2013/12/30

ロストロポーヴィチのブラームス  室内楽


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The Bruno Walter Society-Nippon Columbia OW-7220-BS 1980 LP


ムスティラス・ロストロポーヴィチは、ルドルフ・ゼルキンと共にブラームスのチェロ・ソナタを1982年に独.DGGで録音しているのだが、その演奏を聴いて何だか物足りなさを感じる人も居る筈だ。確かに朗々たる演奏で如何にも大家の余裕を感じさせるのだが、あまりにも楽曲に対して消極的過ぎて、もう少し表情の豊かさが在っても良かろうと思ってしまう。ゼルキンの伴奏も従順過ぎた。だからその反動で積極的な演奏を聴きたくなるのだが、同じ朗々とした演奏でもピエール・フルニエがウィルヘルム・バックハウスと組んだ同曲では、もっと深いものが在った。更に哲学的で難解なブラームス像さえ浮かび上がる名演だった。確かにブラームスには、そんな一面が在るのだ。そこで出会ったのが、このレコードである。然も音源も不明な悪名高い?ワルター協会盤だ。幸いと言えばステレオで収録されている位だろうか?しかし残念な事に1番しか聴けず、録音データーも単に1974年に収録したものであるとしか解らない。だが演奏は魅力的だ。実況録音らしいが、スヴィアトスラフ・リヒテルと組んだ事で生じた相乗効果が素晴らしく、互いの個性で火花を散らす名演となった。第1楽章を聴いてもそうだが、再録の演奏が嘘のように表情が大きくダイナミックレンジも広い。ブラームスの内省的な一面も充分表しているのだが、内に秘めた情熱が発露する瞬間が素晴らしく、その躍動感は後年のものにはないのだ。伴奏のリヒテルは曲の全体像を静観しており、客観的だが、時に自身の主張は通す強さがある。第2楽章も基本的な姿勢は変わりない。とても表情も細かく、揺れるように儚い曲の心理が上手く表現されている。終楽章は、宛らその集大成と言ったところだろう。双方の絶妙な呼吸に聴くべきものがある。裏面には、グリーグのチェロ・ソナタが収録されている。此方の収録年も1974年である以外の事しか解らない。勿論、会場も不明だ。演奏は曲の特性のせいか、互いの主張は更にぶつかり合う。表情も艶かしい。此方は熱演だ。

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2012/1/13

聴き過ぎてアンチになった曲  室内楽


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RVC RGC-1033 LP 1975


聴き過ぎてアンチになった曲が在る。それは、アントニオ・ヴィヴァルディの「和声と創意への試み」の協奏曲第1番から4番なのだが、通俗曲名も口にするのも愚か文字にするのも嫌な曲なので敢えて題名も紹介しない!だけど其れでも紹介するのは、初めて聴いた印象が強烈だったからなのだが、この曲と言うと「イ・ムジチ合奏団」のレコードばかり賞賛されるのも芸が無いと思っていた事もあり、其の演奏に引導を渡す意味合いで取り上げるレコードでもある。録音は、まだステレオ初期の筈で、テープヒスもシャーと聴こえてくるが、RCAらしい力強い音質で、音自体の存在感も在るレコードである。聴き過ぎてアンチになったと在るが、不思議とラジオ、テレビ問わず春先になると必ず鳴り響くのもこの曲である。しかしアンチになった理由には、オマケがある。其れは日本テレビで1982年頃に放送された火曜サスペンス劇場に「受験地獄」と言うのが在って主役の太川陽介が東大に不正合格する話だと思ったが、其の鍵を握る浪人生が、大のクラシック音楽ファンだと言うのに何故かヴィヴァルディの其の曲ばかり聴いている設定で、とにかくクラシック音楽を聴く場面になると其の曲ばかり掛かるドラマだった。オマケにBGMまで其れなんだから嫌気が差してしまった!其のしつこさたるや正に韓流と変わりなく、なんでも限度を超えると嫌になる見本の様なドラマだった。現在の風潮では、韓流がドラマでも音楽でも嫌われているが、ゴリ押しは、ものが違えど同じ結果になるものだ!さて、このレコードだが、嫌いなので粗雑に扱ったせいか痛んでいるが、音はしっかりしている。しかし演奏は、唸る低弦、叫びを挙げる高弦が聴きものの個性的なものだが表題事の描写は寧ろぶっきら棒で、終止元気な演奏だけどカラッと晴れた青空の様で爽快なイタリアのラテン気質満開で、とても痛快!結局褒めてるが、是はCD化されているのかな?矛盾する様だが、この曲にウンザリした人には御薦めの一枚!ジャケット右下のインデラル錠の文字が「???」だが、どうでも良い!合奏団は、ソチエタ・コレルリ合奏団である。

