2015/11/11

ドレスデン・シュターツカペレのブルックナー  交響曲


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Toshiba EMI EAC-80517-18 2LP


オイゲン・ヨッフムと言えば、戦前戦中にドイツで出来た国策会社であるテレフンケンの看板指揮者だが、巨匠が師と仰ぐフルトヴェングラーの影響を受けて、テンポやアコーギクがそっくりな事からその時代にもフルトヴェルングラーの亜流と言われていた。とは言え本家とは違う。それは仕方ない。聴き比べるまでもなく、ヨッフムの方が演奏の彫りが浅い。それで些か緩い印象もあるのだが、フルトヴェングラー本人では窮屈だったブルックナーの交響曲では、逆にその緩さの為に聴きやすいのだから、何が功を奏するのか解らないものだ。それで巨匠のブルックナーの「交響曲第8番ハ短調」を取り上げるが、これは何度目かの再録音であり、発売時はドレスデン・シュターツカペレとの交響曲全集の一環だったので大いに話題となったものだ。尚収録は、1976年11月3-7日にドレスデン、ルカ教会でEMIによって録音をされたものだ。さてブルックナーと言えば、スコアのバージョンなのだが、このレコードの解説には「ノヴァーク版」と言う事になっている。しかしながら聴いてるとその原則にはあまり合わないようだ。それで取り敢えず、それを読むと「ノヴァーク版第1稿」を参考にして、巨匠自身でアレンジした版で演奏をしているとの事なのだが、此処では演奏評をするので、そこを詳しくしても掴み切れないだろうから割愛する。ドレスデン・シュターツカペレと言うとアンサンブルに煩い指揮者が振ると精妙で冷たい音色となり、剛直過ぎて楽しめない演奏のレコードもあるのだが、このレコードでは暖か味を感じるのだから楽団には指揮者が、どれだけ重要かが解る。だけどその辺が巨匠の緩さなのかなとも感じてしまう。だから第1楽章冒頭もそう重くは感じないのだが、テンポ設定は、巨匠が師と仰ぐフルトヴェングラーと同様である。とは言え影響を受けているのはテンポ位で、おどろおどろしさがないので聴いていても本当に気楽なのだ。それで「こんなに健康的なブルックナーもないな?」と感心をしながら聴く事になる。曲想に応じて細かくテンポも動くが流れに沿っているのでとても自然だ。それでも展開部への足取りは山頂から下界を見下ろすような風情がある。この辺に来ると何故かアンサンブルが前のめりになる箇所があるのだが、それをドレスデン・シュターツカペレらしくないとする人も居るだろう。と言うのも意外と金管のピッチが定まらない処があり、展開部が豪放に聴こえるのも、それが原因のように感じられるからだ。なのに金管楽器群によってハ音が繰り返される「死の予告」とされる箇所は、それ程深刻な表情ではないので、そこを軽く感じるか物足りなく感じるから聴く人次第だろう。第2楽章も傾向としては同じだ。とても豪快なスケルツォだが、此処でも金管が怪しい。だが演奏は快適だ。巨匠のリズム感も淀みない。此処に来て第1楽章で軽く感じられた響きが深くなっている。特に弦楽器のセクションが素晴らしく、低弦部の土台のしっかりとした深い音を聴いていると、これを前の楽章でもやっていたらと少し残念だ。トリオは優しく暖かい。これが一番巨匠らしい。ホルンの音に永遠を感じさせる。「野人の祈り」とされている箇所も牧歌的で良い。スケルツォとの対比も取れており、楽章の特色も理解出来る演奏だ。終始部は爽快だ。さてアダージョと言えば第3楽章だが、その荘重で奥行きのある演奏を聴いていると巨匠がバッハの宗教音楽でやっている演奏の傾向が此処でも聴けるので感動してしまう。巨匠のブルックナーは、どの交響曲でもそうだが、アダージョ楽章が素晴らしく、正に白眉と言える。もちろんこのレコードでも、この楽章が特に名演だ。神聖で天にでも昇る演奏で、これこそブルックナーが楽曲に託したカトリック信者としての信仰の深さを音として聴くだけで納得出来る名演だ。此処では野暮な事を言わずに只聴いているだけで充分である。終楽章は、弦五部が前打音付きの4分音符を連打する中から第1主題が金管のコラールと共にトランペットのファンファーレで奏でられるのだが、ブラスの音も分厚く聴き応えがある。その旋律は作曲家自身によれば「オルミュッツにおける皇帝陛下とツァーリの会見」を描いたものとして、弦楽器はコサックの進軍、金管楽器は軍楽隊、トランペットは皇帝陛下とツァールが会見する時のファンファーレを示すとしているのだが、たぶんそこまで公言しないと自身のイメージが伝えられなかったのだろう。それと弦楽器による優しい第2主題を経て、コラールとファンファーレの交差に辿り着くのだが、そのファンファーレが勇壮だ。そこまでの経緯が、とても淡々としているのも巨匠らしい。それと中間部はフと息を抜く風情があって聴いていてもホッとする。それで終章に向かって音楽も膨れ上がるが「闇に対する光の完全な勝利」と称賛される肝心のフィナーレが、どうもフルトヴェングラーの影響から抜け切れずに突っ走るのが残念だ。聴いていて最後に「あぁ〜あ」てな事になる。最後の三つの音は踏みしめて終わってほしかった。

