2014/5/28

Lady in Satin  JAZZ


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Columbia-USA CS 8048 LP


季節柄暑くなってくると、どうも集中力も薄れ勝ちなのだが、そんな時にあっても、JAZZなんてジャンルの場合は、あまり関係なく聴ける。その辺がクラシック音楽との違いなのかとも思うが、そんな時に聴く、ストリングスが伴奏のレコードなんてものは、まるで清涼剤のような趣があり、実に爽やかである。これから紹介する「Lady in Satin」も、正にそれだが、ビリー・ボリディの死の前年の収録なので、なんとなく人生の悟りを得た人間が歌っているように聴こえるのは気のせいか?音楽を聴くのに固定概念なんてとも思うが、とにかく聴いていて感銘深いのだ。これは持論だが、どうも彼女の歌声を聴いていると、美空ひばりさんと印象が重なる。「何を馬鹿な?」と思うかも知れないが、その深い精神性には共通点がある。戯言で申し訳ないが、だからこそ聴くべきものがある。これはそんなレコードだ。入らん講釈は、この辺でやめておこう。小生如きが語るものでもない。

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2014/5/21

シェルヘンの軍隊  指揮者


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Westminster-USA WST 14044 LP


意外に普段聴かない作曲家の楽曲は、ハイドンなのだが、それでもたまに聴きたくはなるので思い出したようにレコードなりを購入するのだが、その中にあって、聴いていて面白いと思っているのが、これから紹介するレコードである。曲は交響曲第100番(軍隊)と第45番(告別)である。指揮は、ヘルマン・シェルヘン、楽団は、ウィーン国立歌劇場管弦楽団と言う事になっている。収録年は、1958年との事である。この演奏の特色としては、、アメリカ合衆国の音楽学者で、モーツァルトやハイドンの専門家として国際的に名高い、H.C.ロビンス・ランドンが監修にあたった版で演奏をしている事だ。その通称ランドン版とされてるものは、主に打楽器の扱いに、とても特色があるのだが、この演奏も聴いていて「うわあああ」と思うものである。しかし作曲家の曲に対する意図も此処まで明確なものもなく、「鬼神を驚かす」ような表現でありながらも説得力は強いのだ。それが、軍隊交響曲である。これは再録音だが、録音が鮮明な御蔭で指揮者の意図も解ろうと言うものだ。つまりランドン版の特色をこれ程までに伝える解釈もなく、正にシェルヘンが何故、ランドン版を選んだかが理解出来る演奏である。序奏部は穏やかに平穏で暖かい響きが印象的だが、打楽器が聞こえ出すと何かが違う。だが最初はキビキビとした格調高い表現で、間の木管も、とても優美だ。ところがアレグロ主題に達するとティンパニーの扱いが雄弁で曲の骨格が、まるで打楽器のリズムに支配されている印象を受ける。それと同時に物凄い緊張度を感じる。次の第2楽章も曲の導入部こそ牧歌的とも言える、のんびりしたものだが軍隊が攻めてくると、それがトルコ軍だと言うのが解るシンバルやトライアングルの響きが如何にもなので、此処でシェルヘンが表現したかったものも見えると言うものだ。野蛮だけど品もある。この巨匠は一筋縄ではない。メヌエットも堂々としたものだ。それは造型が質実剛健だからで、そんな基盤があるからこそ極端に思われる解釈も聴き手が容認するのだろう。終楽章は軽快で素朴だが、突然豪快な響きが聴こえる。だがこれこそ巨匠ならではの古典なのだろう。久々に聴いたが面白かった。次は告別とされる45番の交響曲である。これは、ハイドンの庇護者、ニコラウス・エステルハージ侯の為に作曲されたもので、作曲当時、ハイドンと宮廷楽団員は、エステルハージ家の夏の離宮エステルハーザに滞在中だった。その滞在期間が予想以上に長びいたため、たいていの楽団員がアイゼンシュタットの住居に妻を送り返さなければならなかった。この為、ハイドンは、恐らくエステルハージ侯が進んで、楽団員の帰宅を認める気持ちになるようにと終楽章で巧みにエステルハージ侯に訴えたらしい。終楽章後半の「アダージョ」で、演奏者は1人ずつ演奏をやめ、ロウソクの火を吹き消して交互に立ち去って行き、最後に左手に、2人の弱音器をつけたヴァイオリン奏者(ハイドン自身と、コンサートマスターのアロイス・ルイジ・トマジーニ)のみが取り残される。そこで、エステルハージ侯は、明らかにメッセージを汲み取り、初演の翌日に宮廷はアイゼンシュタットに戻された。と言う逸話を残す曲である。それをどう演奏で表現をしているかが聴きものだ。第1楽章は、まるで嵐のように始まる。とても厳しい表現だが、演奏そのものもキレが良く、何しろ推進力が凄まじい。それで遂、楽曲に引き込まれてしまう。それににても国立歌劇場のオケは、弦楽器のセクションが優秀で、世評で言われている劣等的なものではない。アダージョの一本筋の通った精神性の高い演奏も楽員の合奏能力を表している。メヌエットも同様の表現だが、品性も勿論高い。ホルンの扱いが見事である。そして終楽章が例の逸話に辺るのだが、帰りの身支度前の仕事が此処ぞと言わんばかりに再現部の終わりまで突き進むのだが、演奏に凛としたものを感じる。プレストが一段落着いた後のアダージョでは本当に楽員が挨拶してから去るのが面白い。だがそれをしなければ、この楽曲の逸話が活かされないのだ。此処では丁寧に挨拶の後に足音まで聞こえる。

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タグ: ハイドン 軍隊 告別



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