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2011/4/28

バリリ弦楽四重奏団のベートーヴェン Vol.4  室内楽


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Nippon Columbia OW-8004-AW LP 1976


バリリ弦楽四重奏団で聴く「ラズモフスキー第1番」である。私は、ワルター・バリリが、ウィーンフィルのコンサートマスターの頃を知らない世代だが、活動を共にしたヴォルフガング・シュナイダーハンの時代を経てヴァルター・ヴェラーやゲルハルト・ヘッツェル、または、ライナー・キュッヘルの時代ともなれば全然違う楽団の様な印象を受けるのは仕方在るまい。だけどウィーンフィルは、まだマシな方で、ヘルベルト・フォン・カラヤン亡き後のベルリンフィルは、更に別の楽団になってしまった。古い話で恐縮だが、昔の楽団は、現在と違い地方色が豊かで一聴すれば即座に何処の楽団か解った様に個性も在ったものである。それは各楽団には、古来から特有の癖が在ったからで技能的には、如何に疑問が在ろうとも矍鑠たるものが在ったと思う。私は個性こそが芸術の真髄だと思うが芸術家なら尚更だろう。しかしその前に絵を描くのも楽器を弾くのも基本的な技術は必要である。其れが無ければ、自らの思いを表現する能力さえ不能であろう。結局、戦後の風潮では、技術信仰主義と成った事で、確かに巧く弾けるが、何かが足りないと思うのは、そう言う事である。必要なのは、これから先の事なのだ。さてウィーンフィルのコンサートマスターについて話が戻るが大事な人を忘れていた。ヴィリー・ボスコフスキーの時代も然りであろう。地域性も個性に反映する。だから情緒と言う言葉も生まれる。是から紹介するレコードは、正にウィーン情緒を聴くべき演奏である。さてメンバーは、第1ヴァイオリンのワルター・バリリを筆頭に、第2ヴァイオリンが、オットー・シュトラッサー、そしてヴィオラが、ルドルフ・シュレトンクとチェロのエマヌエル・ブラヴェッツである。第1楽章は、英雄交響曲を連想される旋律が印象的だが、失踪するアレグロは何処かのどかな面も在り、また弾む様な特有の音の切り方が如何にも洒落ていて其処にウィーン情緒を感じさせる。因みにこの曲は、各楽章がソナタ形式で書かれており其々のパートにオーボエ、クラリネット、ハープ、オルガン、ホルン等の感じを持たせているので色彩感もより立体的で多彩な音色は弦楽四重奏に於いては、面白い特色を持ち合わせていると思う。第2楽章は、初演当時にあまり評価の高いものでは無かったが、素朴さの中に情熱が込められていて主張も強い。そして音色は常に気品に満ちている。第3楽章の悲壮感は、如何にも悲しく切実に演奏されている。聴いていても身に詰まされる程だ。だが切なくも美しい。終楽章は、淡々とした語り口で始まるが、徐々に活力を増して行く。だが表現も繊細なので描いたとされる「兵士の帰還」の描写もそんなものかと頭に浮かべて聴くのも良い。終始部は、とても力強い。

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