2016/11/23  17:32

極楽スキー  NoSki NoLife

『極楽スキー』

1987年に出版されたこの本を皆さんはご存じだろうか?

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この『極楽スキー』という本こそが、私の『Gokuraku Skier』という名のルーツなのだ。

時代はまさに日本総スキーヤー時代。
『私をスキーに連れてって』という不朽の名作が上映され、そんな時代にホイチョイ・プロダクションが出した本は、まじめな内容からふざけた?モノまでありとあらゆるスキー情報が網羅されていた(と思う)

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まずはこんな真面目な感じで始まる

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皆さんは知っていますか?
日本は世界でも有数の豪雪地域だと言うことを。

かと思えばこんな記事もあり

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で、西武のこんな夢のようなスキー場構想は

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万座と志賀、苗場をロープウェイで繋げちゃおうって壮大な計画。
でも、万座と横手は距離的にも実現可能な気がしますね。

こんな記事も面白かった。

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いましたね〜。こんなスキーヤーが(笑)

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もうチョイ前だとこんな感じでしたね。
ブーツの中に入れるスキーパンツとパンタロン型が出る間に『バックリング』というスキーパンツが存在していたことを知っている人はどれだけいるだろうか?

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憧れました〜!オーリンMARKVとロシのSTコンペ、クナイスルも当時は憧れのブランドでしたね。ウェアは何と言っても『リバティー・ベル』だね!

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解説付きのこんなイラストも
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貴方は何派でしたか?(笑)

今のように高速が長野まで繋がっていない時代ならではの記事です。
昔は志賀など信州のスキー場に来るには大変でしたね。

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車ではないけど、その昔、上野発の急行が信越本線の屋代駅から長野電鉄に乗り入れ、湯田中まで直通で行ける列車があったのを知っているかな〜?
たしか『信州シュプール号』
これだと、長野駅で長電に乗り換えなくていいんだよね〜!素晴らしい!

懐かしいリフト券。
特に苗場のシールでストックに巻きつけて貼るヤツ!
苗場など行ったことがない私はカルチャーショックだったな〜
で、高校生の時、初めて苗場に行った時はホントにショックを受けた(笑)

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長野オリンピックが決まる前、と言うより国内での候補地もまだ決まっていなかった時代だ。

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こういった記事も楽しめたっけ

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さて、今日長野では初冬の風物詩『長野えびす講大煙火大会』が行われ、12000発の花火が冬の信州の夜空に上がります。
長野もえびす講を迎えるといよいよ冬本番となり、里に初雪が降るのもこの時期です。

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さて、今日からの寒波でいよいよこの週末には熊の湯はオープンできそうですね♪

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2015/2/8  15:41

極楽スキーヤーの原点  NoSki NoLife

私がスキーを始めてから、もう半世紀がたとうとしている訳だが、(歳がばれる)このスキーバカのルーツは親父はじめ、親戚一同がスキーバカだったからなのだ。

特に親父と親父の叔父さん、2人はどれだけ財産をスキーに注ぎ込んできたことだろう。

私が子供の頃、親戚の大人はこぞって「HEAD 360」と言う板を履いていたが、あの当時でも板とビンディングで10万はしたはずだ。
当時、親父は「ハコスカ」を乗っていたが、たしか2000GTでも90万位、GT-Rだと160万位だったので、その当時の板は本当に高級品だった。

当時、ビンディングはマーカーが多かったな〜。
今のような流れ止めは無く、革の紐をグルグルと靴に巻きつける奴だったので、転んで金具が外れると大変だった記憶が・・・

そのうちにワンタッチで外すことが出来るナイロン製のが出てきたけどね・・・

お金持ちは皆「LOOK ネバダ」を付けていたっけ。
標準はシルバーなんだけど、レース使用は赤で「赤ネバダ」と言われて憧れだった。

あーマーカーもレース使用はバネが赤かったよね。

私も早く大人になってHEAD360やロシのストラートに乗りたいな〜と思ったものです。
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家には昔の写真が多く残っていますが、
親父たちが若い頃のツアースキーの様子がこんな感じ

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のぞき小屋と書いてあるので、横手山ですね。
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まるで外国のような景色。立山あたりでしょうか?
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こうやって担いだり
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シールを付けて登ったり、歩いたりと大変だ。
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今で言うツリーランですね
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支度からして春のようです。

コレはもう少し時代が経ってからですね。
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昭和30年くらいですかね。場所は乗鞍のようです。
ビートルの後ろに板をこうやって乗せる姿が超カッコ良かったのを今でも覚えています。
そうそう、ビートルってRRだから雪道超強かったんですよ。
志賀に登るとき、親父のハコスカは叔父さんのビートルにいつも置いてかれてましたっけ(笑)
あの頃、冬になるとトランクには漬物石が乗せてあり、それでも登らない時は子供がトランクに乗ったりして志賀に登って行きましたが、それもいい思い出だな〜(遠い目・・・)

コレは残っているおそらく私の一番古いスキーの写真。
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裏にS42年 丸池と書いてありました。
姉二人、母、従兄弟、一番小さいのが私。

この頃はほとんど丸池、法坂(現サンバレー)で滑っていました。
一の瀬方面や熊の湯方面には行かなかったですね。
丸竹荘と言うゲレンデ前の宿が定宿だったのを覚えていますが、確か今は違う名前になっていますね。
丸池の一番右にある短いリフトで1日中滑っていたそうです。

親父たちは信州のスキー場に飽き足らず、遠く東北にも遠征していました。
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コレはS52年、八甲田と書いてありました。
親父が47歳の時!こう見るとかなり老けてるけど・・・まー昔の人はこんな感じか。

ちなみに左から4番目のカメラをぶら下げてる方は、あの有名な

三浦敬三さんです。(字あってる?)

