2014/6/20

ウィーン・フィル初のマーラー交響曲全集から  交響曲


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CBS Sony 30DC 705 CD 1987


ウィーン・フィル初のマーラー交響曲全集からの分配である。米国オケの録音中心に手掛けてきたCBS−SONYが、欧州オケの録音を始めた頃の大掛りなプロジェクトであった。収録年は、1982年10月とある。指揮者は、ロリン・マゼールである。当時、巨匠は、ウィーン国立歌劇場の総音楽監督を務めており、ベーム亡き後の欧州楽壇では、カラヤンに継ぐNo.2で在った。正に絶頂期である。巨匠は、非凡なる才能の持ち主で在るが、意外と活動範囲が広い割りには、目立たないのが不思議な位で在った。しかし、この演奏は、巨匠の特色を伺うには最良のCDと言える。いつの頃からか超絶級の遅いテンポを好む様に成った巨匠だが、この5番の交響曲も例外では無く、冒頭のトランペットが鳴り響いた後から遅くズッシリとしたテンポで精密に楽曲の構成を解き明かしていく様は、スリリングでも在り、リアリティーに満ちている。録音バランスもDGGで聴かれる柔らかい音色とは、ハッキリと異なる。まるでスコアに在る全ての情報を再現しているかの様だ。だから第2楽章の重量感も他の演奏で聴けないものである。それでいて主題の扱いは、どこ迄も精密なので、複雑に絡み合う音の動きに神秘を漂わせ壮大なフォルテシモに対しカタルシスを感じる程である。しかし、それが必ずしも作用しない面も在り、第3楽章冒頭のユーモアが欲しい処でも大き過ぎるスケール感が足枷に成っているのも否定出来ない。だが冷たく燃焼する巨匠特有の趣が、作品が持つ狂気性を明らかにしている点は面白いと思う。第4楽章は、ウィーン・フィルの特性が伺え、緻密な表現の中にしなやかな弦が舞う趣きが在る。終楽章は、宛ら花火の様な色彩感だが趣味は良く、全奏時に於いても鋭角的な響きに成らずに依り壮大さを増すのが素晴らしい。此処でも巨匠の頑固とした造型感は完璧であり、とても理性的な表現である。これは、バーンスタインに代表される感情的な表現とは対極を成す演奏である。余談だが、初販売時は、LPレコードとしても発売されており、ジャケットのポップなデザインは忘れられないインパクトがあった。そこでようやく、そのアナログ盤を最近購入した。やはりこのデザインの方がしっくりくる。



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CBS-Sony 50AC 1662-3 LP 1983

2010.7.2 の記事から補足

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2014/6/12

セラフィンのレクイエム  SPレコード


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Victer Japan JAS-175 78rpm(80rpm)


イタリアの名匠、トゥリオ・セラフィンが指揮をしたヴェルディのレクイエムである。同曲の全曲録音としては、2度目らしいのだが、録音が古いとは言え、78回転盤特有の硬質感と音そのものの勢いは、とても聴き応えがある。収録年は、1939年8月である。私の所有するレコードは、見た通りの国内盤だが、この頃の盤質は、とてもムラがある。幸いこれから紹介するものはプレスの状態も普通程度だが、ものによっては酷いものもあるそうだ。とは言え演奏は素晴らしい。「怒りの日」での大袈裟な演奏が多いせいか、有名過ぎる代償として、外的なものもよく耳にするが、巨匠の演奏では寧ろ楽曲の静的な面が活かされており、改めて「死者の為の鎮魂曲」である事を知らしめてくれる。しかしながらこのレコードは、楽曲の一部にカットがある。恐らく収録時間の関係だろうが、聴いてみると演奏が充実しているせいか余り気にならない。それに独唱者も当時のイタリアでのベストである。紹介すると、ベニャミーノ・ジーリ - Beniamino Gigli (テノール)・エツィオ・ピンツァ - Ezio Pinza (バス)・マリア・カニーリア - Maria Caniglia (ソプラノ)・エベ・スティニャーニ - Ebe Stignani (メゾ・ソプラノ)の面々であり、合唱と管弦楽は、ローマ歌劇場合唱団とローマ歌劇場管弦楽団である。此処で一言加えるが、ローマ歌劇場管弦楽団の音を始めて聴いた時は、物凄く地味な音色の楽団に聴こえたのだが、後年の録音で聴いてみると繊細で、柔らかい音色で関心してしまった覚えがある。実はその印象は、只硬質なだけにしか聴こえなかった、ドレスデン・シュターツカペレにも同じ事が言えるのだが、つまり録音技術の恩恵は、そんな処に現れるものかと思った訳だ。印象とはそんな事でも変わるものだ。前置きが長くなった。此処からが、このレコードの感想である。「もう充分ではないか?」とも思うが、掻い摘んで述べよう。導入部は深刻だが、伴奏が柔らかく受け止めているので程々の緊張感で深刻過ぎないのが良い。そして合唱も何となくラテン系気質が感じられてバランスも取れている。「キリエ」の独唱は流石に聴き応えがある。特にジーリの空っとした明瞭な歌唱には惹かれが、ピンツァの安定感も然りである。だが、女性陣も決まっており、手堅い巨匠の指揮も統制が取れており、安心して聴ける。そんな感じなので、「怒りの日」も度を過ぎないので聴きやすい。何故かと言えば、下手に細工をすると全体の印象が、とても安っぽいものとなり、只、それだけの演奏で終わっているものも多々在るからだ。審判の喇叭も楽曲の流れに添っており、次に歌われるピンツァの独唱も節度を極めているので、他の独唱者との調和も取れていると思う。スティニャーニの歌唱も格調高い。三重唱を聴いていると、まるで歌劇の一場面かと勘違いをする位だが、歌手が此処まで揃っていれば何も言う事もない。それにこの楽章は長いので、そんな落し処がないと聴いている方が疲れてしまう。勿論、四重唱も美しい。処々の間も「阿吽」の呼吸を感じさせる。時に演奏者達が渾然一体と音楽に没頭してしまっている箇所も在るが、その真摯な姿勢こそが真の芸術であり、再生音楽をも超越した瞬間を感じた。「我あやまちたれば嘆き」と歌うジーリは名唱だ。長大な怒りの日は、そんな感じだ。「奉献歌」は、流石に素朴だが、ヴェルディ故に光の当て方が違う感じがする。此処でも独唱者達の充実した歌唱が魅力だ。「聖なるかな」は、やはりイタリア人としての気質を感じずにはいられない。これを聴くだけでもヴェルディの醍醐味を堪能出来る。オール・イタリアン・メンバーで聴くヴェルディはやはり良いものだ。リズムの間とかには、確かに他の民族が成し得ないテンペラメントがある。続く「神の子羊」は、スティニャーニとカニーリアの歌唱技術に惹かれる。それと「絶えざる光を」の澄み切っていながらも力強い表現は時に何と信仰心に溢れた慈悲深いものだろうかと思う。終章に辺る「我を救い給え」は、神に対する主張だが、交互に怒りの日が表現される。だからこその願いだろうが、切実な孤独感は強い説得力を持っている。



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