日本の近代化(幕末〜明治期)に尽した、外国人御雇教師(英、仏、伊、米、独、蘭人等)と言う者がいて、明治政府が雇った者は明治7年頃の合計で520名に達したと言う。これらはやがて、日本側の基礎技術習得が終ると、余りの高給の為に次第に数が減って、逆に民間で雇った者が増え、明治25年頃には570名に及んだと言われる。普通は教師として雇われ、日本の近代学術とか工業技術の基礎は、彼等によって築かれたと言っても良いだろう。北海道農学校の雇われ教師クラーク博士の「青年よ大志を抱け」は現在でも語り継がれている。
さて、英国の言語学者で有った「B.H.チェンバレン」も又、御雇外人教師で、彼は1873年(明治6年)に来日して、海軍兵学寮教官及び東京帝国大学で教鞭をとっている。離日したのは1911年(明治44年)だと言うから、約40年間もの長期間日本に滞在した事になるから、日本の良き理解者でも有ったらしい。チェバレンの日本での業績は「古事記」等を翻訳し世界に紹介したり、日本文法を編し琉球語とかアイヌ語の研究に成果を示している。また和漢の典籍を収集し「玉堂文庫」として残している様です。なお有名な小泉八雲とは親友でも有ったと言う。
このチェンバレンの言葉に「
人生とは、我々が稽古する時間も無しに、役割を演じなければならぬ劇で有る」と言うものが有ります。
これは深く味わうべき言葉で有って、歳を経ればナルホドと思い当たるのです。我々の人生は普通「失敗と悔恨の繰り返しで有って」どうして、この女性と結婚したのだろうかとか、どうしてこの様な職業を選択したのかとか、フト考える時が有るかと思うのです。
もしも人生と言うものが、あらかじめ稽古が出来るもので有るならば、稽古をしてからの方が良かったかも知れないが、人生の稽古をするからと言って、職場を転々と変えてみても、その時の人生は再び戻らないわけです。つまり青春時代には稽古等無く、そのまま過ぎ去って行く時でも有るのです。
生き方は下手でも良いし、失敗しても良いし、毎日が悔恨の日々でも良いのです、その刹那刹那を一所懸命生きて生きて行けば良いのです。後で悔恨するのは嫌だと言って何もしなかったら、逆に何もしなかった事を後悔するだろう。また人生は「恋」の如く印刷が出来て何度も刷り直しが効きますから、この刷り直し時には巧く立ち回る必要が有のです。モウ駄目だと言う事は決して有りません。七度転んでも八度目は立ち上がる事が必要です。
世の中には「人生論」が数多く見えていますが、人生には筋書き等は無く台本等は有りません。人生の舞台に立つとそれが良くわかるわけです。要するに結論等は無いのです。しからば、どの様に生きたら良いのかと言うなら、自分の心から願っている事に邁進する他は無い様です。それとて思いも掛けない出来事が起きるのが人生で、失敗とか塊根の連続では有るだろう。笑って誤魔化し時間の経過に任せれば良いのです。時間は全てを解決してくれものです。
ガラにも無く偉い事を言ってしまったが、この歳になって「止み難い」人文系に興味が有って(何かやり残した様な気がする)色々と本を読んでいる内に「チェンバレンの言葉」を見付けたので記して見た。
注
チェンバレンは23歳の時に遠洋航海(恐らく冒険旅行)に出て、たまたま日本に着いたらしい。それが縁で日本に40年近くも住み付き、日本の紹介者として名を残したらしい。この様な人生も有るのですね。

1