2015/2/5

ヨッフムの魔弾の射手  指揮者


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Grammophon Japan MG 9354/5 2LP 1970


ウエーバーの歌劇「魔弾の射手」である。この曲は、序曲ばかりが有名で全曲となると意外と聴く機会がない。だが昔から日本の音楽ファンにも親しまれた歌劇でもある。だから名盤と言われている盤も数多くあるのだが、自身の見識では、地味なオペラとの印象が強く食指が進まなかった。それで結局定盤として、オイゲン・ヨッフムの指揮したこのレコードを購入したのだが、それは発売当初からの評価が高く、まづはこれからみたいな印象があったからである。先に配役なりを紹介しておくが、領主オット・カールが、エバーハルト・ヴェヒター(Br)、森林官クーノが、アルプレヒト・ペーター(B)、アガーテが、イルムガルト・ゼーフリート(S)、エンヒェンが、リタ・シュトライヒ(S)、そして二人の狩人が、クルト・ベーメ(Bs)、リヒャルト・ホルム(T)、隠者は、ヴァルター・クレッペル、俗福な農夫キリアンがパウル・キューン(Bs)で、花嫁の付き添いの少女が、マルゴ・ラミネとギゼラ・オルートである。それに腹黒い狩人であるザミエルが、エルンスト・ギンスベルクが語りで参加している。楽団は、バイエルン放送交響楽団&合唱団(合唱指揮、クルト・プレステル)である。尚、収録は、1960年との事だ。そこで初めてこのレコードを聴いた時の印象としては、「嗚呼、これがスタンダードな演奏なんだ!」と納得する程の安定感がある。なので何処となく暖かみのある演奏に安心して針を降ろすと結局最後まで聴いてしまうのだが、序曲もヨッフムが師と崇めたフルトヴェングラーと同様のテンポ設定ながら彫りは浅く、妙な重々しさがないので聴きやすいからだろう。巨匠は終生、フルトヴェングラーの影が付き纏ったアコーギクが特徴だった。アレグロは常にアッチェレランドが掛かっているかのような推進力を感じるが、気持ちの上だけなので壮絶にはならずに何処か軽い。当初は「録音のせいかな?」とも思ったが何度聴いても同じ印象なので、この頃の巨匠の音楽の造りがそうなのだろう。思えばコンセルトヘボウとのベートーヴェンもそんな印象だった。「勝利だ。勝利だ。」で始まる合唱の何と溌剌とした事かと感心するが、此処に当時の巨匠の若さがある。パウル・キューンの農夫キリアンの一声が如何にもドイツのバスだが、明朗で好感が持てる。リヒャルト・ホルムとアルプレヒト・ペーターの掛け合いから始まり、クルト・ベーメが加わる三重唱も此処までと言って良い位に見事なアンサンブルを感じさせるが、そこに合唱が入るとこれこそドイツの森が浮かぶ風土的なものを感じる。ワルツも過度にならずに豪快だ。その後のホルムのアリアも破綻がなく素晴らしい。後半の巨匠の伴奏は絶妙だ。演奏も此処まで来ると結構乗って来ている。伴奏もベーメ演じるカスパールの感情と同調し膨れ上がる。第二幕は、リタ・シュトライヒのエンヒェンとイルムガルト・ゼーフリートのアガーテの掛け合いから二重唱となるのだが、「この高揚する気持ちは何だろう?」と思う程の幸福感は良いものだ。此処ではリタ・シュトライヒのリリックで可憐なソプラノがやはり光る。そして例の「アガーテのアリア」だが、ゼーフリートの安定感が半端ではない。さてホルムが加わる三重唱だが、この頃のドイツ系の歌手は見事にドイツ語を音楽に乗せる。この頃のバイロイトが素晴らしかったのも、そんな歌手が多数を占めていたからだが、近年は残念な事になった。民族性とは得てしてそう言うものなのだろう。場面転換の音楽は充分な緊迫感があるが、過度になり過ぎないので聴きやすい。だが終始部は、とても熱っぽくで圧巻だ。その辺が巨匠のバランス感覚か?さて第三幕のカヴァティーナなのだが、此処に来て、やや細身のゼーフリートの歌唱に物足りなさを感じる。ロマンツェはシュトライヒだが、此方の方が余裕がある。第四幕の「すみれ色の絹で」から始まる民謡は微笑ましい。狩人の合唱も明朗で快活である。この合唱を聴いて正にドイツ精神の結晶とするのは言い過ぎだろうか?それにしてもドイツ的な素朴さと、対立要因としての邪悪さのコントラストが素晴らしいレコードだ。聴いていて感じたのだが、バイエルン地方特有の、ある種の脳天さとか明るさが支配している演奏だ。それが巨匠の音楽性に融和して独特の世界を創り上げているので、見事な相乗効果を上げた。そこが魅力だと言っても過言ではないだろう。そのうち対極のフルトヴェングラー盤でも聴きたいものだ。

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2011.04.23 より補足

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2015/1/16

カラヤンのロ短調  指揮者


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Columbia-Nippon XL5095-7 3LP


