2015/2/8  15:41

極楽スキーヤーの原点  NoSki NoLife

私がスキーを始めてから、もう半世紀がたとうとしている訳だが、(歳がばれる)このスキーバカのルーツは親父はじめ、親戚一同がスキーバカだったからなのだ。

特に親父と親父の叔父さん、2人はどれだけ財産をスキーに注ぎ込んできたことだろう。

私が子供の頃、親戚の大人はこぞって「HEAD 360」と言う板を履いていたが、あの当時でも板とビンディングで10万はしたはずだ。
当時、親父は「ハコスカ」を乗っていたが、たしか2000GTでも90万位、GT-Rだと160万位だったので、その当時の板は本当に高級品だった。

当時、ビンディングはマーカーが多かったな〜。
今のような流れ止めは無く、革の紐をグルグルと靴に巻きつける奴だったので、転んで金具が外れると大変だった記憶が・・・

そのうちにワンタッチで外すことが出来るナイロン製のが出てきたけどね・・・

お金持ちは皆「LOOK ネバダ」を付けていたっけ。
標準はシルバーなんだけど、レース使用は赤で「赤ネバダ」と言われて憧れだった。

あーマーカーもレース使用はバネが赤かったよね。

私も早く大人になってHEAD360やロシのストラートに乗りたいな〜と思ったものです。
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家には昔の写真が多く残っていますが、
親父たちが若い頃のツアースキーの様子がこんな感じ

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のぞき小屋と書いてあるので、横手山ですね。
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まるで外国のような景色。立山あたりでしょうか?
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こうやって担いだり
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シールを付けて登ったり、歩いたりと大変だ。
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今で言うツリーランですね
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支度からして春のようです。

コレはもう少し時代が経ってからですね。
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昭和30年くらいですかね。場所は乗鞍のようです。
ビートルの後ろに板をこうやって乗せる姿が超カッコ良かったのを今でも覚えています。
そうそう、ビートルってRRだから雪道超強かったんですよ。
志賀に登るとき、親父のハコスカは叔父さんのビートルにいつも置いてかれてましたっけ(笑)
あの頃、冬になるとトランクには漬物石が乗せてあり、それでも登らない時は子供がトランクに乗ったりして志賀に登って行きましたが、それもいい思い出だな〜(遠い目・・・)

コレは残っているおそらく私の一番古いスキーの写真。
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裏にS42年 丸池と書いてありました。
姉二人、母、従兄弟、一番小さいのが私。

この頃はほとんど丸池、法坂(現サンバレー)で滑っていました。
一の瀬方面や熊の湯方面には行かなかったですね。
丸竹荘と言うゲレンデ前の宿が定宿だったのを覚えていますが、確か今は違う名前になっていますね。
丸池の一番右にある短いリフトで1日中滑っていたそうです。

親父たちは信州のスキー場に飽き足らず、遠く東北にも遠征していました。
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コレはS52年、八甲田と書いてありました。
親父が47歳の時!こう見るとかなり老けてるけど・・・まー昔の人はこんな感じか。

ちなみに左から4番目のカメラをぶら下げてる方は、あの有名な

三浦敬三さんです。(字あってる?)

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なんかいつの間にか月山なんて行ってますけど。
しかも夫婦で。母も結構な年まで滑っていましたね。

私も駒ケ岳千畳敷カールとか立山にも連れて行かれました。
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コレはジャイアントですね。昭和45年くらいかな?

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コレはジャイアントから見た、ブナ平〜東館山。
今とかなり違いますね。


と、そんな訳で蛙の子は蛙。スキーバカの子はやっぱりスキーバカなのでした。
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