2014/1/31

ディアベリのワルツによる33の変奏曲  器楽曲


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King-Londn Decca MX 9004 1978 LP


ベートーヴェンが書いたピアノ曲に「ディアベリのワルツによる33の変奏曲」と言う曲が在るのは知られている。そんな書き出しも今更だが、この曲は難曲としても有名であり、あまり積極的に取り上げるピアニストも居ないが、元はと言えば、作曲家で、出版業者をしていたアントニオ・ディアベリの企画物である。もちろん主題はディアベリが書いた。つまりその企画はディアベリが経営している出版社での販売を目論んだものだった。だが参加した作曲家も多彩で、カール・チェルニーやフランツ・シューベルトや、当時11歳だったフランツ・リストも居たと言うのだから驚きだ。因みにディアベリは、その主題で50人程の作曲家に競作させている。当時の「ディアベリ商会」の繁盛振りが伺える。さて主題は大した事もないものだが、単純なものなので、どう料理するかが課題となるだろう。そして難解な曲に有り勝ちなのは、演奏によっては物凄く難しく聞こえたり簡単に聞こえたりする事である。私見だが以前にショパンのピアノ協奏曲第1番を聴いて、とても難しい曲に聞こえた事が在った。特にあの曲は冒頭を大袈裟にやられると聴いている方も大変になる。だがそんな曲でも流麗に弾く人で最初に聴くと印象も違うものだ。大体それで曲に対する固定概念なんてものが決まる。だから「ディアベリ変奏曲」とて、そんな感じなのだ。此処では、ウィルヘルム・バックハウスのレコードを紹介しよう。収録年は、1955年らしい。「途方もない難曲」とされてる曲だが、確かにディアベリが書いた主題から33変奏まで発展させているのだから解らないでもない。それも装飾変奏ではなく、ベートーヴェン御得意の性格変奏なので演奏家の表現力に掛かる割合が大きい。それで構成も考えなければならないので、やはり難曲なのだと言うのが聴き始めると解る。だからピアニストは、如何に表現するかが問題となり、技量も兎も角、曲に対するアナリーゼが、どの辺まで在るのかが露骨に出てしまう。これは厄介な曲だ。それも大作だ。さてバックハウスだが、若き日には技巧派で知られたピアニストだったとの事だが、残念な事に録音で確認出来る時代のものは古く、充分に技巧が聞き取れない。しかし全く肩にも力が入らない演奏を聴いていると難しい曲でも簡単に弾いているのは解る。だからかも知れないが、後年は上手いのに下手そうに弾くようにしか聞こえないのだ。此処では敢えて「聞く」と「聴く」を分けて使っているが、その辺は察して頂きたい。だからこの変奏曲も一見すると何でもない演奏に聴こえる。それも淡々とだ。そんな演奏姿勢は、第1変奏から微笑ましく、もう少し変奏事に表情も付けても良いのにと思うが、気がついたら第21変奏まで聴いてしまい、レコードの裏面を聴く事になる。そこがバックハウスの凄い処なのかも知れない。第22変奏は、モーツァルトの歌劇「ドン・ジョヴァンニ」から「夜も昼も苦労して」を借用してるが、これはベートーヴェンならではの嫌味だろう。つまり「此処まで苦労して、この主題を料理しているのだ。」と?私はこの引用箇所を聞いていると「ベートーヴェンもやるじゃん!」と感心してしまうのだが、音楽なんて楽しんで聴かないと何にも面白味がない。だが此処も淡々と弾いてしまう。ブレないのは流石だ。だからと言って、決して楽想の描き分けが疎かになっている訳でもない。このレコードに対しての世評は知らないが、確実に曲の在るべき姿は表していると思う。

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2014/1/23

クリュイタンスのベートーヴェン  指揮者


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Toshiba-EMI AA-5041 LP


最近は録音データも解るようになったのだが、曖昧な点も在る巨匠のベートーヴェンである。この全集は、カラヤン以前のベルリンフィルの音色がステレオ録音で聴けると評されているものだが、実際に拝聴すると意外にも明るい音色で所謂重厚な独逸の楽団をイメージすると肩透かしを食らうものでもある。此処では第4番と8番の交響曲を取り上げよう。最初は4番から聴いてみよう。この曲は、シューマンの言葉を引用すると北欧神話の二人の巨人の間に居る美しいギリシャの乙女とされているものである。しかしそれは演奏にもよるだろう。クリュイタンスの演奏は、どちらかと言うとラテン気質が感じられるので、清楚だが活発な女性が浮かぶ。序奏部は慎重に始まるが、此処に楽団の独逸気質を聴く事が出来る。何と言っても安定感が素晴らしいのだ。主部への移行もそのまま進むので、とても安心して聴ける。テンポも中道だが「嗚呼、ベルリンフィルでベートーヴェンを聴いているのだ。」と実感せずには入られない重量感も兼ねた演奏なのだ。それに滑らかな一面も在るので気品さえ感じる。そして壮大である。そんな第1楽章だった。第2楽章は神聖な力強さがあり、とても抒情的だ。ひしひしと浮かび上がる情熱が素晴らしい。ホルン奏者の好演も然りである。そしてスケルツォは、どっしりとした演奏だ。終楽章は以来から難曲とされているのだが、普通のテンポで聴いていても確かにこのソナタ形式の楽章は、16分音符の速い旋律が曲全体を構成しているので演奏者も弾きっぱなしで休む暇も無い。特にファゴット、クリネットも大変な事になっている。だからこそ最後の一瞬の静寂の後には、軽快に駆け抜けて終わる印象が在るのだろう。巨匠のテンポは中道で慎重なのは、その点を理解しているからだろう。さて次は8番である。楽曲の構成から初期のものに先祖帰りした印象も在る曲だが、流石に1番とは違いスケールの点で後期の曲なのが解る。そこで指揮者の解釈として、どの辺の規模で取り掛かるかが課題となるのだが、巨匠は、完全に後期の作品として扱っており、誠にスケールの大きい演奏を展開している。特に第1楽章にそれが言えるが、ベルリンフィルの重量感の在る音色は重戦車が行進している趣がある。これも楽団の気質が出た演奏だ。「第9」にもこの重量感が欲しかった。この威圧感は、当時のベルリンフィルならではである。さて第2楽章はメトロノームの発明者のメルツェルを茶化したものだが、前楽章が重量級の演奏だっただけに「ほっ」とする軽さがある。第3楽章も如何にも独逸の楽団でベートーヴェンを聴いている安定感がある。このメヌエットのトリオには作曲した当時の郵便馬車のポストホルンを模した箇所が在るが良いものである。とても長閑だ。そして終楽章も尻軽にならないのも良い。これは当時のベルリンフィルの良さが出たレコードだ。

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