2015/2/12

自作自演の交響曲  交響曲


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Grammophon-Deutcshe 2721 202 10LP


フルトヴェングラーは20世紀最大の指揮者だったのは、今更否定も出来ないが、本人は自身の事を「作曲家」との自覚をしており、その作品も多々あるのだが、残念な事にその作品が演奏をされる事は存命当時でも本人が取り上げている演奏会以外では極端に聴かれる機会も少なく、やはり指揮者としての存在感が、それを勝っている事も否定は出来ないだろう。何だか文章が一回りをしてしまったが、所詮はその程度の認識しかない。そんな中で知れているものとしては、第2番の交響曲があるのだが、この曲は巨匠生前中にも割りと頻繁に演奏の機会があり、独.DGGにレコーディングまでされているのだから知名度もそれなりにある。そこでその独.DGGのものを取り上げるが、紹介するレコードは、巨匠没後30周年に発売された「フルトヴェングラーの遺産」とされるものである。此処には主要な戦後録音が纏められており、御馴染みのものは聴く事が出来るのだが、当時の西ドイツプレスの優秀性も充分に堪能出来るので、これは良い全集だ。そこで巨匠の第2交響曲も収録されているので紹介しよう。尚この作品は1944年に作曲に着手し、第二次世界大戦ドイツ敗戦後の1945年10月18日に完成されている。そして1948年2月22日に巨匠自身の指揮で、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団により初演されている。更に日本初演が1984年4月24日に朝比奈隆指揮で、大阪フィルハーモニー交響楽団によって行われており、同時にレコーディングもされたので聴いた方も居られるだろう。収録年は、1951年11月22日-12月4日で、ベルリンのイエス・キリスト教会に於いて収録をされたものだ。楽団はもちろんベルリン・フィルである。これはブルックナーやワーグナーなど後期浪漫派の影響が強い作品とされているようだが、初めて聴いた時の感想では、全く浪漫的な性格とは事なり、その例えは的外れだと思う。寧ろ特色は薄く、暗い音色に支配されただけの長大な交響曲である。なので只長いだけで聴き手には、とても居心地が悪い。それでも何度もめげずに聴いていると妙に癖となる魅力がある不思議な楽曲だ。取り合えず演奏時間が長いだけならブルックナーにも匹敵するか?だが一聴して、これがドイツの作曲家のものとは思うまい。まるで北欧の作曲家かロシアのそれみたいだ。これが楽曲に関する私見だ。さて前置きは此処までとして、このレコードの演奏の感想だが、第1楽章は、Assai moderatoである。冒頭、クラリネットの暗い音形に続いて弦楽で全曲を統括する動機を奏するのだが、此処の情緒性が物悲しく、当時のベルリン・フィルの如何にも燻した銀のような音色に惹かれる。それから主部に突入するのだが、分厚い低弦部に乗る高弦は美しさの限りで、どんどん音楽が膨れ上げる様を聴いていると、それはそれで悪くはない。特に第2主題は繊細で美しい。此処が聴いていると癖になる。宛ら展開部は感情の嵐である。とにかく楽団の響きが美しいのだ。だから第2楽章(Andante semplice)も、その延長で聴いてしまう。しかしながら常に苦悩に満ちた響きを聴いていると、これは作曲された時代背景を如実に表したものであり、「だからこうなのか?」と納得させるものがある。第3楽章は、Un poco moderatoである。とても特色のある楽章で、巨匠の音楽に食らいつく楽員の必死な点は評価すべきだろう。正しく音楽に没頭しているのだが、とても人間味のある演奏が聴ける。終楽章は、Langsam - Allmählich Vorwärts - Allegro moltoである。冒頭は、やはり苦悩に満ちているが、まだ救いがあるようだ。救済に向けた上昇する主題は頂点に達すると天国の門を開く趣がある。浪漫的と言うよりはドラマティックな楽章だ。また演奏もそれに答えている。此処まで聴いていて造型には寸分のブレもないのは自作自演故なのだが、聴き終わると開放された晴れ晴れとした気持ちとなり、それはそれで良いと思う。ベルリン・フィルあっての演奏だ。巨匠が如何に楽員から信頼されていたのがよく解る。当時の同楽団の楽員は、巨匠にスキャンダルが持ち上がると必死に守ったとの話もあるが、これ程の音楽性の持ち主なれば気持ちも充分に理解出来る。

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2015/2/5

ヨッフムの魔弾の射手  指揮者


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Grammophon Japan MG 9354/5 2LP 1970


