今回は内輪向けの内容になっています。関係者以外が呼んでもイタイだけやと思いますので、読み飛ばしてください。
28歳にもなって、幼稚かつ稚拙なイラストを描き続けています。少々長くなりますが、事の発端は、こうです。
あれは小学5年生の時。母親が買ってきた一冊の小説『三国志』。それは子供向けに短く編集されていたものの、やたら個性的な人物達、よくわからんけどすごそうなストーリー、結局主役もライバルも天下を取れずに終わってしまう不条理さなどにまみれていて、図書館で江戸川乱歩の少年探偵団シリーズを読破した少年の心を、グワシッと謀図かずおばりにつかみ離しませんでした。
ひたすら読んだ。孫堅、孫権、孫乾(いずれも“そんけん”)の区別もつかないままに、むさぼり読んだ。
当時、僕は、学校内でもそこそこ勉強ができるほうで、ちょっとひねた性格のせいもあり、人生に見切りをつけていました。このまま勉強で身をたてたとこで、ありがち人生の焼き直しじゃないか、そんなことばかり考えていた。そういう発想自体、実は案外ありがちだというのも知らずに。
まあ、それはそれで、勉強で身をたてることを否定し、別の世界で才能を発揮し、己を磨いていった偉人は多い。そんな人生のターニングポイントで僕は何を選択したのか。『三国志』でした。・・・。母親が、息子の知的レベルの向上にと思いなにげなく買って来た一冊の小説が、その後の息子の将来を大きく、どうしようもない方向に持って行こうとは、その時は誰も予測できませんでした。
中学に入学してバスケ部に入りました。動機は単に背を伸ばしたかっただけ。不純です。でも楽しかった。翌年、週刊少年ジャンプにて大ヒット漫画『スラムダンク』が連載スタート。作者井上雄彦にはデビュー作『カメレオンジェイル』のころから目をつけていたひねくれ少年にとって朗報でした。ただ、『スラムダンク』は想像以上にヒットしてしまいました。2年生になった時、バスケ部には30名の新入部員が入ってきました。人とのコミュニケーションが苦手な僕のモチベーションを下げるのには十分で、ますます『三国志』に逃避することになります。
当時はプチ三国志ブームでした。光栄(現コーエー)のファミコンゲーム『三国志』が発売され、アニメでも『横山光輝三国志』がスタート、NHKでも『人形劇三国志』再放送が放映されていました。“俺の時代がまもなくやってくる”、そう確信したバカ中学生は、周囲が漫画『ろくでなしブルース』の話題で盛り上がりプチヤンキー化していく中、一部の友人達と、『人形劇三国志』に登場するキャラクターの物まねなんぞで盛り上がっていました。
なんの成長もないまま、高校に進学。数年前には学年でもトップクラスの学力だったのが、次第に見る影もなくなってきます。勉強しないのだから当たり前です。落ちぶれた僕は、可も無く不可も無い平凡な学校で、机に落書きなんぞをしつつ、微妙な毎日を送っていました。
ある日、本屋で、ある雑誌に目がとまります。歴史やゲームに関する読者投稿ばかりを集めた、いわゆる“投稿本”でした。三国志のコーナーもありました。元来イラストや文章をを書いたりするのが好きだった僕は、高校では共通趣味の友人が皆無だったために行き場のなかった創作意欲を、半分興味本位ながらも数点の作品として投稿してみました。載りました。他愛も無い、ゲームの感想を書いた数行の文章だったのだけど、不特定多数が購入する媒体に自分の作品が載ったという事実に、少しうれしさを感じました。
その後も投稿を続けました。ところが全然載りません。それもそのはず、本格的な手法のイラストや文章なんざ描いたことが一度も無いわけで、したがって知識もほとんどなく、無地ノートに色鉛筆(あきらかに印刷に写りにくい)で描いたイラストなんかを恥ずかしげもなく送り続けていたのですから。約1年が過ぎたころ、少しは進歩したのか初めてイラストが載り、その後も下手な鉄砲なんとやらで、質より量の投稿を続け、20枚送るとだいたいお情けで1,2枚載るなりました。送る前に、自分で没にした作品もあるので、実際には30ほどの作品を、毎月書き続けていたことになる。さすがに進歩したのか、多少は見れた絵面になってきたような気もします(今見るとそうでもない)。次第に軌道にのり、のべ5,6年で、32号連続掲載を達成、雑誌内では、ちょっとは名が知れるようになりました(いい意味でか悪い意味でかは置いといて)。
当時、下手なりにひとつだけ心がけていた事があります。けして、自己満足のみに陥らず、見た人がちょっとでも心を動かしてくれる作品を作ろう、と。当時よくあったのが、好きなキャラクターのイラストをひとつ描いて、横にどうでもいい自己満足的な雑感をちょこちょこっと書いた作品。鬱屈した自己の発表なら他所でやってね。せっかく描くなら、ちょっとひねりのある、お金を払ってこの本を購入している読者をちょっとでもニヤっとさせる作品を作り続けたいな、と。もっとも、実力がこれっぽっちも追いついていなかったので、読者の感想は似たようなもんだったか、それ以下だったろうけど…(実際某掲示板で、嫌いな投稿者として名指しされたり)。
そんなバカな事を考えているうちに月日は流れ、三十路にあと一歩な年になりましたた。その雑誌もとうの昔に廃刊になったし、当時の事を思い出すと、恥ずかしくて体中に鳥肌がたちます。元来性格はマニアックなのに、アンチオタクの僕は、正直“萌え”とか秋葉系作品には生理的にヘドが出る体質で、それでも未だにイラストを描き続けているのは、投稿者時代に言われた『○○さんの作品のファンです』という女の子のひとことから。
今回は「もてない青年に与える、女の子のなにげない一言の衝撃」についての考察でした(違う)。

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