2011/11/13

ルービンシュタインのラフマニノフ  協奏曲


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RCA R4C-2015 LP 1973 4ch


ラフマニノフのピアノ協奏曲は、好きな曲で、聴きたいレコードも在るのだが、イメージ先行で曲を捉えているせいか慎重に選び過ぎて意外と購入したレコードは少ない!私が求めるのは、この曲の持つヴィルトゥオーゾ的性格なのだが、確かに絢爛豪華な感覚の無い趣向の演奏なら魅力にも乏しいと思う!曲の内面性は、とても大事なものだが、外的な魅力も曲によっては、必要である。流麗優美は其の典型だが、曲が演奏に其れを求めているのに否定するのは、逆に曲の本質を見抜いていないと思う!其処で紹介したいのが、ルービンシュタインが、オルマンディーと組んだレコードで、楽団もフィラデルフィア管弦楽団と言えば、演奏家の性格上、イメージには、最も近いものと思う!収録は、1971年11月24日との表記が在り、当時流行の4チャンネル録音なので、現在の2チャンネル方式の再生装置では、音響の再現性の差異も在ろうが、ともかく感想を述べて行こうと思う!第1楽章は、ずいぶんと骨太なピアノの印象を受けるが、エレガントな主旋律もしっかり活かした演奏で、オルマンディーも華麗で重厚な伴奏で応えている。確かに当時のルービンシュタインは、既に相当な高齢なのだが、曲の壺をしっかり抑えており、曲の魅力も充分伝えている。勿論、ヴィルトゥオーゾ的な面に於いても申し分無い演奏だ!其の一方、枯れた魅力も在る。第2楽章で聴ける独特の静けさは、人生経験の長い演奏家ならではのものだろう!しかも其れが曲に見事に一致している。何処と無くわびさびさえ感じさせる。其れでも一種の派手さは、しっかり共存しているのは、米国楽壇の特殊性かも知れない!終楽章は、正に集大成である。じっくり進めるオルマンディーの指揮も然る事ながら華麗で豊満な伴奏は、更にピアノを引き立てる。ルービンシュタインも鋭く突き刺さるように其れに応えているが、時に崩れそうな表情も聴かせており、いじらしささえ感じる。そしてオケのダイナミクス溢れる音の洪水の中にもシャープに切れ込む。聴いていて芭蕉の「静けさや岩に染み入る蝉の声」の俳句が、何故か頭に浮かんだ!

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2011/10/30

ピアノと管弦楽のための交響的協奏曲  協奏曲



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PILZ CD 78 004 CD 1988


フルトヴェングラーは、嘗て作曲家を目指しており、本人も作曲家としても相当数の作品が在るのだが、指揮者としての功績が、余りにも大きすぎて、作曲家、フルトヴェングラーとしての印象は、今ひとつ薄いが、近年は、ダニエル・バレンボイムが、2番の交響曲をシカゴ交響楽団と録音したり、少しづつ其の作品が聴かれる様に成ってきたが、まだ指揮者としてのメジャーな存在と比較すると地味である。だからメジャー音楽家が、敢えて録音をする事は無い!それは商業ベースに乗せるには難しかったと言う単純な理由だろうが、事実、現在でも御世辞にも人気曲とは言えない!だが、巨匠自身の自作自演盤も在る2番の交響曲は、其れなりの存在感を示していたと思う!是から紹介する「ピアノと管弦楽のための交響的協奏曲」も実は、英国HMVに1939年に第2楽章のみを録音している。さて、このCDだが、この演奏が収録されたのは、1939年1月19日のベルリンフィルの定期演奏会であった。勿論、会場は、旧フィルハーモニーホールである。是は、ディスク収録だが、時代から想像するより音質は良い!原盤は、東西ドイツの壁が無くなり、1989年に東独VEB放送録音保管所から見つかった18枚のアセテート盤が元である。実は、存在は既に知られており、オルセン2版(1973刊)に記載されていた。だが当時は、東独放送局は、録音の存在を否定している。オルセンでは、現存よりも収録の事実のみに言及していたと思われる。だから後に探してみたら見つかったと言う事に成ったと思う!さて演奏だが、ピアノは、エドヴィン・フィッシャー、指揮は、勿論、フルトヴェングラー自身である。第1楽章は、絶望のどん底状態で非常に悲惨な気分になる。ベルリンフィル自体の音色も現在の其れと異なり重厚な低弦と決め細やかで繊細な高弦は、燻した銀の様な輝きで、正しくドイツの楽団である。巨匠自身もこの頃が全盛期と言われているが、オケへのコントロールも緻密で感心せざるを得ない!エドヴィン・フィッシャーの粒立ちの良いピアノも世相を突き刺す位の鋭敏さがある。当時の世相は、ドイツでは、ヒトラーが、1934年に首相に成った事で、国内では暗雲が漂い始めていた。しかし其れに気がついたのは、一部の知識人や芸術家だった。この曲が出来上がったのは、1936年だったので、作曲中に思うものが在ったと思う!曲の感想に戻るが、最初に聴いた時は、「随分、取っ付き辛い曲だな!」と正直思った!だけど最近は、日本の国内情勢でさえ防衛権の事を真面目に考えないと成らない状態なので、余計にそう思う!そんな事も在って、非常に考えさせられる第1楽章である。第2楽章は、悲壮感よりも神秘的な楽想で、感情が、徐々に膨れ上がり頂点を極めた処で引いて行く感じで、心の内側を見つめる様な内向的な曲であり、演奏である。終楽章は、とても陰鬱な始まりだが、演奏者の心の動きが解る程の感情移入が素晴らしくて、特に情景描写は無いものの何かがイメージとして浮かんでくるものが在る。聴き始めは、確かに掴み処の無い曲だが、聴き進めると不思議な手応えが在る。巨匠の作曲した作品に関しては、特色が乏しく掴み処が無いと言う批評家も居るが、其の掴み処の無い処こそ其の特色と言えるのでは無かろうか?尚、この曲の終止部は、希望の扉が開く様に終わる。思えば、巨匠の第2交響曲も同じパターンだった!

