2014/8/7

R・シュトラウス自作自演集 Part.2(DGG編)  クラシック


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Polydor Japan POCG-2915/7 3CD 1993


指揮者としても高名なR・シュトラウスの独.DGGのものを纏めたCDだ。なかなか良く出来た復刻なので聴いていても何の支障がないのは嬉しい。曲は「ドン・キホーテ」と「町人貴族」組曲である。早速「ドン・キホーテ」から聴いてみよう。収録年は、1933年、楽団は、ベルリン国立管弦楽団である。尚、この曲には独奏楽器の部分もあるので奏者の紹介もしておこう。チェロは、エンリーコ・マイナルディ、ヴィオラは、カール・ライツ、ヴァイオリンは、ゲオルグ・クニーシュテットである。構成は、オーケストラが「ドン・キホーテ」にとっては敵で、チェロがドン・キホーテ自身を表している。従者サンチョ・パンサは、ヴィオラである。なので演奏で注目すべきは、その描写である。お話の内容は、ドン・キホーテ自身の妄想劇だが、冒頭は、ラ・マンチャの村に住む男が騎士道の本を読んで妄想にふけり、自分が騎士ドン・キホーテであると思い込み、ドン・キホーテは従者サンチョ・パンサを引き連れて冒険に出ると言う御馴染みの話だ。その妄想が夢のように上機嫌になって行くさまは。やはり作曲家の自作自演と言うべきか淡々としなからでも昔話のように主題が語ってくるので、別にト書きを読みながら聴かなくても充分に理解が出来るのが良い。チェロとヴィオラの掛け合いは話をしているようだ。そして例の風車との戦いだが、これは元々巨人に向かって戦うとされているのだが、ドラゴンと戦うとも解釈されていて、どちらが本当かと思うのだが、表現はサラリとしている。大軍と戦うさまも品が良い。だが表情が過多とならない演奏も良いものだ。寧ろ処々に主人公の孤独が感じられるのだが如何なものだろう。その点では静かな演奏なのかも知れないが、確かにこの演奏では曲が持つ情緒の方が良く表現されている。それで主人公の妄想壁も他愛のない夢への想いなのだと聴いていると納得する。正に「男の浪漫」と言うべきか?評論としては、とてもズレたもので申し訳ないが、それだけに終曲の主人公の終焉が、「シラノ・ド・ベルジュラック」の死の場面と重なり、心に残るものがあった。次は。モリエールで御馴染みの「町人貴族」組曲である。此方は、1930年の収録で、この時代をベルリン・シュターツカペレの全盛期とする論調もあるが、私も賛成だ。楽団はこの前振り通り、ベルリン・シュターツカペレである。因みにR・ショトラウスが書いた、この曲はホーフマンスタールが改作した芝居の為の劇音楽である。尚、モリエールの戯曲は、リュリが作曲した曲で上演をされているのだが、此処では第二幕の前奏曲に転用されている。編曲は、勿論。R・ショトラウスだ。第一幕の序曲もR・シュトラウスならではの流儀なのか、とても品が良い。だから自身のメヌエットもこの作曲家らしい美学が感じられる。聴いていると「ばらの騎士」と類似した主題も聴かれるが、曲自体の規模は小さいので微笑ましい。だから「フェンシングの教師」とされる曲も実に毅然としながら優雅だ。つまり全曲が、こんな感じで演奏をされているのだが、聴いているとその芝居との上演も観たくなる。余談だが、1955年の「俳優座」の公演で「ジョルダン」を演じたアクの強い東野英治郎さんの舞台写真を見てもそう思う。現在の「俳優座」も中谷一郎さんがお亡くなりになってからは、どうも影が薄い。残念だ。

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