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なんかいつの間にか月山なんて行ってますけど。
しかも夫婦で。母も結構な年まで滑っていましたね。

私も駒ケ岳千畳敷カールとか立山にも連れて行かれました。
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コレはジャイアントですね。昭和45年くらいかな?

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コレはジャイアントから見た、ブナ平〜東館山。
今とかなり違いますね。


と、そんな訳で蛙の子は蛙。スキーバカの子はやっぱりスキーバカなのでした。
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2013/2/9  16:39

NoSki NoLife  NoSki NoLife

スキーを3歳から始めて既に○○年、スキーは趣味を通り越してもはやライフワークのひとつとなっている。

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基本、[極楽スキーヤー]なので吹雪の日には滑らないし、ハイクアップして滑るとか面倒なこともしないし、基礎スキーヤーでもないので、級とか持っていないしさほど興味もない。

スキーは自分自身が楽しめれば良いと思っているが、そこそこ上手く滑るには多少の練習も必要。ということでたまにだがこっそり練習もする。

天気の良い日に朝イチリフトに乗り、グルーミングバーンやパウダーを滑るのが信条だ。

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逆に朝出遅れると一気にテンションが下がり、バーンが荒れ始める2時頃にはさっさと切り上げて温泉に入って早めに帰宅というのがいつものパターンだ。

技術選も大して興味がないので一度も見に行ったこともない。

しかし子供の頃からアルペンレースだけは興味があり、長野オリンピックはもちろん、志賀で行われたワールドカップはいつも見に行っている。

夢はいつの日かキッツビュールやウェンゲンなど本場ヨーロッパでワールドカップを見ることである。

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滑りはじめた頃のことは全く覚えていないが、ホームゲレンデはその頃から志賀高原だった。
当時は丸池や熊の湯が志賀のメインで、私もほとんど法坂(現サンバレー)や丸池で滑っていた。
当時は丸池のAコースをノンストップで滑り降りることが最大のステータスだった時代で、私も小学3年生の頃初めて降りてきた記憶がある(もちろんボーゲンで)

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中学生になると友達と行くことが多く、信越線一本で行ける黒姫がメインとなり、朝イチのリフトから最終のパトロールの人が乗るまで滑りまくった。

社会人になり自分の車を持つようになると北信の色々なスキー場に行くようになるが、主に志賀、八方、戸隠、菅平、そして一時竜王にハマった時期もあった。

志賀出身のかみさんと付き合うようになると、スキーのほとんどは志賀となり、子供の頃の丸池、サンバレーではなく、かみさんの地元一の瀬・高天ヶ原方面を滑ることが多く、志賀高原遠足も楽しむようになり志賀の魅力に引きずり込まれていくことになる。

この頃、志賀の中心は一の瀬・焼額山に移っていて、「私をスキーに連れてって」の舞台となった志賀高原はまさに日本中のスキーヤーの憧れの地となった。

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その後結婚して子供が生まれても夫婦してスキーは止められず、自分達がスキーに行きたい一心で子供が滑れないうちはおんぶして滑り、3歳の時にはスキーを履かせ教え始めた。

家族で行くスキーも志賀がほとんどだったが
、帰りに渋温泉にあるかみさんの実家に寄り、夕飯を頂き(ビールも)コタツで転寝をして温泉に入って帰るパターンが私の一番お気に入り極楽スキーだった。

子供が幼稚園の時から大会に出たりもしたが、小学4年生の時、市民スキー大会で優勝してしまい元アルペンレーサーのかみさんのスイッチが入り子供はガチな競技スキーヤーに。

5・6年生の2年間だけだが真剣に取り組んで、お父さんお母さんはサービスマンと化し、親子で大会に出かけるのが楽しかった2シーズンだった。

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その後、中学生になると子供はスキーをやることは無くなり、かみさんもシーズン3回ほどしか行かなくなったが、私は相も変わらず週一ペースで天気のいい日に滑るスタイルで今もシーズン20日前後は頑張って滑っている。

ここからは私のお気に入りスキー場を紹介しよう。

お気に入りスキー場ナンバーワンはやはり志賀高原だ。

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自宅から焼額山第1ゴンドラ乗り場までジャスト60キロ。
長野〜中野を高速移動しおおよそ1時間弱で到着。その昔は2時間近くかかったこともあったので便利になったものだ。

