2013/8/23

「大地の歌」と初演者  指揮者


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Toshiba-EMI GR-2224 LP


今更ながらの名盤だが、ブルーノ・ワルターはマーラーと関わり合いが在り、「大地の歌」の初演者としても知られている。マーラーとの出会いは1896年でハンブルク歌劇場に勤めた事から始まる。当時、この歌劇場で音楽監督(1891年ー1897年) を勤めていたのがグスタフ・マーラーだった。つまりワルターの上司だった訳だが、次第に認められ、部下から弟子、そして親友として交流を深めて行った。「大地の歌」が初演されたのは、1911年11月20日である。カイム管弦楽団(ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団の前身)の演奏会だった。残念ながら同年の5月にマーラーはこの世を去っていた。そこでマーラーの弟子であるワルターが指揮を担当する事となった。此処から巨匠とするが、生涯に正規録音として3回この曲を残しているのは知っての通りだ。そのどれもが説得力の在る演奏だが、年代や楽団、歌手によって評価も異なる。此処では初演から25年を経た1936年にウィーンフィルの演奏会で録音された実況録音を紹介しよう!歌手は、テノールがチャールズ・クルマン、ソプラノがケルステン・トルボルクである。さてこのレコードで何かと議論されるのはクレマンのドイツ語の発音についてである。当時新鋭の米国人歌手と言う事だが、英国人との情報も在る。つまり英語圏の歌手なので云々との事なのだろう?しかしながら各国の言語に精通している音楽ファンなんて稀なので難しい事は考えずに心を澄まして聴いてみよう!針を下ろすと巨匠がうんうん唸っている。そしてその勢いで指揮棒を振るものだから楽員が感化されてリズムやアクセントが妙に強調されている。そんな熱に浮かされてテノールが歌い出すが緊張度が尋常ではないので、すっかりクレマンも煽られている感じがする。「ずいぶん気合が入っているな?」てな印象である。そんな第1楽章だった。第2楽章は、その流れで突入するのだが、トルボルクはワーグナー歌手として定評の在った人だけにイゾルデでも演じているような歌い方が耳に残る。キリッと入る弦の音が、とても美しく巨匠とウィーンフィルの相性が如何に良かったかが実感出来る。第3楽章のクルマンの表現は少々甘いが青春を高らかに歌う楽章の特色は充分聴き取れる。それは第4楽章の美についても同様である。トルボルクが良い味を出している。巨匠の表現も自由自在てな感じがする。やはり実演のせいか表情が濃い!これもウィーンフィルと巨匠ならではだろう!第5楽章は春に酔える者と早い話が飲兵衛が酒に陶酔している情景なのだが、確かにウィーンフィルの弦の調べは聴いていると本当に酔い痴れる程美しいが、クレマンの表現は少々控えめに聴こえる。大虎になる一歩手前位か?終楽章は告別を表現しているのだが、意外と能天気に聴こえるのは巨匠の狙いか?「今は大変だけどまあね?」なんて感じなのだ。つまり悲痛になる寸前で諦めているのだが、「それも人生なのかな?」と納得してしまう!ウィンナホルンが良い味を出している。聴き終わったらジワリと感動してしまった。世評では英.Deccaの戦後の録音が良いのだろうが、聴き手の気分で受け取り方も違うだろう?最初は古い録音だな?と思うのだが、聴き終わると又聴きたくなる魅力が在るレコードだ。SPレコードで聴き直す機会が在れば感銘度も違うだろうか?尚余白には。トルボルクの独唱で「私はこの世に忘れられ」が在るが、表現も程々なので、大地の歌を聴いた後には癒される。

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