写真は青木巌訳「歴史、ヘロドトス」昭和35年刊から掲載した。(クリックで拡大)
東西の交流(交易路)はシルクロードが開かれる以前(紀元前1000年)から、遊牧民達たちが草地(ステップ)を通り東西(交易路)していたらしい。そのルートはシルクロードの北側に有って、西アジアから中央アジア及び東アジアに広がるステップと呼ばれる草原や森林地帯で有ったらしい。例えば日本海沿岸を逆に進んで、中国黒竜江省地域から西方に進むと中央アジアの草原(ステップ)に出て、地中海地域まで行けるらしい。
ヘロドトスの「歴史」と呼ぶ読み物はその序文に有る様に、ギリシャ人と異邦人達の偉業やしのぎを削る戦いを、忘れない為に発表すると有り、ここで異邦人とはペルシャ帝国を指している。このヘロドトスの歴史の中には、遊牧民族のスキタイ人の事が書いて有るのです。スキタイ人については現在高校の世界史でしか見られない様ですが、このスキタイ人と我々日本人とはどうやら関係が深いらしいのです。
スキタイ人が住んでいた場所は、上図の中央部「黒海」の北岸(上図参照)の方に有って、農耕スキタイや遊牧スキタイとがいたらしい。ヘロドトス(紀元前484年頃〜425年)がギリシャの植民地で有った黒海周辺を旅行した頃は、スキタイ人が見られて「歴史」の中にスキタイ人の民族や地理、風習、宗教等が書かれているのです。
遊牧民族達はこの草原地帯を自由に往来し、東西の文化を運んだので有るが、このルートは中国の領土を侵す事も無いし、砂漠も有りませんから西アジアからは極東に存在した日本への文化伝播は、形を変えてでは有るが容易だったのです。遊牧民達にも歴史の消長が有るのは当然です。
日本と中国とは、聖徳太子(遣隋使)以後切っても切れない縁が有るのは間違え無いのですが、日本に存在して、中国に存在しない物が見つかるのは、この様な理由からなのでしょう。我々は若しかしたら中国文化に目が眩んでしまい、例えばペルシャ等を始め、遊牧民族等が齎した数々の文化を忘れてしまったかも知れないのです。お隣の朝鮮半島等はどう考えても遊牧民族としか考えられない。もしかして、大和盆地の大王家とは朝鮮半島から、新入りでやって来た北方遊牧騎馬民族で有って(新羅か?)五世紀頃に各地の氏族を統一し天皇家になったかも知れないのです。
ナント無く、江上氏の北方騎馬民族征服説に似て無くも無いが、聞くべきものはあるだろう。但し、稲作等は南方説(東南アジアや中国江南地方)に変わり有りません。
注:スキタイ文化の研究が最も進んでいるのはロシアの様です。

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