志賀って小さいスキー場の集まりで長いコースが無いからつまらない。って言う人がいるけどそれは志賀の楽しみ方を知らないだけ。
雪質の良さはやはり特筆すべきものがある

一番低いジャイアントのベースでも1400m、一番高い横手山は2306m、メインの一の瀬・焼額山エリアは1600m〜2000mの標高に横並びにゲレンデがあり、八方は栂池で言えばグラートや栂の森がいくつも並んでいる状態なのである。

長いコースだって無いわけではない。

ゴンドラがある奥志賀、焼額山2本、東館山は2000m以上長さがあるし、西館山だってトップからベースまで滑ればかなりの距離を稼ぐことができる。
その志賀の中でもお気に入りのコースは焼額山GSコースだ。

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雪質、斜面構成、長さ共に満足な1本だ。

ただ人気のコースだけに朝イチ以外は混んでいてまともには滑れない。
それとブナ林やダケカンバの林など志賀高原ならではの景色と、晴れた日に遠く見える北アルプスの眺めは溜息が出てしまう程の美しさだ。
チャレンジカード(今はSkilineというシステムがやってくれるが)をしながら志賀高原を廻るのも楽しみのひとつ。

お気に入りナンバー2
八方尾根(HAPPO−ONE)

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ダイレクトに標高差を楽しみたいならやはり八方だ。
我が家からは行きも帰りも渋滞知らずで、早ければ45分で着いてしまう。


この八方の中でも一番のお気に入りが[朝イチリーゼン]だ。

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これ狙いで毎朝ゴンドラやリーゼンクワッドに人が並び、しっかりグルーミングされたリーゼンスラロームコースを思いっきり縦に飛ばしていく人々の姿はある意味異様だ。

私もこれを楽しむために八方に行くので晴れていることが第一条件なのだが、向かう途中朝焼けで真っ赤に染まった北アルプスの姿が目に飛び込んだ瞬間からスイッチが入り、リフトで登っていく時のワクワク感はここでしか味わえない物で、何歳になっても何回行ってもこの感覚は変わらない。

この朝イチリーゼン、グルーミングされた兎平右側から繋いで、一気にゴンドラ乗り場まで滑りこむとかなりの充実感を味わえる。

更にリーゼングラートからベースエリアまで標高差1000mを一気に降りればいつでも長野オリンピックのダウンヒラー気分が味わえる。

八方と言えばウサギ平や黒菱のコブも名物だが、私の場合来たからちょっとは滑っておくか程度でさほど執着はない。

それよりパノラマコースが実は大好き。

パノラマからセントラル〜白樺と繋ぐコースもリーゼンスラロームにも負けない充実感がある。
いずれもかなりの高低差を一気降りするので相当な体力が必要で、ろくに休憩もせず飛ばし過ぎると午前で太腿がパンパンになってしまうので午前券で滑ることが多かったりする。

志賀、八方この2つに続くのは超が付くほどマイナーなスキー場
飯綱高原スキー場。

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長野市の象徴的な山、飯綱山の南斜面にあるこのスキー場、長野オリンピックでフリースタイル競技が行われ、モーグルで里谷多英が金メダルを獲ったことで少しは知名度が上がったが、滑りに来るのはほとんどが長野市民だ。

長野市南部にある我が家からでも25キロと近く、週末の朝なら35分位で着いてしまう。

非常にコンパクトなスキー場だが、リフトに対しコースが効率よく配置され、初心者から上級者まで楽しめるスキー場だ。

特に上級者コースは降雪後にはパウダーゾーンとなり、滑っている人も少ないので3本のコースで思う存分パウダーを満喫できる。
パウダーが食い尽されたら、クワッドリフトを使ってB・Cコースでコソ連するのが私のパターン。

それと飯綱で忘れてはならないのがどりーむの[あんかけ堅やきそば]だ。

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正直飯綱に行く理由の半分を占めていると言っても過言ではない。
ただし、シーズンが短いのと、もろに南斜面なのでトップシーズン以外の雪質はイマイチだ。

栂池
近年は志賀、八方、飯綱、そして栂池くらいしか行かなくなった。

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栂池は早割リフト券が飯付きで3,500円と格安なことと、私の大好きな[白樺ゲレンデ]があるのでシーズンに2回位は滑りに行く。
八方の朝イチリーゼン同様、朝一でここを滑ればそりゃー爽快だ。
斜度と言い、広さと言い、長さと言い申し分ない。

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リーゼンほど混むこともなくハードでは無いので繰り返し何本も滑れるのが魅力。
ただし、標高が低いのでトップシーズンを逃すとコンディションがイマイチなのが玉に傷。
それと、広大なスキー場だがどこも同じような斜面構成ため半日位で飽きてしまう。

その他、夜間瀬のメイプルリーフ戸隠のチャンピオンなども大好きなコースだ。

信州には他に[野沢温泉]というビックゲレンデもあるが、子供の頃からあんまり行ったことがないので私の中ではマイナーな存在なのだが、最近はパウダーエリアなどが充実しているなどで人気がウナギ登りらしい。

何はともあれ、志賀や白馬などのスキー場が近い所に生まれたおかげで贅沢なスキーライフを送れている。

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