2016/1/26

フルトヴェングラーのフィガロ  歌劇・楽劇


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King K19C-9390-2 3LP


フルトヴェングラーがザルツブルク音楽祭で指揮をしたモーツァルトの歌劇「フィガロの結婚」のレコードである。こちらの音源は、オリジナルのオーストリア放送協会のものではないが、意外と鑑賞をするには不自由しない。そこが不思議なのだが、この頃の海賊盤とされるものは後から正規音源を元にCD化なりをされたものよりは良好なものがある。収録年は、1953年である。実は前年にも同音楽祭で指揮をする筈だったが、体調の不備で実現に至らなかったが、巨匠を知る者なれば今更か?このレコードの解説には何日の演奏かも記載はないが、8月7日だそうだ。以前には、11日ともされていた。配役は当時のベストとされていて賛辞も多いが、演奏本位で聴いてみるとどうしたものか?フィガロは、エーリッヒ・クンツ(Bt)、この人は同音楽祭では、戦時中のクレメンス・クラウスの指揮下でも歌唱が聴ける。スザンナは、イルムガルト・ゼーフリート(S)である。そしてアルマヴィーヴァ伯爵は、パウル・シェフラー(Bt)、伯爵夫人は、エリザベート・シュヴァルツコップ(S)、ケルビーノが、ヒルデ・ギューデン(S)が主要メンバ−だ。それで脇を添えるのは、バルトロが、エンドレ・コレー(Bs)、ドン・バジリオが、ペーター・クライン(T)、マルチェリーナが、ジークリンデ・ワーグナー(A)、アントニオが、アイロス・ベルネルシュトルファー(Bs)、バルバリーナが、リゼロッテ・マイクル(S)、ドン・クルツィオが、エーリッヒ・マイクート(T)である。さて演奏だが、序曲を聴く限りでは雑な感じがする。何となく指揮者の気持ちにウィーン・フィルが乗り切っていない。つまり巨匠のテンポ感に感覚だけで乗ろうとしている印象がある。だがどちらかと言えば遅めだ。それで斬れも甘いのだが、思えばこの楽団は、フィガロではそんな処がある。それでも曲が進むと感情が湧き上がるのが面白い。その点では人間味のある演奏だと思う。幕が開くと伴奏が序曲に比べて立ち直っている。歌手に細かく絡むのも。この楽団が如何に歌劇との経験が深いかが解る。クンツとゼーフリートの歌唱も安定している。歌詞はドイツ語である。現在では言語上演が殆どだが、そうなるのも、この公演からは数年後である。それがクローバル化なのかな?とも思う。「お殿様が踊りとなさるつもりなら」の歌唱も淡々としているが慣れたものだ。バルトロの「復讐の甘さは」と歌うコレーも朗々とした感じで良いものだ。ワーグナーとゼーフリートとの叙唱も安心して聴ける。しかし「僕は自分が自分がわからない」と歌うケルビーノのアリアは、ギューデンだが、思春期の少年の心を歌うには若さが足りない感じがした。それに対し、スザンナとバジリオ、そして伯爵が加わる三重唱は安定の極致だ。それが贅沢な気分になる。それに変な歌い崩しもないのでモーツァルトの音楽を傷つけていない。第一幕は「もう飛ぶまいぞ、この蝶々」で終わるが、流石に此処ではクンツの自信に溢れた歌唱が聴ける。それこそこれを自家薬籠中と言うのかと思った。巨匠の指揮も感情に任せずに遅いテンポを通すが、クンツの歌い方も落ち着いているので、そんな感じにしたのかとも思う。第二幕は、伯爵夫人が「私の願いをお聞き下さい」と歌うアリアから始まるが、シュヴァルツコップの歌い方にはある種の癖があるので気になる人には気になるだろう。あまりにも立派過ぎる。「教えて下さい。優しいご婦人方」で始まるのはケルビーノのカンツォーネだが、ギューデンの声にもう少し清純な処があればと思う。風格があり過ぎて聴いていると、こちらが伯爵夫人のようだ。上手いのは認める。スザンナが「もっとこっちへ、私の前にひざまづいて」と言うアリアも別に文句はない。ゼーフリートは、この辺あたりからが全盛期なのが解る。それもあるのか、伯爵と夫人と共に絡む三重唱が充実している。此処ではシュヴァルツコップの立派過ぎる声が功を奏している。終幕に向けてテンポの速い場があるが、歌手のコンディションも良いようだ。混然一体となって幕を閉める様が素晴らしい。第三幕は、伯爵とスザンナのやり取りから始まるが、こんなに人間味のあるモーツァルトの演奏が最近はめっきり聴けなくなったと残念でもある。この幕は動的な場が多い事もあり、巨匠の指揮も積極的だ。なので歌手に食らいつくような楽団へのドライブが目立つ。それで演奏の表情も油が乗ったように濃い。だから伯爵夫人のアリアで「あの愛と優しさに溢れた喜びの時はどこに行ってしまったのかしら」と歌うシュヴァルツコップも、この辺になると丁度良い感じに聴こえるのだろう。さて終曲の「もうお祝いの行列がやってくる」での軽い行進曲風の間奏曲がなんと重い事か?モーツァルトにしては彫りの深い幕締めとなる。第四幕は、バルバリーナの「可哀想な小さなピン」で始まるが、そこでのマイクルの細かい表情描写が見事だ。「ああ目を開けろ」のアリアはフィガロだが、流石にクンツは独断場だ。そこで演奏によっては聴き処になるホルンが意外とあっさりしているのは残念だが?「おお、もうこれ以上はためらわないで」とシュヴァルツコップが歌う伯爵夫人のアリアも圧巻だ。此処では変な癖もない。それで皆で心から許し合うフィナーレは聴いていても幸福な気分になる。終始落ち着いた印象の演奏だったが、やはりウィーンフィルの美音に助けられているのか、絶えず伴奏がものを言うので、それだけでも聴き処はある。尚終章になってテンポが飛ばし気味になるのが巨匠らしい。紹介が遅れたが、合唱は、ウィーン国立歌劇場合唱団である。