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タグ: ピアノ ナチス

2011/10/30

ルドルフ・ゼルキンのモーツァルト  協奏曲



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DGG Gemany 400 068-2 CD 1982


1981年11月に収録されたもので、当時のルドルフ・ゼルキンは、79歳だった。おそらく年齢が起因していると思うが、嘗ては、骨太な主張の強い音楽作りをしていた巨匠では在るが、此処では無我の境地と言おうか、枯れた境地を感じさせてくれる。だが、まだ意気盛んで、同時期の録音では、米.テラークに小澤征爾と共に残したベートーヴェン等は、現在でも評価されても良いと思う!しかし叙情的な楽章では、無我の境地さえ感じさせるものが在ったと思う!そんな時期にこのモーツァルトが録音された訳だが、今になって思ってみれば、とても良かったと思う!伴奏は、クラウディオ・アバドが指揮するロンドン交響楽団だが、K.466は、フリードリッヒ・グリダとの名盤が在る。だが、其れと比較しても適切なサポートをしている感想位しか無いが、歌劇も振れる指揮者なので、其の辺は万全と言っても良い!だが楽団の個性の差は当然で、旧盤伴奏のウィーンフィルとは比べるのも愚かな事かも知れない!しかしロンドン交響楽団特有の順応性は素晴らしく、明るく素直な金管やシルキーな高弦の響きは、とても魅力が在る。さて演奏だが、K.466から聴いてみよう!この曲は、映画「アマデウス」の影響で割りとポピュラーな存在に成ったと思うが、レコードでは、戦前から名盤の多い人気曲でもある。此処から巨匠と言葉を変えるが巨匠自身も過去に3回も録音が在る。人によっては、往年期の演奏を評価するのも当然だが、此処では敢えて其等の演奏には触れないでおこう!さて此方の演奏だが、第1楽章は、巨匠もそうだが、アバドの真撃さが良い!曲に対し、真正面から向き合っているので、巨匠の表現をより引き立てている。だが、主観と言う点に関しては、差程強いものでは無く、どちらかと言うと淡々と音楽を積み上げる印象が在る。つまり曲に浸透した表現なので慟哭や衝動も無理なく伝わってくる。第2楽章も同様で、素直に曲の美しさが理解出来るので、聴いていても曲に身を委ねる事が出来る。表現も深いが自然体の美を感じる。終楽章は、流石に動的な楽章なので走る処が在るが、気持ちの上で情熱を再現している。つまり核に成る部分で炎が燃えている。尚、終止部は、アバドが爽快に終わらせている。其処で敢えて枯れた境地と言えば、寧ろK.414の演奏に其れを感じる。此処でもアバドの伴奏は万全だ!オケも英国らしい品の良い音を奏でている。巨匠の音楽も弾んでおり、とても楽しい!そして何よりも音が澄み切っている。演奏にもノッており、巨匠の唸り声も聞こえる程である。第2楽章は、先に述べた枯れた境地が、此処に在るが、私は、此処を聴く度に真実の音楽を感じる。孤高な美しさと言うべきか?終楽章も見事だ!たまに聴くと何時も感心する1枚である。

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