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2015/2/12

自作自演の交響曲  交響曲


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Grammophon-Deutcshe 2721 202 10LP


フルトヴェングラーは20世紀最大の指揮者だったのは、今更否定も出来ないが、本人は自身の事を「作曲家」との自覚をしており、その作品も多々あるのだが、残念な事にその作品が演奏をされる事は存命当時でも本人が取り上げている演奏会以外では極端に聴かれる機会も少なく、やはり指揮者としての存在感が、それを勝っている事も否定は出来ないだろう。何だか文章が一回りをしてしまったが、所詮はその程度の認識しかない。そんな中で知れているものとしては、第2番の交響曲があるのだが、この曲は巨匠生前中にも割りと頻繁に演奏の機会があり、独.DGGにレコーディングまでされているのだから知名度もそれなりにある。そこでその独.DGGのものを取り上げるが、紹介するレコードは、巨匠没後30周年に発売された「フルトヴェングラーの遺産」とされるものである。此処には主要な戦後録音が纏められており、御馴染みのものは聴く事が出来るのだが、当時の西ドイツプレスの優秀性も充分に堪能出来るので、これは良い全集だ。そこで巨匠の第2交響曲も収録されているので紹介しよう。尚この作品は1944年に作曲に着手し、第二次世界大戦ドイツ敗戦後の1945年10月18日に完成されている。そして1948年2月22日に巨匠自身の指揮で、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団により初演されている。更に日本初演が1984年4月24日に朝比奈隆指揮で、大阪フィルハーモニー交響楽団によって行われており、同時にレコーディングもされたので聴いた方も居られるだろう。収録年は、1951年11月22日-12月4日で、ベルリンのイエス・キリスト教会に於いて収録をされたものだ。楽団はもちろんベルリン・フィルである。これはブルックナーやワーグナーなど後期浪漫派の影響が強い作品とされているようだが、初めて聴いた時の感想では、全く浪漫的な性格とは事なり、その例えは的外れだと思う。寧ろ特色は薄く、暗い音色に支配されただけの長大な交響曲である。なので只長いだけで聴き手には、とても居心地が悪い。それでも何度もめげずに聴いていると妙に癖となる魅力がある不思議な楽曲だ。取り合えず演奏時間が長いだけならブルックナーにも匹敵するか?だが一聴して、これがドイツの作曲家のものとは思うまい。まるで北欧の作曲家かロシアのそれみたいだ。これが楽曲に関する私見だ。さて前置きは此処までとして、このレコードの演奏の感想だが、第1楽章は、Assai moderatoである。冒頭、クラリネットの暗い音形に続いて弦楽で全曲を統括する動機を奏するのだが、此処の情緒性が物悲しく、当時のベルリン・フィルの如何にも燻した銀のような音色に惹かれる。それから主部に突入するのだが、分厚い低弦部に乗る高弦は美しさの限りで、どんどん音楽が膨れ上げる様を聴いていると、それはそれで悪くはない。特に第2主題は繊細で美しい。此処が聴いていると癖になる。宛ら展開部は感情の嵐である。とにかく楽団の響きが美しいのだ。だから第2楽章(Andante semplice)も、その延長で聴いてしまう。しかしながら常に苦悩に満ちた響きを聴いていると、これは作曲された時代背景を如実に表したものであり、「だからこうなのか?」と納得させるものがある。第3楽章は、Un poco moderatoである。とても特色のある楽章で、巨匠の音楽に食らいつく楽員の必死な点は評価すべきだろう。正しく音楽に没頭しているのだが、とても人間味のある演奏が聴ける。終楽章は、Langsam - Allmählich Vorwärts - Allegro moltoである。冒頭は、やはり苦悩に満ちているが、まだ救いがあるようだ。救済に向けた上昇する主題は頂点に達すると天国の門を開く趣がある。浪漫的と言うよりはドラマティックな楽章だ。また演奏もそれに答えている。此処まで聴いていて造型には寸分のブレもないのは自作自演故なのだが、聴き終わると開放された晴れ晴れとした気持ちとなり、それはそれで良いと思う。ベルリン・フィルあっての演奏だ。巨匠が如何に楽員から信頼されていたのがよく解る。当時の同楽団の楽員は、巨匠にスキャンダルが持ち上がると必死に守ったとの話もあるが、これ程の音楽性の持ち主なれば気持ちも充分に理解出来る。