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2014/10/19

短縮版のリエンツィ  歌劇・楽劇


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Melodram MEL 27023 2CD 1988



妙なタイトルだが、本当の事だ。つまり現時点に於いて、R・ワーグナーの初期の傑作である「リエンツィ、最後の護民官」は、完全上演の機会がない。参考の為に作曲家自身が編集した縮小版の最終稿の演奏時間とされるものを記しておこう。これは音楽友之社刊の「オペラ名曲百科」を参考にした。そこでは序曲11分、第一幕41分、第二幕64分、第三幕44分、第四幕24分、第五幕33分とされている。つまり合計217分である。しかしながら現在は、それすらも上演の機会がなく、更に三分の一を縮小した版での上演が一般的だ。だからこれから紹介するCDもそれである。因みにドレスデン初演時のオリジナル版では演奏時間は休憩も含め、6時間を優に越えた。配役から先に記すが次の通りである。コーラ・リエンツィ(T)・ セット・スヴァンホルム、イレーネ(S)アンネ・ルント・クリスティアンセン、ステファノ・コロンナ(Br)パウル・シェフラー、アドリアーノ・コロンナ(Ms)クリスタ・ルートヴィヒ、 パオロ・オルシーニ(Br)ヴァルター・ベリー、ライモンド(B)ハインツ・ホレチェク、バロンチェリ(T)カール・テルカル、チェッコ・デル・ヴェッキオ(B)アロイス・ペルネルストルファー、講和使節(S)テレサ・シュティヒ=ランダルの面々である。そして指揮はワインガルトナーに師事したヨゼフ・クリップスである。それにウィーン交響楽団とウィーン楽友協会合唱団にウィーン少年合唱団が加わる極めてウィーン・スタイルのものである。これは1960年6月14日に楽友協会大ホールで行われた演奏会の録音記録である。もっと良い演奏もあるとは思うが、このCDが自身にとっては気軽に聴けるのでお気に入りになっている。さて演奏だが、現代に於いては軟弱な印象との批評もあるウィーンの巨匠の指揮は、とても安定しており好感が持てる。終始フレーズの切り方も洒落ているので極めて品性が高い。「そんな処がウィーン風なのかな?」とも思いながら序曲から聴き始めるが、とにかく鋭角的な音楽にはならない。然も造型はビクともしない土台の確かさを感じる。「誰が軟弱なんだ?」と言いたい位だ。些か矛盾する表現で申し訳ないが、素朴ながら豊満な音楽が楽しめる。序奏も壮大で、続くアレグロの部分も溌剌としている。だが何となくのんびりした感じがする。演奏は何処をとっても歌がある。そして風格もある。そこが素晴らしい。幕が開くと(と言っても演奏会形式だが、)まるでベートーヴェンのフィデリオでも聴いているようだが、そんな作品だ。これはワーグナー初期の三作目なのだから先人の影響が聴かれても当然なのだ。合唱の扱いもアンサンブル・オペラから脱していないが、それは作品の限界なので仕方がない。だが合唱の占める位置は正にワーグナーのそれであり、処々に後年の「タンホイザー」を彷彿とさせるものがある。それにしても流れの良い演奏だ。歌手の声の色も揃っており、違和感はない。主役のスヴァンホルムもヘンデン・テノールとしての存在感を充分に感じる事が出来る。女性陣は、やはりルートヴィヒが素晴らしい。特に第一幕では、クリスティアンセンとの掛け合いが圧巻だ。これはいい。それに合唱はそんなに上手くはないが、勢いで聞かせる処もあり、微妙だが不満がない。第二幕序奏部の向上感も良いが、この幕は巨匠の美観が随所に光る。ウィーン少年合唱団も好演である。此処ではシェフラーが実に奥の控えみたいな存在感を示している。尚、第二幕は輝かしく終わる。以下の幕も同傾向なので似たような感想になるので割愛するが、第五幕で歌われる「全能の神よ」は、まるでタンホイザーのローマ語りのようだが、此処でもスヴァンホルムは圧巻だった。全曲聴き終って、特に不満もないが、メロドラムのCDは、レコード同様に圭角の取れた丸い音色なので、音に不満を持つ人も居るだろう。それでも必要な音は充分聞こえる。まだこの演奏は入手出来るようだ。

