2012/6/2

作曲者確証に難儀した曲  SPレコード


作曲者確証に難儀した曲が在る。それは通称「おもちゃの交響曲」と言われる小曲なのだが、私が始めてこの曲を知った時は確かアマデウス・モーツァルトの父上であるレオポルト・モーツァルトの楽曲として認識していたが、更に過去に遡ってみると何とヨーゼフ・ハイドンだとも言う?とても不思議なので何故そんな経緯となったのか気に成る処なので参考としてウィキデペアから検証結果を転載しよう!http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E3%82%82%E3%81%A1%E3%82%83%E3%81%AE%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2


「迷走した作曲者探し」

「おもちゃの交響曲」の真の作曲者探しは迷走に迷走を重ねた。自筆譜が存在しないこと、またこの交響曲の成立に関する手紙等の二次資料がないため、確証は得られなかった。18世紀からもっぱらフランツ・ヨーゼフ・ハイドンの作品ということになっていたが、これは当初から嫌疑がかけられていた。つまりヨーゼフ・ハイドンの他の作品と比較して、あまりにも単純、よくいえば田園的だからである。次なる候補は・ハイドンの5歳年下の弟ミヒャエル・ハイドンであった。ミヒャエルはザルツブルク在住でモーツァルト親子とも親交があり、モーツァルトの最後の交響曲第39番、第40番、第41番のモデルとなる交響曲を作曲した程の才能の持ち主であった。しかし、これも確証が得られなかった。さらに同時代の大天才モーツァルトの作品に違いないという、半ば夢想的なことも言われてきた。

事態が大きく動き出したのは20世紀も半ばにさしかかった1951年、レオポルト・モーツァルトの作曲とされるカッサシオン(全7曲)が、エルンスト・フリッツ・シュミットによりバイエルン州立図書館から発見され、その一部が『おもちゃの交響曲』と同一であることが判明した。

モーツァルトの父として、音楽史に燦然と輝くレオポルトであったが、作曲家としては、ほとんどその作品を後世に残していない。その父モーツァルトが『おもちゃの交響曲』を作曲したというニュースを、世界中の音楽ファンは納得をもって受け入れた。またこの事実から、今日の音楽解説書では、レオポルトの作品ということが定着している。

1992年、オーストリアのチロル地方から驚くべきニュースが入ってきた。それはチロル地方シュタムス修道院(Stift Stams)の音楽蔵書の中から、1785年ごろ、当院の神父シュテファン・パルセッリ(Stefan Paluselli, 1748年-1805年)が写譜した『おもちゃの交響曲』の楽譜が発見されたのだ。そこには同じくチロル出身で、今日全く忘れ去られた作曲家エトムント・アンゲラーが1770年ころに作曲したと記されていた。

エドムント・アンゲラーの活動とこの交響曲の作風、あるいは木製玩具の製造地であるバイエルン州の著名な保養地ベルヒテスガーデンがほど近いことなどから総合的に判断して、今日これを覆すだけの説は出ていない。

なおベルヒテスガーデンの木製玩具は18世紀のヨーロッパでは広く知られており、今日なお名産品となっている。またこの交響曲が最初に出版された時、作曲者としてハイドン、またタイトルとして『こどもの交響曲』が出版社の判断で付けられた。『おもちゃの交響曲』は英語圏でのタイトル「Toy Symphony」に由来する。



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Nippon Columbia W83 wax.6046,6047 78rpm



結局、現在ではエトムント・アンゲラーが作曲したと言うのが定説の様だ。しかしながら私の頭では未だにレオポルト・モーツァルトの印象が濃い!皆様は如何だろう?此処でレコードを紹介しておこう!SPレコード時代では恐らく代表盤だと思われるフェリックス・ワインガルトナーの演奏だが、巨匠がこの曲を録音したのは、1931年なので勿論、ヨーゼフ・ハイドンと表記されている。楽団はレコード用に編成されたブリティッシュ交響楽団である。さて演奏評だが、テンポはどちらかと言うと早めでサラリとした印象で品良くまとめられている。私の持っているレコードは、日本コロムビア盤だが盤質も良く何の問題も無い!

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