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2014/6/20

ウィーン・フィル初のマーラー交響曲全集から  交響曲


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CBS Sony 30DC 705 CD 1987


ウィーン・フィル初のマーラー交響曲全集からの分配である。米国オケの録音中心に手掛けてきたCBS−SONYが、欧州オケの録音を始めた頃の大掛りなプロジェクトであった。収録年は、1982年10月とある。指揮者は、ロリン・マゼールである。当時、巨匠は、ウィーン国立歌劇場の総音楽監督を務めており、ベーム亡き後の欧州楽壇では、カラヤンに継ぐNo.2で在った。正に絶頂期である。巨匠は、非凡なる才能の持ち主で在るが、意外と活動範囲が広い割りには、目立たないのが不思議な位で在った。しかし、この演奏は、巨匠の特色を伺うには最良のCDと言える。いつの頃からか超絶級の遅いテンポを好む様に成った巨匠だが、この5番の交響曲も例外では無く、冒頭のトランペットが鳴り響いた後から遅くズッシリとしたテンポで精密に楽曲の構成を解き明かしていく様は、スリリングでも在り、リアリティーに満ちている。録音バランスもDGGで聴かれる柔らかい音色とは、ハッキリと異なる。まるでスコアに在る全ての情報を再現しているかの様だ。だから第2楽章の重量感も他の演奏で聴けないものである。それでいて主題の扱いは、どこ迄も精密なので、複雑に絡み合う音の動きに神秘を漂わせ壮大なフォルテシモに対しカタルシスを感じる程である。しかし、それが必ずしも作用しない面も在り、第3楽章冒頭のユーモアが欲しい処でも大き過ぎるスケール感が足枷に成っているのも否定出来ない。だが冷たく燃焼する巨匠特有の趣が、作品が持つ狂気性を明らかにしている点は面白いと思う。第4楽章は、ウィーン・フィルの特性が伺え、緻密な表現の中にしなやかな弦が舞う趣きが在る。終楽章は、宛ら花火の様な色彩感だが趣味は良く、全奏時に於いても鋭角的な響きに成らずに依り壮大さを増すのが素晴らしい。此処でも巨匠の頑固とした造型感は完璧であり、とても理性的な表現である。これは、バーンスタインに代表される感情的な表現とは対極を成す演奏である。余談だが、初販売時は、LPレコードとしても発売されており、ジャケットのポップなデザインは忘れられないインパクトがあった。そこでようやく、そのアナログ盤を最近購入した。やはりこのデザインの方がしっくりくる。



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CBS-Sony 50AC 1662-3 LP 1983

2010.7.2 の記事から補足

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