ロ短調で書かれた楽曲は数々あれど、此処で挙げる曲はバッハである。そうなると「ロ短調ミサ」と言う事になるのだが、カラヤンの場合は、このレコードに関して言えば意外と厄介である。それは録音データだが、元々契約の関係上、発売当初は覆面扱いで何処の楽団やら何やら不明な点が多い。なのでその辺が明確になったのは、遂最近の事である。これは当時のレコードマニアの想像では、楽団はウィーン・フィルとされていた。しかしその場合だと独特のウィーン奏法が聞かれなければならず、ピッチの問題もあるので簡単なものではない。なのでもしそうだとしても「シンフォニカの方かな?」との仮説になるのだが、それは正解だったようだ。幸い最近ではネットでも調べられるので、ようやく解ったのだが、それによると1952年11月2-5,7日、52年11月23,28〜30,53年7月16日(1952年11月2-5,7日はウィーンのムジークフェラインザール、他はロンドン)に収録されており、ウィーンでの収録部分は、ウィーン交響楽団で、ロンドンでの収録部分は、何とフィルハーモニア管弦楽団が起用されているとの事だ。そのロンドンでの独奏者も判明しているので記するが、マノウグ・パリキアン(vn)、デニス・ブレイン(hrn)、ガレス・モリス(fl)、シドニー・ザットクリフ(ob)、ペーター・ニューベリー(ob)と言う事になっている。そこであの素晴らしいホルンは、デニス・ブレインだと解って納得してしまった。ちなみに独唱者は、エリザベート・シュワルツコップ(s)、マルガ・ヘフゲン(con)、ニコライ・ゲッダ(t)、ハインツ・レーフス(b)の面々だ。尚、合唱団はウィーン楽友協会合唱団である。さてこの録音時のカラヤンは、この録音のために70回以上にも及ぶリハーサルを行ったとの事だ。だが録音当日になってカラヤン自身が敗血症で倒れ、スケジュールの延期が出来なかった為に寝ながら指揮したと言うのだから御苦労な事だ。だからキリエが「どきり」とする程の壮絶な印象があったのかとも思うが、それでもカール・リヒターやオットー・クレンペラーで同曲を聴いた時のような神々しい程の荘厳さはないので、人によっては聴きやすいだろう。そのせいもあるのか自身では、この曲を聴こうと思った時には割りとターンテーブルに乗せる機会の多いレコードである。ささやかに音楽が語り掛けるので、素直に演奏に身を浸す事が出来る。シュワルツコップとヘンゲンの二重唱も美しい。グロリアも活気があって宜しい。合唱も無理に声を張り上げる事もないので、とてもバランスが良い。そんな感じなので強烈な印象なんぞ何もない。この辺に当時の巨匠のバランス感覚を知る事となるのだが、徐々に音楽が温まって行くので、それなりの緊張感はある。それと聴いていて思ったのだが、シュワルツコップが後年に感じる独特の癖がなく、とても素朴だ。此処からは曲が長いので気がついた点のみ述べるが、男性陣ではニコライ・ゲッダの明朗で優しい声に慈愛を感じる。この頃のゲッダも意外と良い。ハインツ・レーフスは安定感だろうか?四重唱の時は奥の支えとしての存在感がある。それは勿論独唱時も同様だ。巨匠の指揮は流石にこの時代は溌剌としている。それがいざと言う時の瞬発力なのだが、全体の構成を見つつも突進する箇所は、やはり若さが出ている。ニカイア信条では、良く訓練された楽友協会合唱団の実力を堪能出来る。巷の音楽専門誌では、何かと評判も今一つだが、素直に音楽に没頭する様は感動する。サンクトゥスからホザンナに掛けては圧巻だ。アニュスディも然程深刻になり過ぎない。終曲のドナ・ノビス・パーチェムまで達すると流石に聴き手も一仕事を終えたような充実感がある。

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2015/1/8

キングコング  映画


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Tam YX-7032 LP 1977


これは懐かしい映画のサントラ盤だが、当時のパンフレットによるとディーノ・デ・ラウンティスと言う、米国の映画界では大物のイタリア人映画プロデューサーが自身のプロダクションで制作した1976年の超大作である。監督はスペクタル映画の巨匠と評価されたジョン・ギラーミンである。この人は現在では「B級映画の巨匠」と散々の言われようだが、それでも数々のヒット作を連発し、そのどれもが超大作ばかりだったので、そう馬鹿には出来ない。この「キングコング」は日本では、1977年に東宝東和映画が配給したが、作品自体も戦前の1933年にRKO映画社が製作したものの再映画化とあって、大いに話題になったものである。私はこの作品をリアル・タイムで映画館で観ているが、今でも記憶に残る「名作?」ではある。その音楽を担当したのはジョン・バリーだが、タイトル曲の重厚で沈み込むような独特のテーマ曲は、物語の先を期待させて、如何にも超大作のようなスケールの大きな楽曲構成には惹かれるものがある。その点では独特のバタ臭さはあるが、それこそが当時の超大作映画の特色だとも言える。だが勿論、哀愁溢れるテーマ曲もあり、聴いているだけでお腹がいっぱいになる程だ。その映画の場面も浮かぶ。なんだか凄い映画の音楽なんだと言う事は解る。時に大袈裟だが御愛嬌だ。余談だがジェシカ・ラングが演じるヒロインは美しく、それを観るだけでも価値はある映画だと思う。現にこの作品で思い出に残っているのはヒロインとジョン・バリーの音楽である。

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