ウエーバーの歌劇「魔弾の射手」である。この曲は、序曲ばかりが有名で全曲となると意外と聴く機会がない。だが昔から日本の音楽ファンにも親しまれた歌劇でもある。だから名盤と言われている盤も数多くあるのだが、自身の見識では、地味なオペラとの印象が強く食指が進まなかった。それで結局定盤として、オイゲン・ヨッフムの指揮したこのレコードを購入したのだが、それは発売当初からの評価が高く、まづはこれからみたいな印象があったからである。先に配役なりを紹介しておくが、領主オット・カールが、エバーハルト・ヴェヒター(Br)、森林官クーノが、アルプレヒト・ペーター(B)、アガーテが、イルムガルト・ゼーフリート(S)、エンヒェンが、リタ・シュトライヒ(S)、そして二人の狩人が、クルト・ベーメ(Bs)、リヒャルト・ホルム(T)、隠者は、ヴァルター・クレッペル、俗福な農夫キリアンがパウル・キューン(Bs)で、花嫁の付き添いの少女が、マルゴ・ラミネとギゼラ・オルートである。それに腹黒い狩人であるザミエルが、エルンスト・ギンスベルクが語りで参加している。楽団は、バイエルン放送交響楽団&合唱団(合唱指揮、クルト・プレステル)である。尚、収録は、1960年との事だ。そこで初めてこのレコードを聴いた時の印象としては、「嗚呼、これがスタンダードな演奏なんだ!」と納得する程の安定感がある。なので何処となく暖かみのある演奏に安心して針を降ろすと結局最後まで聴いてしまうのだが、序曲もヨッフムが師と崇めたフルトヴェングラーと同様のテンポ設定ながら彫りは浅く、妙な重々しさがないので聴きやすいからだろう。巨匠は終生、フルトヴェングラーの影が付き纏ったアコーギクが特徴だった。アレグロは常にアッチェレランドが掛かっているかのような推進力を感じるが、気持ちの上だけなので壮絶にはならずに何処か軽い。当初は「録音のせいかな?」とも思ったが何度聴いても同じ印象なので、この頃の巨匠の音楽の造りがそうなのだろう。思えばコンセルトヘボウとのベートーヴェンもそんな印象だった。「勝利だ。勝利だ。」で始まる合唱の何と溌剌とした事かと感心するが、此処に当時の巨匠の若さがある。パウル・キューンの農夫キリアンの一声が如何にもドイツのバスだが、明朗で好感が持てる。リヒャルト・ホルムとアルプレヒト・ペーターの掛け合いから始まり、クルト・ベーメが加わる三重唱も此処までと言って良い位に見事なアンサンブルを感じさせるが、そこに合唱が入るとこれこそドイツの森が浮かぶ風土的なものを感じる。ワルツも過度にならずに豪快だ。その後のホルムのアリアも破綻がなく素晴らしい。後半の巨匠の伴奏は絶妙だ。演奏も此処まで来ると結構乗って来ている。伴奏もベーメ演じるカスパールの感情と同調し膨れ上がる。第二幕は、リタ・シュトライヒのエンヒェンとイルムガルト・ゼーフリートのアガーテの掛け合いから二重唱となるのだが、「この高揚する気持ちは何だろう?」と思う程の幸福感は良いものだ。此処ではリタ・シュトライヒのリリックで可憐なソプラノがやはり光る。そして例の「アガーテのアリア」だが、ゼーフリートの安定感が半端ではない。さてホルムが加わる三重唱だが、この頃のドイツ系の歌手は見事にドイツ語を音楽に乗せる。この頃のバイロイトが素晴らしかったのも、そんな歌手が多数を占めていたからだが、近年は残念な事になった。民族性とは得てしてそう言うものなのだろう。場面転換の音楽は充分な緊迫感があるが、過度になり過ぎないので聴きやすい。だが終始部は、とても熱っぽくで圧巻だ。その辺が巨匠のバランス感覚か?さて第三幕のカヴァティーナなのだが、此処に来て、やや細身のゼーフリートの歌唱に物足りなさを感じる。ロマンツェはシュトライヒだが、此方の方が余裕がある。第四幕の「すみれ色の絹で」から始まる民謡は微笑ましい。狩人の合唱も明朗で快活である。この合唱を聴いて正にドイツ精神の結晶とするのは言い過ぎだろうか?それにしてもドイツ的な素朴さと、対立要因としての邪悪さのコントラストが素晴らしいレコードだ。聴いていて感じたのだが、バイエルン地方特有の、ある種の脳天さとか明るさが支配している演奏だ。それが巨匠の音楽性に融和して独特の世界を創り上げているので、見事な相乗効果を上げた。そこが魅力だと言っても過言ではないだろう。そのうち対極のフルトヴェングラー盤でも聴きたいものだ。

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2011.04.23 より補足

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