2014/8/13

米ソ冷戦時代の複協奏曲  協奏曲


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Sinsekai Victor-Japan SMK-7640 LP


ダヴィッド・オイストラフとムスチラフ・ロストロポーヴッチがタッグを組んだレコードだが、これは巷では名盤だ。だがこの録音が行われた時代は、米ソ冷戦の真っ只中だったので大いに話題になった。それは指揮をしているのが、ジョージ・セルで楽団がクリープランド管弦楽団だからだが、1969年にあっては快挙だったのは政治的な意味合いも含めて当然だと思う。だから解説もそのような観点から触れているのだが、その辺の緊張感も演奏にもある筈だ。それで改めて聴いてみるが、録音に至った経緯もそんな背景なので、正直あまり聴かないレコードだ。しかしながらブラームスがヨアヒムとの仲違い解消の為に書かれた「和解の協奏曲」を選ぶとは心憎い。現在のロシアと米国の関係が、まるで過去に逆戻りでもしているので余計にそう思う。それはともかく聴いてみよう。なので冒頭も如何にも意思的かとも思いきやセルの指揮は意外とリラックスしている。それもあるのかロストロポーヴッチも余裕を持った表現でそれ程重い訳でもない。オイストラフも歌がある。だが曲の特性から暗くなるのは仕方ない。演奏は良く流れてとても見通しが良い。そんな感じなので独奏者同士のバランスも良い。これは「火花散る」とか「互いの鎬を削る」何て言葉とは全く縁のない演奏だ。なので聴き手ものんびり聴いていられる。しかしじわじわと聴いている内に感動さえするのは三者の曲の捉え方が的確で構成面の確かさが如何に優れたものかを知るからなのだが、それこそ流石大家の演奏なのだろう。重厚な歌には圧倒される。そんな第一楽章だった。それに沸々と湧き上がる情熱も勿論ある。アンダンテは、元々牧歌的なので音楽を楽しんで演奏しているのが伝わる程だが、オイストラフも歌に満ちており、それに掛け合うようにロストロポーヴッチもチェロで語り掛ける。それが素晴らしい。余計な講釈を並べる必要もない演奏だ。終楽章も基本は同じだ。此処ではセルが独奏者を煽るのが面白い。当時の冷戦が嘘のような平和な演奏だ。このレコードは、この曲の定番にしても良い位に余計なものがない。録音状態はガサツだが、好きな演奏だ。とても能天気な感想だが、気楽に聴くには、こんな演奏も良い。

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2014/8/7

R・シュトラウス自作自演集 Part.2(DGG編)  クラシック


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Polydor Japan POCG-2915/7 3CD 1993


指揮者としても高名なR・シュトラウスの独.DGGのものを纏めたCDだ。なかなか良く出来た復刻なので聴いていても何の支障がないのは嬉しい。曲は「ドン・キホーテ」と「町人貴族」組曲である。早速「ドン・キホーテ」から聴いてみよう。収録年は、1933年、楽団は、ベルリン国立管弦楽団である。尚、この曲には独奏楽器の部分もあるので奏者の紹介もしておこう。チェロは、エンリーコ・マイナルディ、ヴィオラは、カール・ライツ、ヴァイオリンは、ゲオルグ・クニーシュテットである。構成は、オーケストラが「ドン・キホーテ」にとっては敵で、チェロがドン・キホーテ自身を表している。従者サンチョ・パンサは、ヴィオラである。なので演奏で注目すべきは、その描写である。お話の内容は、ドン・キホーテ自身の妄想劇だが、冒頭は、ラ・マンチャの村に住む男が騎士道の本を読んで妄想にふけり、自分が騎士ドン・キホーテであると思い込み、ドン・キホーテは従者サンチョ・パンサを引き連れて冒険に出ると言う御馴染みの話だ。その妄想が夢のように上機嫌になって行くさまは。やはり作曲家の自作自演と言うべきか淡々としなからでも昔話のように主題が語ってくるので、別にト書きを読みながら聴かなくても充分に理解が出来るのが良い。チェロとヴィオラの掛け合いは話をしているようだ。そして例の風車との戦いだが、これは元々巨人に向かって戦うとされているのだが、ドラゴンと戦うとも解釈されていて、どちらが本当かと思うのだが、表現はサラリとしている。大軍と戦うさまも品が良い。だが表情が過多とならない演奏も良いものだ。寧ろ処々に主人公の孤独が感じられるのだが如何なものだろう。その点では静かな演奏なのかも知れないが、確かにこの演奏では曲が持つ情緒の方が良く表現されている。それで主人公の妄想壁も他愛のない夢への想いなのだと聴いていると納得する。正に「男の浪漫」と言うべきか?評論としては、とてもズレたもので申し訳ないが、それだけに終曲の主人公の終焉が、「シラノ・ド・ベルジュラック」の死の場面と重なり、心に残るものがあった。次は。モリエールで御馴染みの「町人貴族」組曲である。此方は、1930年の収録で、この時代をベルリン・シュターツカペレの全盛期とする論調もあるが、私も賛成だ。楽団はこの前振り通り、ベルリン・シュターツカペレである。因みにR・ショトラウスが書いた、この曲はホーフマンスタールが改作した芝居の為の劇音楽である。尚、モリエールの戯曲は、リュリが作曲した曲で上演をされているのだが、此処では第二幕の前奏曲に転用されている。編曲は、勿論。R・ショトラウスだ。第一幕の序曲もR・シュトラウスならではの流儀なのか、とても品が良い。だから自身のメヌエットもこの作曲家らしい美学が感じられる。聴いていると「ばらの騎士」と類似した主題も聴かれるが、曲自体の規模は小さいので微笑ましい。だから「フェンシングの教師」とされる曲も実に毅然としながら優雅だ。つまり全曲が、こんな感じで演奏をされているのだが、聴いているとその芝居との上演も観たくなる。余談だが、1955年の「俳優座」の公演で「ジョルダン」を演じたアクの強い東野英治郎さんの舞台写真を見てもそう思う。現在の「俳優座」も中谷一郎さんがお亡くなりになってからは、どうも影が薄い。残念だ。

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