そもそも本朝の船の濫觴者は神代の昔、蛭子を載せたる者は天磐掾樟船、素盞鳥命の乗りたる埴輪の船也。天鳩船と大巳貴神之を作るところにして、その上に人代に及びては神武天皇が、吉備国高島の宮に於いて船楫を備え、其の後崇神天皇十七年諸国に命じて、始めて船舶を造らしたもう。
(1)
濫觴者は、、、濫觴(ランショウ)は物事の始めを言うから、従って日本での船(舟)を使用した始めの事を言うので有ろう。
(2)
蛭子、、、蛭子(ヒルコ)とは生れ付き身体の不自由な者を言うが、もしも蛭子が生まれると、直ぐに舟にのせて流したらしい。この伝説は、東南アジア各地にも有ると言われる。
(3)
天磐掾樟船、、、天磐掾樟船(アマノイワクスフネ)と呼び、蛭子を乗せて流した舟だと言う。日本書記の一書曰くには、天磐掾樟船を鳥(トリ)磐掾樟船とも呼び、鳥は地上でも海上でも自由に飛ぶ事が出来る。掾樟(クスノキ)は楠木で、クスノ木は舟材として使用されたと言う。又、天磐掾樟船は「天鳥船アマノトリブネ」とも言われる。
(4)
埴土の船、、、埴土の船は水に浮かぶ事は無いのですが、日本書紀の一書曰く、には素盞鳥命が新羅国から海を渡って来る時に「埴土」で舟を造り帰ったと有ります。
(5)
天鳩船と大巳貴神の、、、天鳩船(又は天鳥船、諸手船等)は早い船の意で有ろう。大巳貴命は又の名を「大国主命」、「大物主命」とも言うが、父親は素盞鳥命で有る。この部分には多少の混乱が有るかも知れない。
(6)
吉備国高島の宮に於いて船楫を備え、、、神武天皇が東征の時に吉備国高島の宮に三年滞在し、舟を揃え兵食を蓄えて天下平定に向かったと有る。
(7)
崇神天皇十七年諸国に命じて、、、船は天下に必要なもので、今、海辺の民は船が無い為に物を運ぶ為に苦しんでいると言う。それを知って諸国に命じて船舶を造らせたと言われる。これは恐らく、税を納める為の船なので有ろう。
それ高官尊位の船の前には龍及び青鷁を画描く事よく、水を防ぐゆえんの鳥なり、是は船の波浪に溺れざる事を欲して、これを龍頭鷁首の船と言う。
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)龍及び青鷁を画描く、、、往古の船の舳先には龍の姿の彫刻(又は画)が飾られていたと言う。これを龍頭の船と呼んだらしい。更には鷺に似た青い水鳥を鷁(ゲキ)と呼び、これも船を浸水から守り、溺れる事が無い様に飾った(お守り)と言う。従って、龍頭の船及び鷁首の船と分けて考えた方が良いだろう。中国のジャンク(香港で見れる)には船の舳先両側には「目の様な太極図」をペンキで書いたものが有る。この様な船の名は「大眼鶏ダイガンケイ」と呼び悪魔よけの呪いの様です。
有る時、この大眼鶏船を盗んで捕まった者がいたが、目を新たに描く事に夢中で逃げ遅れ、捕まったのだと言う。捕まってから泥棒曰く「両目が無くては船は走れない」従って、「両目を必ず描かなければならない」のだそうです。
続

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