2015/7/15

全集前後の第九  指揮者


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Testament BBT 177 CD 1999


オットー・クレンペラーがフィルハーモニア管弦楽団を指揮したベートーヴェンの交響曲第9番だが、巨匠が英国コロムビアにベートーヴェンの交響曲全集の一連の録音としてされたものはよく知られているので今更だが、此処で紹介するCDは一捻りあって、これはフィルハーモニア管弦楽団の後に結成されたフィルハーモニア合唱団の御披露目としてされた演奏会でのものである。御存知の通り、この合唱団が結成される前は、コヴェントガーデン王立歌劇場の合唱団が起用されたり、ウィーンで収録されるものに関しては楽友協会の合唱団を採用したのだが、その辺の不一致をプロデューサーであるヴォルター・レッグが気にしていたかは知らないが、バイロイトの合唱指揮者ヴィルヘルム・ピッツを招聘してフィルハーモニア合唱団を組織しようと1956年10月に団員公募の広告を出した処。180人以上の応募があったと言うのだから驚きだ。そしてピッツの指導の元に訓練を積み上げて、ようやく1957年11月12日、ついにクレンペラー指揮の「第9」で旗揚げしている。それでこのCDでの演奏はその3日後の第2回公演である、15日のものだが、録音スタッフは違うようでバランスは違う。尚会場は、ロイヤル・フェスティヴァル・ホールだった。このホールは、1951年落成だが、写真で見ると馬鹿みたいに広いホールに感じる。収容数も2900席だが、確かにこのCDを聞いても広すぎる空間に音が充満せずに散っていく印象しかなく、後ろのお客さんまで「音が届いたのかな?」とつい余計な事を考えてしまう。さて肝心の演奏だが、先に独唱者の紹介をするとオーセ・ノルモ=レーヴベリ(S)、クリスタ・ルードヴィヒ(Ms)、ヴァルデマール・クメント(T)、ハンス・ホッター(Bt)の面々で、レコードとして発売顔触れと同様だ。もしやその後のレコード・セールスをも目論んだのかな?とも思われるが、それはプロデューサーなればこそ、そんな事も考えてしまう。ようやく演奏に触れるが、最初の拍手から先を期待させる。序奏部は冒頭から明瞭で炸裂するように始まる第一主題が何と雄弁な事か?それから音楽が膨れ上がって行くのだが、その勢いが凄い。此処にクレンペラーならではのリアリスティックな一面も垣間見る事になるのだが、まだ巨匠は元気だった。聴いていると「なんだ巨匠も音楽に夢中になるじゃないか?」と捻た事も言いたくなるが、最初の展開部も久々にそれらしいものを聴いたと思える程に充実した響きなのが嬉しい。団員も奮闘している様子も解る位に熱っぽいが、此処までやってベートーヴェンだなと思う。全篇に渡り、正に精神の嵐である。それにしても「ドバッ」と音楽が吹き出てくる。だから展開部の再現も物凄いものだ。そうして第一楽章は終る。第二楽章も冒頭のテインパニーの強打から面食らう程だが、どっしりと推移して行く様子は勇ましく、間に聞かれる木管も破綻なく、名人芸すら感じさせる。ファゴットもこんなに表情が豊かなんだなと感じるのも、この演奏ならではだ。それにしても重戦車が突撃して行く趣きもあり、巨匠のドイツ人気質も満開なので、まるでドイツの楽団でも振っているような錯覚すら覚える。木管のトリオの部分は長閑で牧歌的でもある。此処では処々に巨匠の唸り声が聞こえる。それにしても木管の扱いが上手い指揮者だ。ホルンは誰だろうか?物凄く上手い。尚終始部は意外と落着いている。アダージョの導入部は、クラリネットとファゴットによって演奏されるが、これも上手い。当事はどれだけ優秀だったんだと感心する程に各奏者が上手い。巨匠のテンポは、そんなに遅い感じもしないが、サラリと仕上げたスタジオ録音の演奏と比べて、時に「はっ」とするテンポの揺らぎもあり、実演の方が人間的なのかなとも思う。この交響曲に関して「第四楽章なんて要らない」なんて言ったのは、他ならぬ巨匠だが、これぞ天上の音楽のようで、フルトヴェングラーの神秘を極めたそれとはまた違う孤高な音楽が聴こえる。例の警告の喇叭も線が太いが、目の前に広がる音楽は現実的で、触れる位の立体感がある。この辺に来るとテンポも意外と速い。次は巨匠には無用の筈の終楽章だが、序奏部冒頭は野太く「ズシッ」とくる。此処での間に聴ける木管の色彩感も、それまでと同じ事が言えるが、低弦部の物凄く分厚い響きを聴いていると「これがベートーヴェンの音楽なのかな」と思ってしまう。そんな事を感じてしまうのも、最近は終ぞそんな演奏には御耳に掛かれないからだ。此処では時に擬音ばかりで表現をしているが「ドシン」「ズシン」なんて音が音楽として体感出来る演奏なんて最近は全く聴けないのだから当然だ。ハンス・ホッターの歌い出しはまあまあだ。それはもう少し出来るだろうと思ったからだが、フィルハーモニア合唱団は流石に御披露目だけに気合いが篭っている。だから最初のフェルマーターも「へぇー」と思う。巨匠の演奏には変な間がないので、その後のマーチも明瞭だが、この辺に来ると更に音楽も充実しているのだから「素晴らしい」の言葉しか浮かばない。「流石は巨匠、参りました」てなものか?これ程に演奏の精神性を感じるものもないのではあるまいか?他の独唱者に関しては文句なし。巨匠の意に沿っていると思う。コーダも確実に決めた。最後に一言だが「第四楽章なんて要らない」と言う巨匠の言葉は照れ隠しか?とても捻くれた音楽家だけにそう思う。そこが魅力なのだが.......

