ニアルト島は長が3kmで幅は2km程度の人口島で有る。西ローマ帝国が蛮族の侵攻に耐えかねて地中海の海岸に逃げ、湿地帯に丸太を打ち込み、その上に土砂を盛って住居を築いたのがヴィニスの始まりと言われる。凡そ5世紀の中頃と世界史は語る。
こんな小国のヴィニスが11世紀になると海洋国家として、世界史の中に顔を出して隆盛を誇ったのです。ヴィニスの富の源泉は海運業と商人の町で、地中海の貿易の中心地となり、ヴィニスが有する海軍は最強軍(軍人の多くは雇われ兵)でも有った。
ヴィニスでは帆船のキャンパス帆を利用した絵画や、商業で用いる印刷業等も発達したし、16世紀になるとお金を払えば毎日オペラ鑑賞等も出来た様です。日本も海洋国家としてヴィニスにあやかり、国民は等しく諸税金、医療費等無く、平和で安定した社会生活
を営みたいが、それはどの様にしたら得られのだろうか。
彼等は船を改良する事から始まった。いわゆる恐竜の骨組みを見れば分かる様に、竜骨が有って、アバラ骨の部分を作り、それに板を打ち付けて船体を作るので有る。水漏れは繊維とピッチで塞いだらしい。この様な船造りで有れば短期間で頑丈な船を造る事が出来たと言う。帆は複数有り、無風で有ってもこぎ手が両側に40人程度いて、このこぎ手はイザと言う時には戦士に変身した。
貿易は先ず奴隷と木材を載せ、北アフリカに行き回教徒に売り、貰った金銀を持ってコンスタンノーブルで香料、布地、金銀細工、宝石等を買いヴィニスでヨーロッパ商人に売り払ったらしい。この様な商取引で有るから金融業等も盛んでナント複式簿記等も始まったと言われる。ロバート.ロペツに依れば「国家は商業社会の様に運営されていた」と言われる。
船は時代の要求に依って改良進歩するが、大型化され遠洋航海にも適する様になった。特に進歩したのは舵取り装置だったと言われる。舵の重量は人力で操作出来る以上にはならないが、これをテコとか滑車とかを利用して操作が容易になったのです。帆も改良されて、船首部分には居住空間等も設けられた。コンパスは中国の発見では無いが、その頃コンパスが実用化されて、曇天でも夜間でも航海する事が出来た。つまり一年間をとうして交易が出来たのです。
江戸時代の日本は鎖国政策によって、外洋航海出来る船が造れず(竜骨が無く、船倉が無い、言わば箱船で有ったから浸水には弱かった。)この事が遭難事故の原因にもなっていたのです。
このような隆盛はヴィニスを運営する政治方式にも有るらしが、ここではCUTして、この様なヴィニスにもやがては衰弱期がやって来るのです。結論から言うなら国(地域と人口)が小さいと言う事で他国との力競争に負けた事で有ろう。また世界史では余り語ってくれないが、秩序無き繁栄は必ず疫病(ペスト)が流行り、国家が衰弱するようです。
過年、中国に於いて「サーズ」が流行って、多勢死亡しているが、あの様な社会に於いては疫病が流行らないのは不思議で有って、アノ程度で済んだのは日本の医療援助が有ればこそであろう。
註:Robert Lopez著「The Birth of Europe」1966年刊
註:塩野七生著「海の都の物語」中央公論社 昭和55年刊
註:高坂正暁著「文明が衰亡するとき」新潮選書 昭和56年刊

0