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2014/7/17

ブルスカンティーニの隠れた名盤?  歌劇・楽劇


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Toshiba EMI HD 1031 LPC


セスト・ブルスカンティーニと言えば、NHKが招致したイタリア歌劇団公演でも達者な処を聴かせていたが、レコードでもフィガロで軽快な歌い回しを披露し魅了させてくれた。何だか声を聴くと、また歌っているレコードを探したくなる不思議な魅力の在る歌手である。このレコードもそんな感じだ。作曲は、イタリアのモーツァルトと言われたチマローザの「宮廷楽士長」と言う作品である。そして登場人物は、宮廷付学士長、只一人である。形式は、インテルオメッツオと言う幕間狂言である。然も内容は「楽屋落ち」だ。指揮は、レナード・ファザーノ、演奏は、コレギウム・ムジクム・イタリアクム器楽管弦楽団で独奏は、ローマ合奏団のメンバーが受け持った。チェンバロは、ロメオ・オリヴィェリである。序曲は如何にも快活で聴いていても溌剌とする程だが、序曲が終わるとオケの練習が始まるが声だけとは言えセスト・ブルスカンティーニの芸達者振りには感心する。その楽士長がつけるリハーサルは、最初は、なかなか上手くいかない。そこでの楽士長の喜怒哀楽が面白く表現されている。実は、そのやり取りが聴きものなのだ。これはそんな作品だ。ブルスカンティーニが、あまりにも芸達者なので、練習風景も浮かんでくる程だが、正に彼の独断場だろう。彼の十八番には、やはりEMIで録音された「フィガロ」があるが、指揮者のグイのノリが今一つで、同じ幕内でもムラがあり、飛びぬけて調子が良い箇所もあるかと思えば、急にテンションが落ち込む演奏だった。おそらく収録日によって、良い日も悪い日もあったと言う事だろう。さてこの曲の収録年だが、モノラルなので1950年代前半としか予想が出来ない。短い楽曲だが紛れも無くセスト・ブルスカンティーニの代表盤だろう。だがとても得意としていた演目らしく、NHKのイタリア歌劇団公演でもこの曲を1973年に取上げている。それは映像も残っているので是非、DVD化も御願いしたい。

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