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2015/7/8

アルゲリッチのショパン  器楽曲


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Polydor Japan MG 2491 LP

マルタ・アルゲリッチと言えば、現在では大分県別府市とは特につながりが深く、1994年に別府ビーコンプラザ・フィルハーモニアホール名誉音楽監督に就任したり、1996年より別府アルゲリッチ音楽祭(1998年第1回開催)の総監督を務め、2007年には別府アルゲリッチ音楽祭の主催団体であるアルゲリッチ芸術振興財団(Argerich Arts Foundation)の総裁に就任している程の親日家のピアニストだが、妙にサバサバした性格の為か色々とあるが好感のあるピアニストだ。そんな事もあって日本では見る機会もその演奏を聴く機会の多い人だが、1998年以降は別府アルゲリッチ音楽祭の為、毎年来日しているのだから当たり前だろう?彼女はアルゼンチン、ブエノスアイレス出身だが、若き日は、独特のエキゾチックな魅力があり、このジャケットを見ても惹かれるものがある。さて彼女の来日は1969年だが、残念ながら当時に夫婦関係にあった指揮者であるシャルル・デュトアとその時に演奏会があったのだが、夫婦喧嘩の上に帰国してしまい、それを悪いと思ったのか、翌年の1970年にようやく日本の聴衆に実力を披露する事になった。なのでいい御歳になっても御転婆の印象が強いが1941年生まれなので、やはりもうそれなりなのである。敢えて歳は書かない。さて此処で紹介するレコードはショパンの「ピアノ・ソナタ第2番 変ロ長調op.35 」、即ちあの「葬送行進曲」が第3楽章にあるものだが、此処は1965年のショパン国際ピアノコンクールで優勝し、最優秀マズルカ演奏者に贈られるポーランド放送局賞(マズルカ賞)も受賞した彼女ならではの面目を潰さない演奏が聴ける。第1楽章の叙情的な躍動感と言おうか沸々と登り詰める主題には「はっ」とするものがあるが、とても技巧的なのに情熱が迸る真摯に作品に向き合う姿勢には感動するものがあり、誠に息を吐かせない緊迫感が素敵だ。よく金縛りに会うなんて表現があるが、それがこの楽章の演奏にあるなんて感想は言い過ぎか?スケルツォも、その流れだが目の前で炸裂する花火のような音は目に見える程だ。だが弱音部も見通しが良いので譜面の裏にあるものも表現されているかのようだ。さて例の葬送行進曲は敢えて淡々と弾いているのか、ひしひしとその主題が迫って来る。強い表現ではないが、それで充分だ。それにしても彼女はまるで息をするようにショパンを弾く。プレストは羅列する音型の中から彼女の技巧を聞くべき演奏だが、これ程に正確に主題を弾き分けながらも人間的で瑞々しいのは、やはりこの人ならではだろうか?次はB面の「アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズop.22」だが、まるで夢の中で、この曲を聴いている心地のする演奏で音が風に吹かれて音楽が漂う感じがなんとも良い。それは揺らぎながら時に迫り、通り過ぎて行く。午後のまどろみの中で聴くには最高の演奏だ。あまりにも気持ちが良過ぎて寝てしまいそうだ。だがポロネーズの部分は目の前で美少女がバレエでも踊っているような趣きもあり、なんだか余計な感想も述べるべきでもないかも?と思わせる。だがセンチメンタルな面も心の揺らぎを感じるような処もあり、一筋縄ではない。もちろん作品の持つ美観も充分表現されている。続く「スケルツォ第2番変ロ長調op.31」は、冒頭から衝動的だが、交差する感情は寧ろ抑制されており、そのバランス感覚を聴くべき演奏。これも技巧を技巧として聴かせずにサラリと弾いているのが見事だ。尚この録音は、1974年にドイツはミュンヘンのスタジオで行なわれたとの事だ。

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