか凄い!続く曲は、「管弦楽の為の協奏曲」である。これは、1971年3月16日の演奏会からである。楽団は同様だ!第1楽章の冒頭が、これ程迄に重苦しく演奏された事が、嘗て在っただろうか?と言う位の重厚な存在感が物凄い!木管の神秘性や金管の鄙びた魅力も在るが、何だか別の曲でも聴く様な印象がある。弦楽器のセクションも戦漂漂う!第2楽章は、幾らか曲想のせいか気楽だが、特色は余り変わらない!言わば、ドイツ風のバルトークとも言えるが、ケーゲル特有の音感の鋭さとスコアに対する読みの深さが全体を支配している感じだ!それにしても第3楽章の巨大感は想像を絶する程である。悲壮的な主題が、まるで巨大な石像が倒れる様に衝撃的で驚嘆してしまう!第4楽章の浪漫性は熱く重厚なのは正にドイツ的だ!中間部のユーモアは、分裂気質的要素が強い!そして終楽章だが、重いが颯爽としていると言った表現が充分か解らないが、迫り来る音楽に圧倒される。硬質な響きは巨匠ならではである。聴き終わって、こんなにじっくり聴き込める演奏も稀だが、受ける衝撃も物凄い!巨匠は、壁崩壊後の1990年にピストル自殺をしていまうが、そのストイックな行動は、このCDを聴いて納得する要素もある。

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2010/9/23

秋に聴きたくなる曲  クラシック


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King-Westminster SH5073-4 2LP 1964


何故か秋に成ると聴きたくなる曲である。それは気候が関係している事が一番の要因かも知れないが、真夏の猛暑の最中で集中力に欠ける季節では、それも面倒である。特にブルックナーの第8交響曲と在っては当然である。事実、小生もこの曲を聴いて初めて理解出来たのも秋だったので、その印象が強いのかも知れない!初めて感動したのは、オイゲン・ヨッフムが、バンベルク交響楽団を率いて来日した1982年9月15日の公演録画を深夜にNHK教育テレビで拝聴した時に遡るが、巨大だが静的な建造物みたいな曲想は、宛ら教会音楽を思わせ、作曲家自身も元来は、オルガニストであった経験が作品に影響し、言わば信仰に対する深ささえ感じさせる作品群に神秘性を見出し聴き終わると圧倒されてしまい頭から其の旋律が離れず寝れなかった思い出が在る。最近は、この演奏は、DVDでも発売されており、改めて感動が嘘では無かった事を確認出来るので良い時代に成ったと思いながらも自身も年輪を重ねた事を実感してしまう!ブルックナーは、難しいと言う人も居るが、確かに初めて聴くと掴み処が無い曲に思えるかも知れない!それは構造上の要因も在るが、一応、ソナタ形式とは言え本質的には古典派とは似て非なるものなので音自体の論理を重視出来ないからでは無いからだろうと思うが、耳を澄ませば突然解る作品とも言える。つまり自然界の摂理を理解するのと同様では無いかと言う事である。だから演奏する側が、その境地に達していないと表現が難しく神が下界を見下ろす様に展望を見出す事が出来ないと俗性に陥ってしまう!その点では、宗教音楽に近く正に其の物と言っても過言では無い!ここでは、クナッパーツブッシュのレコードを取り上げるが、それは小生が初めて購入した同曲のレコードでもある。購入した理由は、当時の小生は、余りにも若く予算の関係から新譜より中古盤を中心に収集していたからだが、当時は初期盤で在っても現在の様な法外な値段では店頭に並ばないので容易に入手出来た良い時代であった。この指揮者の名が脳裏に在ったのは、書籍を読み漁ったのが要因である。楽団は、ミュンヘン・フィルだが嘗てのチェリビダーケの様なアンサンブルの精度には達っていない!収録は、1963年1月である。演奏も本当に素朴だ!その上無骨なのだが、不思議と気持ちが伝わり、受ける印象は圧倒的である。だがフォルテシモは決して力ずくでは無いし荒れ狂う訳でも無い!そこに巨匠のブルッナーの特色が在るのだが、濁らない澄み切った境地さえも感じさせて奥が深い!寧ろ心理的な迫力を感じさせる。例の三連音は、ブルックナーのカトリックに対する信行の深さを表す様である。展開部の凄まじさ等は巨匠ならではの魅力と言えるだろう!続く第2楽章は、スケルツォとは言え巨大な音像が迫る。勇猛で高らかな精神の高揚が素晴らしい!そしてトリオの優しくも寂く美しい音色は、巨匠の独断場では無かろうか?そして以来から賛否が分かれるのは第3楽章だが、アダージョとは言え少々気持ちを込めすぎた印象が在る。何となく音楽が素直に流れない様だ!響きも重く重量級なので余計にもたれてしまう!ここに過剰な思い入れが在る人には最高の演奏かも知れないが?それにしても終楽章の巨大な造型には圧倒される。この作曲家特有の進んでは休み色々なエピソードを経て進行する様な曲想は、深い呼吸で在ってこそ景観が掴めるのだが、同時に曲其の物が持つ美しさも表現されているので聴いていて飽きる事が無い!終始部の巨大さは巨匠で在ってこそ可能な表現と言える。エディションの問題こそ在れ同曲の名盤で在るのは認めざるを得ない!

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