読売新聞に「時代の証言者」として現在藤原正彦氏の証言が連載で載っている。かれは品格と言う言葉を流行らした数学者、随筆家として知られているが、父君は芥川賞作家の新田次郎氏で有り、またお天気博士と言われた気象台所長の故藤原咲平の縁戚でも有るらしい。
さて本日(12月22日)の朝刊に第22回目の連載が載っていて氏が担当するゼミについて書かれている。ゼミは日本の古典文化を読んで貰い、読後感想を述べ合うと言うものらしく、ここで読まれる古典を下記に示してみた。
新渡戸稲造「武士道」
内村鑑三「代表的日本人」余は如何にしてキリスト教徒になりし乎(カ)
鈴木大拙「日本的霊性」
福沢諭吉「学問のすすめ」及び「福翁自伝」
山川菊栄「武家の女性」注:彼女は大正元年に津田塾を卒業した。
これらは何れも明治期に書かれ、現在では古典に分類されるものかも知れない。しかしながら古典には古人の知恵や叡智が書かれていて、現在社会にこそ、有用だとのお考えが有るのかも知れない。
いま新渡戸稲造の武士道の討議では、最初は半分ほどが時代錯誤とか個人の自由が一番とか反発するそうです。しからば「自分の自由と他人の自由は衝突する。正しいもの同士ぶつかるのはおかしくないですか。そもそも自由は存在するのですか。」と問いかけるそうです。
個人主義や自由を貫徹すると家族で支え合う基盤は無くなりますから、あなたへの仕送りも止まり、学費を作る為にあなたは多くの自由を失うことになりますが。」と問うと学生は黙り込んでしまうとの事です。
氏は更に革命や暴力の事、軍国主義等々について問いかけ「西暦500年から1500年の間に書かれた英仏露の文学作品を合せて三つ挙げてごらん」と言うと誰も答えられませんと結んでいる。日本には誇れるものが何も無く、自虐的に思っている学生も多いとも嘆いている。
氏の言わんとしている事は、戦後の教育が「自分の祖国に誇りとか自信を持たない」国民になってしまったと言う事で、従って「誇りと自信」が無ければ再生はあり得ないとする様です。つまり「国家の品格」とか「親日派の日本人を作る」事が重要なわけです。この言わんとしてる言葉は、AOLブログに見る「QMSS氏」と相似形にも似ている様です。
この自虐的な国民とは南京大虐殺記念館にも見られる様です。南京市には所要が有って何度も足を運んだが、彼の館内には入った事が無い。中国人に聞くところに依れば合成写真等の展示等も多く、これらは全てでは無いだろうが、日本人の教唆によると言われている。また敷地の整備や館の設計は、日本のさる団体の寄付によると言う。未だ有る、戦後の日本史に自虐的な記事が多いのには驚かされるが、その原因はこの教育の不毛に有ったのですね。ナントモハヤ日本の教育の荒廃は凄まじいのです。

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