2014/6/12

セラフィンのレクイエム  SPレコード


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Victer Japan JAS-175 78rpm(80rpm)


イタリアの名匠、トゥリオ・セラフィンが指揮をしたヴェルディのレクイエムである。同曲の全曲録音としては、2度目らしいのだが、録音が古いとは言え、78回転盤特有の硬質感と音そのものの勢いは、とても聴き応えがある。収録年は、1939年8月である。私の所有するレコードは、見た通りの国内盤だが、この頃の盤質は、とてもムラがある。幸いこれから紹介するものはプレスの状態も普通程度だが、ものによっては酷いものもあるそうだ。とは言え演奏は素晴らしい。「怒りの日」での大袈裟な演奏が多いせいか、有名過ぎる代償として、外的なものもよく耳にするが、巨匠の演奏では寧ろ楽曲の静的な面が活かされており、改めて「死者の為の鎮魂曲」である事を知らしめてくれる。しかしながらこのレコードは、楽曲の一部にカットがある。恐らく収録時間の関係だろうが、聴いてみると演奏が充実しているせいか余り気にならない。それに独唱者も当時のイタリアでのベストである。紹介すると、ベニャミーノ・ジーリ - Beniamino Gigli (テノール)・エツィオ・ピンツァ - Ezio Pinza (バス)・マリア・カニーリア - Maria Caniglia (ソプラノ)・エベ・スティニャーニ - Ebe Stignani (メゾ・ソプラノ)の面々であり、合唱と管弦楽は、ローマ歌劇場合唱団とローマ歌劇場管弦楽団である。此処で一言加えるが、ローマ歌劇場管弦楽団の音を始めて聴いた時は、物凄く地味な音色の楽団に聴こえたのだが、後年の録音で聴いてみると繊細で、柔らかい音色で関心してしまった覚えがある。実はその印象は、只硬質なだけにしか聴こえなかった、ドレスデン・シュターツカペレにも同じ事が言えるのだが、つまり録音技術の恩恵は、そんな処に現れるものかと思った訳だ。印象とはそんな事でも変わるものだ。前置きが長くなった。此処からが、このレコードの感想である。「もう充分ではないか?」とも思うが、掻い摘んで述べよう。導入部は深刻だが、伴奏が柔らかく受け止めているので程々の緊張感で深刻過ぎないのが良い。そして合唱も何となくラテン系気質が感じられてバランスも取れている。「キリエ」の独唱は流石に聴き応えがある。特にジーリの空っとした明瞭な歌唱には惹かれが、ピンツァの安定感も然りである。だが、女性陣も決まっており、手堅い巨匠の指揮も統制が取れており、安心して聴ける。そんな感じなので、「怒りの日」も度を過ぎないので聴きやすい。何故かと言えば、下手に細工をすると全体の印象が、とても安っぽいものとなり、只、それだけの演奏で終わっているものも多々在るからだ。審判の喇叭も楽曲の流れに添っており、次に歌われるピンツァの独唱も節度を極めているので、他の独唱者との調和も取れていると思う。スティニャーニの歌唱も格調高い。三重唱を聴いていると、まるで歌劇の一場面かと勘違いをする位だが、歌手が此処まで揃っていれば何も言う事もない。それにこの楽章は長いので、そんな落し処がないと聴いている方が疲れてしまう。勿論、四重唱も美しい。処々の間も「阿吽」の呼吸を感じさせる。時に演奏者達が渾然一体と音楽に没頭してしまっている箇所も在るが、その真摯な姿勢こそが真の芸術であり、再生音楽をも超越した瞬間を感じた。「我あやまちたれば嘆き」と歌うジーリは名唱だ。長大な怒りの日は、そんな感じだ。「奉献歌」は、流石に素朴だが、ヴェルディ故に光の当て方が違う感じがする。此処でも独唱者達の充実した歌唱が魅力だ。「聖なるかな」は、やはりイタリア人としての気質を感じずにはいられない。これを聴くだけでもヴェルディの醍醐味を堪能出来る。オール・イタリアン・メンバーで聴くヴェルディはやはり良いものだ。リズムの間とかには、確かに他の民族が成し得ないテンペラメントがある。続く「神の子羊」は、スティニャーニとカニーリアの歌唱技術に惹かれる。それと「絶えざる光を」の澄み切っていながらも力強い表現は時に何と信仰心に溢れた慈悲深いものだろうかと思う。終章に辺る「我を救い給え」は、神に対する主張だが、交互に怒りの日が表現される。だからこその願いだろうが、切実な孤独感は強い説得力を持っている。



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